50 再入院
海辺の病院を出てから半年が過ぎ、すっかり元に戻ってしまった父を、兄は半ば強引に再入院させた。
「このまま家にいてどうするの? 自分でお酒、やめられるの?」
冷静に詰め寄られ、最初は抵抗していた父も、黙って従うしかなくなった。
着替えの入ったバッグを抱えて車に乗り込む、痩せこけた背中。
誰もが感じていた。
もはや治療のための入院ではない、父は治ろうとはしていない。
これは、ただの時間稼ぎだ。
しかしたとえそうだとしても、疲れ切った家族にはその時間が必要だった。
父が入院している間、兄は1か月間の海外出張に出発した。
わたしたち親子は時間を作っては面会に通ったが、そのたびに「ここはもう嫌だ、家に帰りたい」と訴えてくる父を、なだめなければならなかった。
柔らかな緑が日に日に濃くなっていく季節。
あと2か月もすれば、夏休みだ。
来年は小学生だというのに、ハルキはまだ旅行らしい旅行をしたことがなかった。
もちろんお金がないというのが一番の理由だったが、それだけではない。
ここ1年ばかりは父をひとりにしておくのが不安で、長時間家を空けるのをできるだけ避けていたのだ。
けれど、自分たちが幼い頃に味わった休み明けの寂しく惨めな気持ちを、できることならハルキには味合わせたくない。
父が入院しているのなら、絶好の機会ではないか。
近場の安いところでいい、せめてハルキに人並みの経験をさせてやろう。
そう思って計画した2泊3日のキャンプ。
しかし父は、ちょうどその日に外泊許可を取ったという。
退院が近くなった患者は、今後のリハビリもかねて何度か家に帰れることになっていた。
「……キャンプの予定入れちゃったから、うち、誰もいないよ? ひとりで大丈夫?」
「ああ、大丈夫だよ」
ずっと帰りたいと言い続けていた父。大丈夫というそのことばを無条件に信じることはできず、わたしはしばらく迷っていた。
そんなときに夫が言った。
「お父さんに気を使って、俺らがあまり無理したり、やりたいことを全部我慢するのはやめないか?」
確かに父がこうなってから、どんなときにも真っ先に父のことを考えるようになっていた。孤独がアルコール依存症の引き金になると聞き、できるだけひとりにしないように気をつけてもいた。
けれどそんなことに関係なく、父の病気は進んでいったのだ。
飲んだら飲んだで仕方がないではないか。
いつも家族がついて回るわけにはいかないのだ。
そう自分に言い聞かせながら、夏休みに入ってすぐの週末、わたしたちは予定通りキャンプにでかけた。
キャンプといっても本格的なものでなく、昼間は隣接した遊園地で遊んで夕飯はバーベキューを楽しみ、設置済みのテントで寝るというだけの気楽なコースだ。
それでも親子3人だけでこんな風に過ごすのは初めてのことで、ひとつひとつの出来事が新鮮で、しみじみと嬉しかった。
夜になり家に電話を入れると、父が出た。
「ああ、こっちは大丈夫だよぉ、大丈夫だって……」
ロレツが回っていないようすに、体中から力が抜けていく。
昼間の楽しさが、一瞬で帳消しになった気がした。
家に帰ればまた八方ふさがりの現実が待っている。
いっそのこと、いつまでもこの旅行が終わらなければいのに――そう願いながら、わたしたちは残り少ない時間を過ごし、暗澹たる思いで帰途についた。




