49 誰にも救えない
いつのころからだろう。
近くにいる誰かの機嫌が悪くなると、自分のせいだと思うようになったのは。
わたしが何かしたに違いない。
だって自分はそもそもみんなを不快にさせる人間なのだから。
その思いはわたしを他人から遠ざけた。
そしてどうしても人と関わらなければならない場面では、こう思うようになった。
もっと気を使わなくては、もっとがんばらなくては。
誰の迷惑にもならないように。
みんなに嫌われないように。
出会ったときから夫はずっと、わたしのそういった不毛な思い込みを力強く打ち砕こうとしてきてくれた。
そのおかげで人並みに息ができるようになったけれど、それですべてが解決したわけでは決してなく、胸の奥深くに刷り込まれたそのいびつな信念は、ふとした拍子に頭をもたげてくる。
父のアルコールの問題は、わたしのそんな一番弱い部分を執拗に責め立てるものだった。
父がこうなったのも、よくならないのもわたしのせい。
わたしがもっとがんばって、どうにか解決しなければ。
そう考えるのは、わたしにとってはとても自然なことだったのだ。
そんなわたしが次に思いついたのは、断酒会に参加することだった。
父が行きたくないならば、わたしだけでも行けばいい。
同じ境遇におかれた人の話を聞くことで、何かヒントが得られるかもしれない。
しかし兄は、本人にその気がないなら家族が参加する意味はないという。
夫もまた、決していい顔はしないだろうということはわかっていた。
平日の夜に開かれる断酒会。
夫も兄も帰りは遅い。
ハルキを連れていける場所ではないし、あの家で泥酔した父と留守番をさせるのも、毎週のように誰かに預かってもらうのも、現実的には難しい。
が、他にやれることは、もうないのだ。
そう思って、覚悟を決めて夫に相談してみると、意外な返事が返ってきた。
「そうだな……やるんだったらまず3か月、とことんやってみたらいいんじゃない?」
「え?」
驚くわたしにしかし、夫は冷酷といっていいほどの冷静さで言い放った。
「ただしそのときは、ハルキを犠牲にする覚悟でな」
二の句が継げないでいるわたしに、さらに夫は畳みかける。
「ねえ冬子、仮にお父さんがそれでしばらく落ち着いたとしても、俺らがいなくなったらどうするの?」
数か月前に夫はようやく正社員になることができた。
わたしのパート代を合わせれば、借金の返済を続けながらでも親子3人なんとか暮らしていけないことはない。
確かに最初はそのつもりだった。
けれど、今の父を見捨てて出ていくなんてとてもできやしない。
不便な家だし今はこんな状況だけれど、お父さんのためにここで暮らそうと言ってくれてもいいんじゃないの?
何も聞かずに大金をポンと貸してくれて、行くあてのないわたしたちを黙って住まわせてくれた、その恩をあなたは忘れたの?
そんなことばが喉まで出かかっていた。
けれど、わたしだって本当はわかっていたのだ。
父はたぶん治らない。
わたしたちがここに残っても、断酒会に通っても、いや、何をどうしたところで、父を救うことなんて誰にもできやしないのだ。
それほど父の孤独と闇は深く、この病気が生易しいものではないことを、さんざん思い知らされてきたではないか。
治らない父を治すことに情熱を傾け続ければ、思うようにならないことにいら立ち、自分を責めて責め続けて、わたしは壊れていくだろう。
そして誰よりもその影響を受けるのは、ハルキなのだ。
冬子にとっての優先順位は何なんだ?
お父さんのために何もかもを犠牲にしてしまっていいのか?
冷たく聞こえる夫のことばの裏に、ひそんでいる問い。
実の親を切り捨てるというぎりぎりの選択をしてきた人だからこそ、彼にはよくわかっていたのだろう。これが中途半端な義務感や生半可な情だけでどうにかできるような簡単なことではないのだと。
そしてわたしがこのまま父の近くにいたら、すっかり囚われ身動きがとれないほどがんじがらめになり、最後は全員が共倒れになってしまうだろうということも。




