46 閉鎖病棟
この話には排泄に関する描写が出てきますのでご注意ください。
わたしたちが最後に行き着いた場所は、アルコール依存症専門の国立病院だった。
酒で肝臓をやられて近所の内科に入院し、退院したとたんにまた飲み始めるということを何度も繰り返してきた父。
皮肉な見方をすれば、飲める体に戻すために入院しているようなものだった。
その国立病院では、最初の数週間は内科的治療にあてるものの、アルコールが体からすっかり抜けた後に数か月かけて断酒教育を受けるのだという。
認知行動療法や自助グループ、自分の半生を振り返るプログラムなど、調べれば調べるほど今の父に必要な治療が受けられる場所だと思えた。
高速に乗って2時間、小高い山が海岸線のすぐ近くまで迫る静かな海辺にそびえたつその建物は、社会から隔絶された離れ小島のようにも見える。
兄に連れられ受診した父は医師に勧められるまま淡々と入院を受け入れ、結果的にそこで3か月を過ごした。
来る日も来る日も父の飲酒に振り回されてへとへとになっていたわたしたちは、束の間の休息にこっそり安堵した。
そしてその後ろめたさを振り払うかのように、高速を飛ばしてせっせと面会に通った。
手作りのお弁当を持って、海沿いの景色を眺めながら車を走らせる。
カーステレオから聞こえてくるのはハルキが好きな戦隊ヒーローの主題歌だ。
ふと、自分たちが海辺のドライブを楽しみにきただけの親子連れのような錯覚に陥る。
けれど青い空の向こう、流れる雲の遥か先に待っているのは輝かしい未来ではなく、どこにも行きつけない悲しい心の集まる場所だ。
病院の駐車場に車を止めると、夫はハルキを連れて海岸へ降りていく。
わたしはひとりで薄暗く錆びれた長い通路をたどり、閉鎖病棟へと向かう。
面会場所の食堂は暗く殺風景で、一般の病院とは違う独特の雰囲気をまとった患者たちが、思い思いに時をやり過ごしている。
虚ろな表情で車いすに座り、その下に置かれた新聞紙にだらだらと汚物を垂れ流している男性は、骨の形がわかるほど痩せていた。
かろうじて動ける人たちもまったく生気が感じられず、足を床に擦りつけながらうなだれるようにずるずると歩いている。
その中にいると、父はまだましなほうだと思えた。
わたしは面会のたびに、バカのひとつ覚えのように「調子はどう?」と尋ねた。ほかに何を話したらいいかわからなかったのだ。
すると父はたいてい苦虫をかみつぶしたような表情で「家に帰りたい」と言う。
わたしは顔をひきつらせながら父を諭す。
「もう少しがんばろう、このまま帰ってもまた同じことだよ」
わかっている。
必死に押しとどめようとするのは、父のためでなく自分のためだ。
アルコール依存症は完治しない病気なのだ。
本格的な依存症のレベルまでいってしまうと、一生断酒するよりほかなくなる。
しかし実際にそうできる人は、ほんの一握りでしかない。
入院治療までしても再飲酒してしまう割合は、退院直後でも2割、1年後にはなんと9割にもおよぶというデータに、わたしは愕然とした。
一度依存性を持ってしまった人間は、たったひと口飲んだだけであっという間にコントロールの効かない連続飲酒の地獄に引き戻される。
そんな現実を知れば知るほど、退院の日が近づいてくるのが恐ろしくなった。
少なくとも今の父には、踏みとどまる理由など何もないのだから。




