41 父から笑顔が消えた日
10月の終わり、あすなろ園では運動会が行われた。
抜けるような青空の下、園庭に響き渡る軽快なBGM。
はちまきをギュッと締め、真剣な面持ちでスタート地点に並び、よーい、どんの合図で弾けるように園庭を駆け抜けていく子どもたち。
保護者の出番もたくさん用意されていて、借り物競争に障害物リレー、わが子を肩車しての親子体操と大忙しだ。
かわいい孫の晴れ姿を一目見ようとやって来たおじいちゃんおばあちゃんたちも引っ張り出された。孫に手を引かれて「じーじ、こっちだよ」と言われればひとたまりもない。
父も最初は抵抗していたが断り切れず、ほかの祖父母たちに交じって玉入れをする羽目になった。そして、園児たちがみんなで拾い集めたという参加賞の銀杏を手に、観覧席に戻ってきた。
そうだ、覚えている。
あのとき父は、ちょっと照れくさそうに笑っていたのだ。
それからのわたしの記憶は曖昧で、どうやって父から笑顔が消えていったのかを正確に記すことは難しい。
途切れ途切れにつけていた日記を読み返してみても、母親としての葛藤や職場での人間関係の悩み、そして生活の厳しさばかりがつづられている。
12月10日
ハルキをいっぱい叱った。
いつまでもぐちぐちといじわるを言って。
仕事に出たら
少しは優しくなれるんじゃないかと思ってたのに
なにもかも子どものせいにして、八つ当たり。
委縮して声がだんだん小さくなるハルキにますますイライラし
怒り続けてしまう。
「そんなこと言うと
ママのこと嫌いになるよ」って
ハルキの精いっぱいの自己主張。
他の人に怒ったりはしないのに
自分の子ども対してはどうしてもうまく距離が取れない。
ハルキはこんなにいい子なのに
ヒステリックになって責めてしまうダメな母。
3月15日
くだらないひそひそ話
誰かをおとしめようとする群れに
入っていれば安全だけど
そんな毎日は楽しいかい?
つまらない人生だね
誰のことも信じてはいけないと
いじわるな笑顔がささやきかける
4月19日
大嫌いな大嫌いな人たち
失敗を神経質に叱らないで
成功を妬みのジョークにしないで
ただ平和に過ごしたいだけなのに
疲れたよ
この生活に疲れたから
こんなイライラしてるのかな。
欲しいものは何も買えず
何もかも思い通りにならない。
小さな部屋で親子3人ひしめき合って
狭くてものを片付けることもできない
お金も時間も自由にならない。
仕事中ヒステリックに怒鳴ってた同僚。
ハルキの目から
わたしはあんな風に見えるのか。
もう少し優しいママになりたい。
本当はこの仕事辞めたいよ。
もっと余裕を持って
みんなに優しくできるように。
会社は家からすぐだったけれど、昼休みも家には戻らなかった。
父の昼食は作り置き、自分はコンビニで買ったパンやおにぎりを公園のベンチで食べながら、図書館で借りた本を読んだ。
ほんのわずかでも自分のためだけの時間を作らなければ、息が詰まって頭がおかしくなりそうだった。
当時のスケジュール帳を見てみると、父は12月に一度体調を崩し、遅くとも翌年の5月には抗うつ剤を服用し始めている。
なのにその間の父のようすに関しては、何も書き残されていない。
わたしが自分のことにかまけている間に、父の体調と精神状態はどんどん悪化していったに違いなかった。
いや、本当は父の変化に気づかなかったわけではないのだ。
わかってはいた。
表情が暗くなり、食事を残すことが多くなり、畑に出ることを億劫がるようになり、ハルキを送ってくれることも次第に少なくなっていると。
しかし調子が悪いのかと問うてみても、「ああ、大丈夫だ」と答えるだけの父に、それ以上どう踏み込んだらいいのか、そもそも踏み込んでいいのかさえも、わからなかったのだ。
わたしにとって父は、相変わらず近寄りがたく畏れ多い存在のままだった。
いくつになっても父の前に出ると、緊張で声が上ずってしまう。いくら平静を取り繕ってみても、孫を間に立たせてみても、本質は少しも変わっていないということを思い知らされる。
父ときちんと向き合うのが怖かったわたしは、ちょっと疲れただけだろうとか、季節の変わり目だから仕方ないとか、母の命日が近づいてきて気が滅入るのだとか――とにかく父の不調は一時的なもので、すぐにまた元気になる、そう思いこもうとした。
けれど父の病状は、そんな生易しいものではなかった。
覚えているのは、憔悴しきったようすの父が切羽詰まった表情で、出勤前の兄に向かって「精神科に連れて行ってくれ」と懇願している光景だ。
「なんだかよ、死にたくなっちまうんだよぉ……」
震える声で、父はそう言った。




