4 前触れ
当時のことを振り返ってみれば、その予兆はここかしこにあったのだ。
わたしがそうと気づいていなかっただけで。
そう、確かあれは、付き合い始めて半年ほど経った頃だった。
その日彼は、ひどく体調が悪そうだった。青い顔でぐったりとしていて、いくらか熱もある。
聞けばお腹が痛いという。
「大丈夫、少し休めばよくなるから」
そう言われても心配で、強引に泊まり込んで看病した。
が、一晩経ってもちっともよくならない。
ただ事ではないと翌朝無理やり病院に連れて行くと、盲腸との診断。それも、白血球の数が異常に多く、腹膜炎を起こしている可能性があると。
「このまま緊急手術になります」
が、彼はなぜだか躊躇った。
「いや、入院はちょっと……考えさせて下さい」
「は?」
医師が信じられない、という顔をした。
「別にいいですけど――ただ、命の保証はしませんよ?」
わけがわからず「どうして?」と尋ねると、苦痛に顔を歪ませながら彼は答えた。
「お金、ないんだ……」
まだ若く、社会に出たばかりの彼。
家が貧しく、奨学金でなんとか大学に行ったことも聞いていた。
お金がないことも、簡単には実家に頼れないことも納得がいった。
結局、押し付けるようにして手術代を立て替えた。
コツコツ貯めていたアルバイト代はあっというまに消え去ったが、そんなことはどうでもよかった。
案の定、盲腸はすでにお腹の中ではじけていたからだ。
「もう少し遅かったら危なかったですよ」
医師のことばに背筋が凍った。
その次は、結婚の話が具体的になってきた頃のことだった。
一緒に住んだらどういう生活になるんだろうね、とあれこれ話しているうちに、彼が何やら緊張した面持ちで切り出した。
「実は俺……借金があるんだ」
聞けば、わたしと付き合い始める前に、派手に遊び回ってお金を使ってしまったのだという。
「だから、これはすごく勝手な言い分なんだけど、できればしばらくの間、俺の給料はその返済に充てたいんだ。それが終わるまで、冬子の給料だけで生活させてもらえないかな」
わたしは、あっさりとその申し出を受け入れた。
お金がないことにはすっかり慣れていたし、わたしに出会う前の彼は、どうにもやりきれない辛さを抱えていたのだろうと思えたからだ。わたしがそうであったように。
何よりそのときまで彼は、わたしが背負っているとんでもない過去や複雑な事情を、何の迷いもなく一緒に背負ってきてくれていた。
そんな姿を見ているうちに、わたしはいつしか思うようになっていた。
結婚するということは、いいものも悪いものも全部ひっくるめて、互いの荷物を一緒に背負っていくことなのだと。
でも、このときのわたしはまだ気がついていなかったのだ、彼の荷物が想像を絶するほど大きなものであることに。
それは、一歩間違えば2人の人生を押しつぶしてしまうほどに、重く根深いものであった。