33 最後の一滴
義父は細かい人だった。
ご飯が固い。
トーストの焼き方が足りない。
おやつの饅頭が甘すぎる。
カーテンが汚れている。
掃除の仕方が悪い。
機嫌がよければ人好きのするオヤジだ。陽気でテンポのいい軽口、人懐っこい笑顔に誰もが気を許す。けれどひとたび気に入らないことがあれば容赦なく周囲を傷つける利己的な無神経さを持っていた。
義父はある時期からわたしのやることすべてに否定的な態度をとるようになった。
ご飯を多めによそえば「冬子ちゃんが大盛にするせいで、最近ズボンがきつくてかなわん」と嫌みを吐き捨て、里帰りの前に惣菜を作り置きしていけば「あんなにも食べきれんわ」と文句を言い、布団を干したら「これでは暑くて眠れん」と渋い顔になり、歪んだドアを直してくれたお礼を言うと「壊れてても誰も苦にならんのかと思ってなぁ、俺は毎日苦になっとったわ」と皮肉を返してくる。
自己肯定感の低いわたしは、うまくいかないことは全部自分のせいだと考えてしまう癖がある。このときも最初はやはりそうだった。
わたしのやることは、どこかずれているに違いない。
もっと相手の気持ちを考えなくては。
そして、何を言われても笑って受け流せるくらい逞しくならなくては。
が、自分自身に多くを要求しすぎるのもわたしの悪い癖だ。
その気持ちは空回りしてどんどん自分を追い詰めていく。
余裕を失い、義父との関係はギクシャクする一方だった。
そんなある朝、いつもの時間になっても義父が起きてこなかった。
寝坊?
まさか具合でも悪いんじゃ……
声をかけるのは憚られたが、とにかく仕事に支障が出たら困る。
悩んだ挙句、ふすま越しに呼んでみた。
「……お義父さん。もう朝だよ?」
ああ、すまんと薄くなった頭をかいて起きてくる義父の姿を想像していたわたしの目の前に現れたのは、いまだかつて見たこともないほどに不機嫌な義父の顔だった。
「……俺は、あんたに起こしてくれと頼んだか!?」
あとから知ったことだが、その日はたまたま急ぎの仕事がなく、久しぶりにゆっくり寝るつもりだったらしい。
仕方なかったのだ。
それを邪魔されて苛立った義父にも、声をかけたわたしにも、悪気はなかったのだから。
そう思って受け流すことは、けれどわたしにはできなかった。
そのできごとは、あふれる寸前のコップに落とされた最後の一滴だった。
もういい。
よけいなことはしない。
わたしの心は冷え冷えと凍り付いていった。
それからというものわたしたちの関係は加速度的にこじれ、義父はわたしの人格を否定する言葉を吐くようになった。
ハルキが少しでも意地を張ろうものなら鬼の首をとったかのように「お母さんに似て頑固だわ」とうそぶき、またあるときは意味深な口調で「ハルキはいい嫁をもらえよ」と言う。
果ては、「あんたのお母さんも、あんたの姉さんとこのお母さんも早死にだったからな。それであれも早く逝ったかわからんな」と、義母の死さえもわたしが嫁に来たせいにされた。
そんなにわたしが気に入らないなら、なぜ一緒に住もうとするのか。
体裁のため?
お金のため?
相変わらず夫に金をせびって遊び回り、銀行からは逃げ回り、そのくせこの家を手放すのは嫌だという。その先に待っているのは破滅だと、この期に及んでどうしてわからない?
みんなで一緒に乗り越えようと思ってきた気持ちは、すっかり失われてしまった。
義父の顔を見るたび、足音を聞くたびに嫌悪感だけがつのる。
なのになぜこの人の世話をし、この人が作った借金のために働かなければならないのか。
お金、お金、お金。
見栄と欲に傾いた義父の生き方が招いた結果なのに、どうしてわたしたちまで巻き添えにするのだろう。
息子や孫の人生を壊しながら、どうして普通の顔をしてそこにいられるのだろう。
それまでずっと、嫌悪や怒りや憎しみに崩れ落ちそうになる心を必死になだめて押しとどめてきた。けれどそれももう限界だった。
自由になりたい。
ささやかな暮らしでいい、自分たちのために生きたい。
冷え切った心で黙々と家業を手伝いながら、そのことばかりを祈り続けていた。




