表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
備忘録2 親を捨てる  作者: 小日向冬子
修復不可能
31/57

31 義母の旅立ち

 すでに脳に癌が転移していた義母は、病院から生きて帰ってくることはできなかった。


 目の焦点も合わず会話をすることもかなわないままベッドの上で発作を繰り返し、それでも数週間を耐えたのちに、とうとう息を引き取った。


 義母を看取ったあと義父は、何度も狂犬のように医者に食ってかかった。


「あんなに元気になってたのに、おかしいやろ!」


 と。


 けれど義父をずっと見てきたわたしには、それが悲しみのあまり口を衝いて出たことばだとは思えなかった。

 義父はただ、苦しむ妻から逃げ続けた自分を認めたくなくて、医者に責任転嫁しているだけ。そんな風に思えて仕方がないのだった。




 ゆっくりと悲しむ暇もないままに、慌ただしく葬儀の準備が進む。

 どうしてもこの家から送り出したいという義父の希望で、1階の仕事場に祭壇が設けられた。


 田舎から通夜にかけつけてくれた大勢の親戚のために、ありったけの布団を用意し食事の準備に走り回る。

 一方義父と夫は、もらったばかりの香典袋からせっせと中身を引き出していた。そうしなければお坊さんへのお布施も払えなかった。



 告別式には、夜通し車を走らせて父と兄も来てくれた。


 父と目が合った瞬間、張り詰めていた気持ちが緩んで思わず熱いものが込み上げてきた。最後までゆっくりことばを交わす暇もなかったけれど、その顔を見るだけで、義母の死を悼む以上にわたしを心配してくれていることが痛いほどに伝わってきた。



 ようやく無事に義母を送り出し潮が引くように親戚たちが帰って行くと、それを待っていたかのように、滅多に病気をしたことのないハルキが高熱を出した。

 それから何週間も病院通いは終わらず、この子にどれほど我慢をさせていたのかと思うとたまらない気持ちになった。



 そしてもうひとつ、わたしたちを待っていたのは、さらなる借金の山だった。


 父から追加で借りたお金の大半は、返済に充てる前に義母の治療費に消えていた。

 葬式代も結局香典だけでは足りず、車を売ってなんとかしのいだ。


 そんな状態でも義父は、平気で何十万もする豪華な仏壇を購入し、七日ごとに坊さんを呼んではお経をあげさせた。そのたびに面白いほどあっけなく万札が飛んでいく。

 さらにお墓も必要だといって、相談もなくその寺の本堂に近い墓地を購入してしまった。


 しかし、義父が見栄を張って供養の体裁を整えようとすればするほどに、わたしたちの気持ちは冷めていった。

 そんなことをするくらいなら、どうして生きているときにもっと一緒にいてやらなかったのか。不安と淋しさでいっぱいだったであろうたくさんの夜、義母に寄り添ってあげなかったのか。


 ほどなく義父は、また毎晩ふらふらと遊び歩くようになった。

 その姿をみかけるたびに、置き去りにされた義母の怒りと悲しみに満ちた声が思い出され、やりきれない気持ちになった。


 妻に苦労をかけ続け死なせてしまった後悔が義父を真人間にしてくれるのではあるまいかという微かな期待は、もろくも打ち砕かれた。


 結局義父は、自分はなにひとつ痛まないままで、愛する妻を亡くした可哀そうな夫を演じようとしているに過ぎなかった。




 当然のように返済はまた滞り始め、あとはもう家を手放すしか手がなかった。


 あと十数年、義父が75歳になるまで続く毎月30万円の住宅ローン。

 ほかにも借金はまだあったが、一番負担の大きいそれさえなくなれば、細々と4人で暮らしていけないことはないだろう。


 けれど、義父は頑としてその提案を受け入れようとしなかった。


 おそらくあの家は、思い出や見栄やプライドがぎっしり詰まった義父の人生そのものだったに違いない。

 けれどここまでの状態になってなおそれに執着することは、息子や孫の人生までも犠牲にすることにほかならなかった。



 そうしてわたしたち家族は、八方塞がりの先が見えない借金地獄に、あっという間に逆戻りしていったのだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ