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備忘録2 親を捨てる  作者: 小日向冬子
新しい家族
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26 ヒロくん

 じりじりと日差しが強くなっていく季節。

 公園からも子どもたちの姿が消えていく。

 それでもずっと家にいるのが苦しくて、涼しい時間を見計らってはハルキを毎日外へ連れ出した。


 そんな夏のある日、近所の公園に行くと見知らぬ親子がボール遊びをしていた。

 いつものように顔をひきつらせ後ずさりするハルキ。


 わたしは、人懐っこい笑顔で走り寄ってくる男の子に謝った。


「ごめんね、この子、ちょっと怖がりでね。お友達と遊ぶのが苦手なんだ」


 その子はがっかりしたようすで、お母さんのところに戻っていった。



 が、しばらくすると男の子はふたたびボールを持ってやってきた。

 そしてハルキに優しく声をかけたのだ。


「一緒に、やろ?」


 眉をひそめ、身を固くするハルキ。


「こら、ヒロ、無理強いしないの。ボク、嫌だったら嫌って言っていいんだからねー」


 慌てて飛んできたお母さんは、とてもきれいな顔立ちをしていた。なのにそれを鼻にかける風でもなく、地味な身なりで子どもと一緒に泥だらけになって走り回っている。


 ――なんか、いい人そう。


 その直感はどうやら間違いなかったらしく、初めて会った相手なのに気がつくとすっかり話しこんでいた。



 ハルキよりひとつ年上のヒロくんには、お父さんがいなかった。


「結婚する前に別れちゃったんだ。でも、どうしてもこの子を産みたくて」


 だから今は実家に置いてもらってるの、と彼女は笑った。


 ハルキが子どもと遊べなくなったいきさつを話すと、彼女はしみじみとつぶやいた。


「感受性が強い子なんだね……」



 そうするうちに、子ども同士もほんの少しずつ距離を縮めていった。


 ヒロくんは、ハルキの嫌がることは決してしようとしなかった。

 ハルキの反応をちゃんと見ながら、そっとそっと近づいてきてくれる。


 一方ハルキもわたしの背中に隠れながら、ヒロくんのようすを何度もうかがっていた。

 ――君さ、本当に、僕のこと傷つけない?

 そう問いかけているかのように。


 何度も何度も繰り返されるやりとり。

 ヒロくんの濃やかな根気強さに、ハルキのガードが少しずつゆるんでいく。


 そしてとうとうハルキは、ヒロくんに向かっておずおずとボールを投げ返した。


 あの日から、8か月が経っていた。




 それから毎日のように一緒に遊ぶようになったヒロくんとハルキ。

 長い時間を過ごすうち、彼女はぽつりとこんなことを言った。


「わたし、水商売やってたんだよね。ヒロの父親は、そのとき知り合った人」


 化粧っ気のない彼女だったが、眉だけはいつも不釣り合いなほどに細くきれいなアーチ状に整えられていた。


 けれどそんなことはどうでもよかった。

 何よりも、ヒロくんを見ていれば彼女がどれほど心を砕きながら子育てをしているかがよくわかった。


 いつも笑顔で、さりげなく周囲に気を配っていた彼女。

 おもちゃも服も決して高いものではなかったが、ひとつひとつが使い込まれ清潔に保たれていた。


 牛乳のパックで作ったプラレールの収納庫。

 擦り切れてはいたけれどいつもきれいに洗われていたヒロくんの運動靴。

 材料費が安くて済むのとおやつに持ってきてくれた手作りのスイートポテト。

 お弁当を作って自転車で遠くの公園にも出かけた。

 花を摘み、ブランコをこぎ、ボールを追いかける。


 そうしていくつもの季節をヒロくん親子と過ごすうち、ひきつった笑顔しか作れなかったハルキが楽しそうに笑うようになった。



 気がつくと、ハルキは子どもを怖がらなくなっていた。





 次の春、ひとつ年上のヒロくんは保育園に通い始めた。


「わたしももう働かないといけないしね」


 親子ふたりで生きていくために看護学校に通って看護師になるのだと言って、最後に手書きのスイートポテトのレシピをくれた。



 振り返ってみれば、たった半年余りのおともだち。

 けれどその日々の意味はあまりに大きくて。


 公園を走り回る子どもたちを見かけると、今でもふと考えたりする。

 暗いトンネルで立ちすくんでいたハルキにそっと手を差し出してくれたあのヒロくんは、今頃いったいどんな大人になっているのだろう、と。


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