22 苦しい子育て
今でもときどき思い出す。
幼いハルキを背中におんぶして、線路際を何時間も歩き続けた日々を。
乗り物が好きな赤ん坊だった。
目の前を車や電車が通り過ぎると、目を見開き、手足を動かして喜んだ。
いつまでたっても上手くあやすことができなかったわたしは、暇さえあれば電車を見に連れて行った。
不器用な母には、そのくらいしかしてやれることがなかった。
ハルキの豊かな重みで食い込んでいくおんぶひも。
ずしりとした肩の痛みと疲れ切った体が、心を楽にしてくれた。
大丈夫、おまえは精一杯やってるよ。
そう言ってもらえてる気がした。
けれどハルキだって、いつまでも赤ん坊のままではない。
自分の足で歩きだし、興味にまかせて動きまわる。
そんなわが子を、わたしは次第に持て余すようになっていった。
よちよちとベランダに出て行きたがるハルキ。
うっかり段差でつまずいて、どこかに強くぶつけたら?
ガラス戸に寄りかかって手をはさんだら?
あれこれとシュミレーションし、不安でたまらなくなる。
ひきつった笑顔を作り、優しげな声を作る。
「そこは危ないからダメだよ」
「そっちにいくと、あんよが汚れちゃうよ」
口うるさく押しつけがましい母親にだけはなりたくなかった。
なのにわたしの頭の中はいつも禁止事項でいっぱいだ。
どこまでを許し、どこから止めたらいいのか。
その基準がわからずにすっかり混乱し、ハラハラ、おろおろするばかり。
やがて食べ物を握りつぶして遊び、物をわざと落としはじめた。
どれもこれも、小さい子どもがよくやることだ。
頭ではよくわかっている。
なのにどうしても許せない。
わが子に向ける視線が、固く強張っているのが自分でもわかった。
子どもらしい好奇心もかわいい悪戯も、何ひとつ笑って受け止めることができない。
口にするのは「ダメ」ばかり。
はみだす部分を抑えつけ、カチカチと決まった枠に入れようとする。
違う、これじゃいけない。
もっと大らかに受け止めてあげなくちゃ。
わかってるのに、頭と心はバラバラだ。
それでも誰かがいてくれれば、その葛藤もなんとかやり過ごせた。
その人がハルキを微笑ましい気持ちで見てくれているのがわかると、わたしも一緒に笑っていられた。
だから、ふたりきりで過ごす時間が怖くて仕方なかった。
わが子をちゃんと愛せない自分を嫌というほど見せつけられる、容赦ない裁きの時間。
それがたまらず苦しくて、毎日ハルキを背負っては長い散歩を繰り返した。




