ヒロシマの声ー戦後70年が経った今、被爆した人が運ばれた島からのメッセージー
2015年8月4日午前6時10分ー。
『ー電車が入ります。ホームの内側まで御下がり下さい』
私は遠く離れた東京から新幹線で、広島県にやって来た。8月の広島といえば、『原爆』という単語が真っ先に思い浮かぶ。そう、私は記者として広島原爆の取材に来たのだ。これから行く場所は似島(にのしま)という島で自然豊かな島ーだそうだ。人口は1000人をきり、65歳以上が多い島。牡蠣の養殖も盛んで、堀口の牡蠣は広島が決めたブランド商品だそうだ。初めて訪れた広島の地を確かめるように、電車から降りた。ガラガラといつものように煩いキャリーケース。首から下げた一眼レフは塗装が少し剥げてきてる。そろそろ変えようかと思いつつ、ターミナルの自動ドアの向こうに消える。東京ではあまり見れない広大な海が目に入り、すぐにデッキに出た。赤と白の灯台の間を通って来たのは、似島を繋ぐ1本のフェリー、第十こふじ。富士山よろしく船底が青で上が白というThe和風。私はこふじから乗客が降りてから、船に乗った。運賃がちょっと高い気がするのはさておき、窓から見える景色は最高だった。25分過ぎると小学生や中学生が乗ってきた。中学生ならまだ分かるが、何故小学生までこの便で来ているのか、そして小学生までもが基準服で来ている。今日は何かあるのだろうと思い、1人の女子中学生に聞いたところ、今日は慰霊祭だそうだ。本来、平和式典は8月6日だ。ならば6日の日にすればいいものを…と思うのだが、そこは敢えて言わない。20分程船に揺られていると、目的の似島に着いた。話の通り、美しい島だった。下船すると、釣り客も見えた。小学生たちは下船許可が出ると猛ダッシュで桟橋を上がって行った。本当に綺麗な島だ。潮の香りがすぅっと身体に溶け込み、それこそ正に平和といっていいもの。しかし、私は小中学生に1つ聞き忘れたことがあった。そう、慰霊碑がどこにあるか、を。自分のミスに声をあげ嘆いていると、
「どうしたんだい?お嬢さん」
振り替えれば革のつなぎを着た男性がタバコをくわえて話し掛けてきた。
「…?どちら様でしょうか?」
「俺か?牡蠣の養殖業をしている、大下由喜(おおした・よしき)だ。よろしく」
指は太く、ゴツい大きな掌を差し出してきた。私はとりあえず握手をする。目を見ると綺麗な漆黒で、キラキラ光っていた。
「で、困り事は?」
由喜さんに言われて気が付いた。そうだ、慰霊碑のことを…………
「ま、この時間の船で来るってことは慰霊碑参拝なんだと思うけど」
なんで分かったの!!?;;;;;;動揺が隠せれません……。
「連れていってあげるよ、慰霊碑まで」
後ろの軽トラを指差し乗るよう促す。
「…………では…お言葉に甘えて……」
山の中で強姦されるかもというのは、左手を見てすぐ消した。結婚指輪があったから。
ー車に揺られること15分。私が目指していた慰霊碑に到着。前の方にお偉いさんが真ん中辺りに一般の方、後ろに小中学生が座っていた。みんな真剣な表情で祈っている。さっきまで船でキャッキャキャッキャ言っていた小学生も。私は敢えて焼香はしなかった。ただ、真剣な眼差しの子供たちを見ていた。
1時間にも及ぶ慰霊祭はようやく終わり、子供たちの元気な声が聞こえた。
「それで、今からどうするの?お嬢さん?」
ここまで連れて来て下さった由喜さんが聞いてくれた。
「まだ、戦争に関係のある建物とか…ってあります?」
この慰霊碑だけでは記事なんて書けやしない。だから、戦争に関係のある建物を探す。
「それなら………小学校とか自然の家に寄ってみる?」
由喜さんが似島小学校にお子さんがいらっしゃったおかげで小学校の図書室に入ることが出来た。戦争当時の似島を写した写真が何枚か展示している。検疫所の写真や消毒風呂に入っている写真。ここに展示している写真の何枚かはまだ似島に残っているそうだ。
自然の家は当時最大の検疫所があった場所で原爆投下されてから臨時の野戦病院になった。1万人の方が運ばれ、手当ての甲斐もなく死んでいったー。
見学している内に10時になった。まだ広島市内も行かなくてはならないので、由喜さんに頼んで彼と出会った家下(やじた)の桟橋まで連れていって貰った。その車の中で戦争に関する「にのしま」っていう歌を由喜さんは歌ってくれた。
似島は緑の島 明るい太陽の島
青い海があって 青い空があって
波は静かに打ち寄せる
誰が知っていると言うのだろう 30年前のその姿を
折り重なって死んだ 叫びを埋め
白い雲が飛ぶ あぁ、似島
決して許しはしないだろう 30年前のあのことを
海に空に山に 傷痕深く
今日も生きている あぁ、似島
似島は緑の島 明るい太陽の島
青い海があって 青い空があって
波は静かに打ち寄せる
これは原水爆禁止大会が似島で行われた際に作られた詩を歌ったものだ。美しい似島にはぴったりの詞だ。
10時10分ー。第十こふじが家下の桟橋に着いた。
「そういえば、お嬢さんの名前を聞いていなかった。なんて言うの?」
やっぱり聞かれたか…。最後まで隠すつもりだった。でも、多分似島に来ることはないと思うから、言う。
「名前は平野和代(ひらの・かずよ)。名前に平和が入っているの」
それだけ言うと船室に消えたー。