1-2 絶望と希望
「小銃用意、指切り撃てーっ!」
よく通る壮年の女の声が横から響き、次の瞬間、石畳の上で銃弾が土埃を巻き上げる。
いきなり銃弾を振り撒かれた少女は、身をすくませて「ぎゃー!」と女の子らしからぬ悲鳴を上げる。
「た、助けて! 怪物じゃないです! 人間です!!」
耳を塞ぐ事も忘れて少女が叫ぶ。幸いまだ、かする程度だ。
怪物は少女より銃弾の脅威を嫌ったらしい。
分厚い筋肉を盾代わりにかざしながら、悪鬼の様に瞳を強く輝かせて振り向く。
「攻撃止め! そこの少年、死にたくなければ壁際まで飛べ」
鉛玉でできた横向きの雨が止まる。
少女はその隙に慌てて飛び退き、足の痛みに悶えながら転がって逃げた。
一方で怪物も攻撃の圧力から自由になり、石畳を砕く轟音と共に走り出す。
怪物は熊以上の大質量だ。
ただの体当たりでも、人間を砕いて余りある。
瓦礫ごと轢き殺そうとする怪物に、その後ろにいた兵士達が慌てて飛び出す。
怪物は人間の隠れている場所がわかるらしい。迷わず突進を繰り返し、逃げ足の遅かった兵士から無惨な姿に変えていく。
「そろそろか、全小火器及び攻撃魔法使用許可!」
苛烈なまでに冷静な女の声が命令を下す。兵士達は意識するより早く突撃銃や迫撃砲の引き金を絞り、怪物ごと周囲を破壊する。
それだけではない。後方にいた兵士達が、淡い光を纏った杖を振るう。
軌跡によって描かれた魔法陣と、低い声で唱えられた呪文によって、怪物にむかって紫電の魔法が放たれる。
魔法による攻撃を最後に、怪物が沈黙する。
女の「沈黙確認」の言葉を待って、全員が武器を下ろした。
「斥候を出して周囲を確認。必要な者に手当を急げ――少年、いや、少女か? こちらは警衛団シリウス小隊。隊長のアモレ・アンダール少尉だ。無事か?」
有能な軍人らしい端的な言葉で、歩み寄りながら自己紹介を済ませるアモレ少尉。
「さっきのアレは、怪物は?」
「怪物……? そうか、"終わりの夜"を直接見たのは初めてか」
少女の横に膝を着くと、手袋を外して手早く触診を行う。
堅い手で足の怪我に触られて、悲鳴が上がる。
「動くか? 無理そうだな。折れているんだろう」
アモレの言葉に後ろの兵士達が動揺し、一人の男が手を挙げる。
「少尉、集合時間が迫っています。けが人を背負っては」
「まだ、十二、三の子供だ」
「遅れれば、全員食い殺されます」
アモレ少尉が口元を引き結んで、「分かっているが」と呻く。
少女には状況がわからない。
ただ、自分が目の前の恩人を困らせているらしい。
「……大丈夫ですよ」
アモレ少尉は驚いて顔を上げる。信じられないと。
「少尉さんは急いでるんですよね。行ってください」
怖くないわけがない。だから、私は笑えているのかなと不安に思う。
「バカな、死ぬ気か?」
「大丈夫かもしれません。ほら、一度は助かったんですし」
楽観的な少女をアモレ准尉が怒鳴りつけようとするが、そこに声が飛び込んだ。
「前方から中型砲竜が二体、小型犬頭種が十体、来ます!」
警戒していた斥候の声に、全員が慌てて立ち上がる。少女はアモレ少尉に、荷物の様に抱えられていた。
「連れて帰るぞ。この小娘には、命の大切さについて説教をする必要があるらしい」
堂々とした宣言に、後ろの兵士達が笑いながら小銃を掲げて賛同する。
「接触まで十秒!」
「一撃して離脱する! 中型の相手は砲兵に任せろ。全火器及び魔法、使用をーーっ」
腹の底を揺らす重低音。風を切る音。
直後、巨大な弾丸が衝撃波と共に飛び抜け、近くにあった建物に着弾、粉砕する。
誰もが衝撃波にあおられて転がされ、飛び散る建物と砲弾の破片に蹂躙される。
「どこからだ!」
「背後に敵影! 距離三百五十、中型一と小型四!」
悲鳴の様な報告で目を向ける。
少女を追いつめた犬頭を引き連れて、民家ほどもありそうなトカゲもどきが、巨大な口を開けていた。
先ほどの砲撃の余韻か、そこから白煙が上がっている。
さらに、正面に視線を戻せば状況が悪化していた。
先に報告されていた前方の敵が、瞳を赤く光らせて距離を詰めて来ていた。
誰かがつぶやく。諦めの声が上がる。
「ムリだ、もう……」
一体にも苦戦する歩兵が十四。そして衝撃波と瓦礫をまき散らす移動砲台が三。そんな絶望的戦力が、自分たちを挟むように展開している。
アモレ少尉は敵を睨んで銃把を握りしめているが、一人で何体道連れにできるか。
少女の心に、あの黒い液体で溺れた時のような絶望がわき上がる。
「…………」
そんな時、風に運ばれて誰かの声が聞こえた気がした。
「……誰かの、歌?」
「♪………………」
「くそ、どんなバカが歌ってやがる!」
少女の幻聴ではないらしい。悪態の声が上がる。
死ぬか、死なずに帰れるか。誰もが戦う中で、歌うような人間が居るはずがない。
「♪…………見えなくなった時でも」
「いや、これは」
近づいてきた若い女の歌声に、背中を押されたようにアモレ少尉が立ち上がる。
最前線で戦ってきた少尉は、その歌の意味を知っていた。
溶岩のように炎を吹き上げる、崩壊しかけた街の上空。
そこに、空間を揺さぶるほどの魔力が現れていた。
誰かの操る鋭い光が闇を切り裂き、燐光を放つ魔力の粒子を従えて、長大な軌跡を夜空に描く。
やがて街を丸ごと覆うほどの巨大さで、緻密な魔法陣が組み上げられていた。
「♪カッコ良く、諦めるなんて言わないで」
その歌声に合わせ、魔法陣による『構成』を経た魔力が脈動を開始する。
仰ぎ見る者の魂まで照らすような光の波。
触れられそうなほどに濃い、暖かな力。
それはまさに、
「大丈夫か?」
いつの間にか態勢を立て直した少尉と仲間達が、突進してくる犬頭を相手に、防御らしい魔法と小銃で奮闘を再会していた。
「……あれは?」
少尉に抱き上げられながら、少女は魔法陣の中央で特に輝く光へと手を伸ばす。
あれが希望だと思った。
あの輝く姿があるだけで、心の折れた兵士が立ち上がり、もう一度戦おうとする。
それが希望でなくてなんだろう。
「あれが、アイドルだ」
少尉の言葉に応えるように『詠唱』は最後の一節を高らかに響かせ、その集めた力を全てつぎこんだ大魔法を世界に呼び出す。
「――♪私たちが星の代わりに道を照らすから!」
光の柱が轟音と共に街に降り立つ。地上の者が浮く程に大地を揺らす。
発動前ですら物理的影響を持っていた大魔力の産物。
それが今、兵士達を追いつめていた怪物を丸ごと飲み込みながら、縦横無尽に駆け回っている。
小型の敵さえ吹き飛ばないような個人の魔法と比べれば、蝋燭と太陽のような差だ。
「あれが……」
集められた魔力を使い果たし、やがて魔法は緩やかに消える。
そして、魔法を使い続けていた光の源が降りてきて、街を見回るように円を描きながら飛んでくる。
真剣な眼差しで、しかし見る者を安心させるような笑顔で飛び回っていたのは、女の子達だった。少女より少し年上の、まだ幼さが残るような年頃に見えた。
「あの人たちが、アイドル」
少女はその言葉を、胸にぎゅっと、抱きしめた。