2-2 訓練と課題
「いっちに、さんし!」
「「「ごーろっく、しちはち!」」」
夕時。独立儀式巫術大隊の訓練場に、女の子達の声が響き渡る。
「アイドルたるもの!」
「「「笑顔がいのち!」」」
アイドル訓練生である彼女達の日課、マラソンのかけ声だ。
一般の兵士ほど重い装備は無いが、それでも十四、五歳の少女には堪える距離を、毎日の様に走らされる。
「十キロ走って!」
「「「いつでも笑顔!」」」
その訓練生達の中に、二ヶ月ほど前からレゾとトゥラも混じっていた。
他の訓練生にもばれないように、レゾがこっそりと声を落としてつぶやく。
「訓練生になって意外だったことー」
「なんだよ、いきなり」
一時間にもなるマラソンだ。体力が残っている内は、バレないならば問題ないと、こっそり話す事もある。たいてい、後で無駄話をするんじゃ無かったと後悔するが。
「その一、アイドルの訓練で、まず徹底されるのが『走り込み』ってこと」
「何よりまず体力だからな。仮にも軍属だし。魔力が無くなれば走って逃げるしかないし」
「わかるよ。そうだよ。それでもさー」
レゾが走りながら器用に肩を落とす。
足りないと言われていた魔力ではなく、体力でこんなに集中訓練させられるとは思っていなかった。
歌や踊り、魔法の練習が主だと思っていたのだ。
ところが、一番多く時間が割かれたのは走り込み。次に基礎体術や、登攀訓練、長距離移動訓練だ。
今も少し離れた場所で、今日の登攀訓練で規定の熟練度にならなかった子達が怒られながら補習を受けている。
縄だけを頼りに垂直の壁を上り、飛び降りる。それを一定時間内に確実に行えるまでやらされるのだ。
「こらー! 降りる時は尻で体当たりだって言ってるだろ!!」
指導教官に怒鳴られているのは、ちょうどレゾの班員のカロルだった。
飛び出す勢いが足りずに空中で逆さ吊りになったのだろう。その姿勢で、怯えた子猫の様に必死に頷いている。
カロルはレゾ達よりもずっと小柄な体格だ。それも当然で、カロルはまだ十歳に過ぎない。それでも入隊を許可するような事情があるらしい。
とはいえ、入隊すれば特別扱いは許されない。その小柄な体で、必死になって訓練に追いつこうとしている。
レゾの印象は『無口な頑張り屋さん』だ。
「カロルちゃんのご飯、取って置いてあげないとかな」
そんなカロルに対して、班員とは言っても、レゾ達代わりにやってあげられる事は殆ど無かった。
それでもレゾは『見ているだけ』ではいられない。
「あんまり背負い込むなよ?」
トゥラが仕方ない奴だと笑う。
レゾが突っ走ってトゥラが止める。
訓練生になっても、二人の関係は変わらないでいた。
「おい! 何をさえずっている、このバカども! もう一週追加だ、班員でやれ!」
訓練場の中央で怒鳴り声を上げる教官に、レゾとトゥラの体がすくみ上がる。
しかし、どうやら見つかったのは他の班員だったらしい、後ろの班から「ありがとうございます!」と声があがる。
深く安堵の息を吐くレゾとトゥラ。
そこに、二人の前を走っていた、空色の長い三つ編みの少女が小さく呟く。
「……自分たちを巻き込んでくれるなよ」
カロルと同じように、レゾ達と行動を一緒にするソリアだ。この二ヶ月でレゾが抱いた印象は『真面目さん』だ。
「ごめん、黙っておきます」
「黙らないでくれ。かけ声だけはしっかり出して」
確かに、しっかりとやっている班員達に迷惑をかけるわけには行かない。
レゾも後はかけ声をあげて走ることに専念した。
マラソンでたっぷりと汗を掻いた後は、シャワーの時間だ。
軍本部の隊ではマラソンは朝の内に行うらしいが、訓練生達のカリキュラムでは、汗をかくものは全て昼過ぎ以降に配置されている。
理由は情けないが、アイドルになった後、汗臭いまま歩き回っていた女だという評判を避けるためらしい。
しかし、そのおかげで恥ずかしい思いもなく、加えてしっかりとシャワーを浴びることも出来るのが救いだった。
レゾが聞いた話では、軍本部の部隊では女性でも、並べたシャワーの滝の下を歩きながら髪と体を流して終わりらしい。
「んで、『その二』は何だよ」
「え?」
しっかりと疲れを洗い流した二人は、更衣室に戻って体を拭いていた。
「さっきのマラソンの。一っていうなら、二があるんだろ?」
「ああ、うん」
それとなく視線を横に向けるレゾ。
先にシャワーを終えたレゾ達の班員が騒いでいたのだ。
食事の前に身だしなみのチェックが入るのだが、それに備えて髪を乾かす魔法具の順番で言い争っているらしい。
「だーかーらー! あたし! あたしが先に手に取ったって!」
栗色のウルフカットを逆立てて、フルテが文句を言い立てて魔法具を引っ張る。普段からあまり落ち着きが無く、レゾが見る限りでは、『元気っ子』という印象である。
「わたくしが先ですわ! 座って使おうとしたところに、横から手を伸ばすなんて!」
シオンが長い金髪をうっとうしそうにかき上げながら反論し、同じように魔法具を引っ張る。生まれは貴族だという事だが、貴族が有名無実な制度になって既に久しいため、レゾは頭のなかで『お嬢様?』と呼んでいる。あと、『負けず嫌いさん』とも。
「ちがうだろー! あたしが手を伸ばした後に、あんたが座って取ったんだって!」
「事実誤認ですわ!」
一歩も引かない体勢で言い争う二人を背景に、レゾがため息を吐く。
少々元気があまり気味のフルテと、負けず嫌いのシオンは顔をあわせる度にケンカするのだ。
「その二は、結構みんな、協調性がない」
「いや、筆頭が何を言うんだよ」
「え、そんな事ないよね?!」
「二年間で友達がほとんど出来なかったアイドル・バカの名前は?」
「……ごめんなさい」
レゾががっくりと崩れ落ちる。
「ま、それに班員つっても、アタシたちはライバルだろ? 気にしすぎだっての」
「……そんなことばっかり言うと、新しく開発した温風魔法を教えるのやめようかな」
「さすがレゾ。持つべきモノはできる友人だぜ」
手帳を片手に暗い笑みを浮かべるレゾに、トゥラはイイ笑顔を見せてあっさりと降参した。
身だしなみのチェックを終えて食堂に入り、ようやく許可を手に入れた夕飯を食べながらトゥラが呟く。
「意外っていうなら、アタシもあったな」
「ご飯? 美味しいよね」
「そう、思ったよりも食事が美味い。そして少ない」
じゅるりと、トゥラがレゾの隣にある、主の居ない食膳を見つめる。少し前まで訓練を続けていたカロルのために、レゾが確保したものだ。
ちょっとくらいならと首を伸ばすトゥラを、レゾが平手で軽く叩く。
「コレはカロルの。……確かに、もっと食べたいけどね」
「しかし体重が変わらないってことは」
「うぐ、これ以上食べると太るって事だよね」
戦時下ではあるが、この国は農業が盛んで食料の量は切迫していない。
そんな中にいたので、せっかくの美味しいご飯を目の前に、強制ダイエットは地味に苦痛だった。
「不味いよりは良いけどさ。あと、ついでに食事の開始時間が早い」
「朝が早いから寝るのも早いし」
「それにしたって、この後にまだ復習時間と自由時間があるし」
「まあ、ちょっとお腹すくよね」
はぁ、と二人のため息が揃う。
全てはアイドルに必要な美容のため、という説明は教官からされていた。
とはいえ、二人とも育ち盛りだ。お腹いっぱいに美味しい食事を食べたい、という時だってある。
「美容か」
「美味しいご飯か」
二人が重いため息を合わせる。
そんな会話を止めるように、食堂に入ってきた教官が手を叩いて注目を集めた。
「よく聞け訓練生。そろそろ貴様らにも最低限の体力と、最低限の知識がついてきたと判断した。明日以降は休日が用意され、自由時間も割り増しされる」
食堂中の訓練生が、一斉に力強く頷き、声を出さずに喜び合う。もし声を出せばどうなるか、この数ヶ月で十分に教育されていた。
「加えて、貴様らには課題が提示される。課題を達成したと判断されればアイドルに採用されて、活動することになる。達成出来なかった者は、除隊する他に、アイドルを守る護衛中隊"戦乙女"への紹介や、軍本隊への推薦が選択できる。質問はあるか?」
「はい。アイドルへの採用は班単位ですか?」
「個人だ。貧乏軍隊の鉄則は適材適所。貴様らは課題によって資質を問われる。ただ、同期とさえ共同歩調がとれない奴は論外だ」
「制限期間はありますか?」
「特にないが、達成の兆し無しと判断すれば、我々が肩を叩く。目安は一年だ」
他に質問者が居ないことを確かめて、最後に教官がニヤリと笑う。
「課題は一つ。貴様らがアイドルになるための課題は――」
食事を終えて座学の復習時間を終えた後。
アトレとトゥラが連れ立って談話室に向かうと、班員のソーニョとカロルがトランプを使って遊んでいた。
「おつかれさまー」
「あら、お疲れ様です」
レゾの挨拶に、ソーニョが笑顔を見せる。よく手入れしている桃色の髪を、お気に入りらしい松葉色のリボンでまとめて、いつも嬉しそうな笑顔でいるのが可愛らしい人だ。レゾも心の中では『お姉さん』と呼んで、トゥラを除けば班員で一番親しくしている。
レゾの班では十六歳の最年長ということで、暫定的にリーダーの役割を皆から任されていた。
「…………」
カロルは対照的に、うつむいたまま視線だけで挨拶をする。
先ほどの訓練で疲れ切っているらしい。
萌葱色のショートカットを大きな帽子の下に隠して、あまり積極敵に話したり動いたりしない子だ。
通常の軍は五人で最小単位の隊伍を組むが、アイドル訓練生の場合は十人以下の班を最小単位としている。
それは儀式魔法を使うという兵科の関係で、班を一小隊として便宜上数えるからだ。
『お姉さん』のソーニョ。
『無口な頑張り屋さん』のカロル。
『真面目さん』のソリア。
『元気っ子』のフルテ。
『負けず嫌いさん』のシオン。
そしてレゾとトゥラを合わせた七人が、今の班員である。
二人に良いかと尋ねてから、レゾとトゥラが二人と同じテーブルに着く。
「ゲームは何をしてるんだ?」
「ダウトをしてます。ただし、二人だから手札は十五枚から。あとは、伏せ札を四枚と、山札にして、山札から引いて出すのも有りってルールに変えているんですよ」
「二人でダウトとか決着つくのかよ。アタシも飛び込みして良いか? 十五枚引くからさ」
「カロルさん、良いかしら?」
カロルが頷いて、トゥラが山札から引く。レゾも促されたが、人数が増えるなら普通のルールでやり直した方が良いだろうと今回は辞退して、代わりに話題を提供する。
「それでさ、あの課題の事なんだけど」
「まず、意味を考えるところからだな。『アイドルであることを示せ』なんて」
――『アイドルである事を示せ』。
それが、レゾ達訓練生に提示された課題だった。
アイドルでないから訓練生で、アイドルになるための課題だ。
それが、アイドルである事を示せという。
レゾから見ても、矛盾していると思えた。
「あ、それはダウトですわ」
「げっ! はいはい、そうですよー。ったく、もっとわかりやすい課題なら良いんだがな」
「……難しい」
「とりあえず、すぐに出来るような課題じゃないよね。期限も長いからじっくり取り組めって事だと思うけど」
「しかし、何をどう取り組むかくらいは決めねーと、ズルズル流れるぞ」
「んー。アイドルについて詳しい人に聞けば分かるかな?」
「アタシは正直、あんまりしらないんだよな。カロルとソーニョは」
「ごめんなさい。わたしも、アイドルが好きで志願したけど、詳しいわけじゃないの」
「……」
「ああ、わるい、別に責めてねえからな?」
口をつぐんで、子供が怒られる直前のような表情になるカロルを、慌ててトゥラがフォローする。
「他の三人が頼りか。でも、一緒に相談みたいな事はなぁ」
「フルテちゃんはシオンさんと合わないみたいだし、ソリアはあんまり友好的な雰囲気じゃないんだよね」
「……仲良しじゃない」
「そうね、仲良しの方がいいと思うんだけど。そこからかしら」
「仲良し……切っ掛けを作らないと。とりあえず、女子会とかどうかな?」
「いいですね、お友達と女子会なんて、とっても素敵です」
嬉しそうにニコニコするソーニョだが、トゥラの表情は渋い。
「つっても、配給品の『すずめのエサ』と、食堂備え付けの色水じゃなぁ」
殆ど味の無いボソボソした配給クッキーと、形だけ提供される安いお茶は、生まれたときから不便に慣れているレゾ達にとっても、『無いよりマシ』の代名詞だ。
そんな物でお茶会なんてしても、盛り上がらない事甚だしい。
「とりあえず、第一目標は『女子会しよう』で、お菓子とか飲み物、どうにかしないとね」
「だな」




