作り笑い
ーー…
「そういえばさー、昨日お兄ちゃんに電話で聞いたんだけど…」
1限目が終わって教室移動中、ふといつきが呟いた。
「なんか、アメリカの方では変な噂なんかたってないらしいよ、『LEVEL』の。」
いつきは昨日の電話での尚稀との会話を思い出したのだ。
「それ本当?なんだ…はぁ、よかったぁ。」
いつきの言葉にまなかは安心したように大きく息を吐いた。
「いつきぃ…あんたまだそんなこと気にしてたわけ?あんな噂、ホントなわけないじゃん。」
まなかの横からリサがひょこっと顔を出して言った。
「だってぇ、やっぱ気になるじゃん〜。ねぇ?しおり!」
「う、うん。ちょっとね…。」
しおりは「ははは」と軽く笑って答えた。
「おー、堺〜!」
教室に入ると早々に、しおりを呼ぶ声。声の方に目を向けると、そこには二人の男子学生がいて、そのうちの一人が手を上げていた。
「…なに?」
いつきとリサはその二人を授業などで見たことはあっても全く親しくなかったので、しおりが話しかけられている光景を見て首を傾げた。すると、横からこそっとまなかが耳打ちをする。
「あの子私たちと同じ高校だった、森田くん。」
まなかの言葉に、二人は「あぁ〜」と頷いた。 そう、実はまなかとしおりは同じ高校出身なのだ。
まなかいわくその森田と呼ばれる男子学生は、話ながらしおりたちの方に歩いてくる。
「なんだよお前、スマホ変えたんなら言えよなー。」
森田はしおりが手に持っていた『LEVEL』を指差して言った。
「あぁ、これ?…言ってなかったっけ。」
「言ってない。…てなわけで、はい!アレ教えろよ。」
ポケットからスマホを取り出し、何やら操作をしだす森田。
「…あれ?」
「決まってんだろ、トークのやつだよ!ア・カ・ウ・ン・ト!」
彼は『L-talk』の画面が表示された自分のスマホを見せながら言った。
「な…なんであんたなんかにあたしのアカウント教えなきゃいけないのよ!」
しおりは自分のスマホを隠すように手で覆った。すると思いがけないしおりの返事に、森田はショックを受けたのか、(はたまた受けたふりなのか)悲しそうな表情を浮かべる。
「ひどい!高校時代からの仲じゃねぇかよぉ、なぁ堺ぃ〜。」
そう言って泣いているような素振りをする森田。まったく、面倒くさい男である…という風にしおりはため息をつく。
「片っ端から知り合いのアカウント聞き出して『トモダチ』の数増やそうとするあんたなんかと一緒にしないでよね。」
しおりがそう言うと、森田は「う〜」と言いながらふと、視線を移す。
「…ひどいよなぁ、どう思うよー、櫻本さん。」
「……えっ!?」
急に話を振られたまなかは戸惑う。まなかもまた、しおりほど仲良くはないものの、一応森田とは顔見知りであるため標的となってしまったようだ。
「…あれぇ?なんだ、櫻本さんのスマホも『LEVEL』じゃ〜ん。」
森田の言葉に、まなかは自分が『LEVEL』ユーザーになっていたことに改めて気づかされた。
「櫻本さんもよかったらアカウント教えてよ。やっぱトモダチは多い方が楽しいもんな。堺はあんなこと言ってるけど…。」
森田は口を尖らせてしおりを睨みながら言った。
まなかはまだ『L-talk』を始めたばかりで、トモダチもまだ少ない。
ー…別に、全然知らない人なわけじゃないんだし、いいよね。トモダチも多い方が情報網も広がるし。
「うん。私のなんかで良ければ、いいよ。」
そう言ってまなかがスマホを操作しようとした時だった。
「だ…ダメェっ!!!」
その大声に、教室全体が静まり帰った。
「…し、しおり?」
悲鳴に近いその大声の主は、しおりだった。
リサが恐る恐る顔を覗き込むと、しおりははっとして気まずそうに全体を見渡した。
まなかのスマホをいじる指もぴたりと止まり、いつきも森田も驚きを隠せない表情でしおりを見ていた。
「だ…………ダメだぁっ!スマホバグったぁ〜!」
その場の空気を打ち破るかのように、しおりはまたしても大声をあげる。
「やっばぁ、『L-talk』のサイトに飛べないよぉ。…ちょっと森田!あんた詳しそうだからこっち来て直してよ!そしたらトモダチになってあげるからぁ」
「え!?俺?…う゛」
しおりはそう言うと森田の首を後ろか腕で力強く巻き込んで教室の隅へと移動した。
「なんで移動すんだよ!ここでいーだろ!」
「コンセントが必要なの電池がないのぉ!」
という二人の会話が段々小さくなっていく。
一時的に静まり帰った教室もまたざわつき始めた。
しかし、取り残された3人にいつものような賑やかな会話は戻ってこなかった。
「…なんだったんだ、今の。」
「…聞き間違えじゃないよね?…しおり…だった、よね?」
教室の隅で森田と話しているしおりを見て、リサとまなかはそう呟いた。まなかの『LEVEL』を持つ手は微かに震えていた。
その時、いつきは昨日の帰りの時のしおりを思い出した。
急に『LEVEL』について不安を示したしおり。作り笑いをしたしおり。別れ際、悲しそうな表情をしたしおり。
ー…しおり、一体どうしちゃったの…何があったの?
その時ふと、向こうの方ですでに席についている森田の友達であろう男子学生と目があった。
「(あの男子たしか…同じ学部の…。)」
しかし、男子学生の視線はすぐに別のところへ。偶然目があっただげだったのだろう。いつきも名前をなんとかして思い出そうとしたが、思い出すことができず、これについてはそれっきり気にかかることはなかった。
ーー…
教室に先生が入ってくる頃、しおりもいつきたちのもとへ帰ってきた。
「やー、ごめんね。あ、あいつ高校の時クラス同じだったやつでさぁ…」
しおりは何もなかったかのようにヘラヘラっと笑って席についた。
「うん、まなかから聞いたよ。」
いつきがそう言うと、まなかはこくこくと頷いた。
「あ、…そうだよねっ!ははは、なんか懐かしいね。まなかも森田も、最後同じクラスだったもんねー。楽しかったなぁ!」
いつきたちにはそう言ったしおりがどうしても無理をしているようにしか見えなかった。なんとかこの気まずい空気を紛らわすために。
「うん、でも私ほとんど森田くんとはしゃべったことないよ?」
まなかも平然を装ってくすくすと笑った。
「そーだぞしおり!まなかはあんたみたいに男好きじゃないんだから!」
リサもいつもと同じようにしおりをからかう。
「ちょっと!そんなんじゃないんだからぁっ!」
リサの冗談に顔を赤くしてしおりが声を発すると、先生に「そこ、静かに!」と注意され、しおりはしゅんと縮こまった。
その後もいつきたちは普通に授業を受けた。気づけばリサもいつきもぐーすか居眠りをしている。
教師を目指しているしおりは授業態度はいたって真面目で、きちんと先生の話に耳を傾けている。そんな真剣に授業に取り組むしおりを、寝ているいつきの向こうからまなかは横目で見つめるのだった。
ーーー……
「おい、お前今日の朝ルーカスさんに呼び出されてたろ?」
トントンと書類をまとめていた尚稀に一人の男が話しかけた。尚稀は手を止め後ろを振り返る。
「怒られたんだろ。何やらかしたんだ?」
黒人…というほどではないが、色黒でそこそこガタイのいいその男はケラケラと嘲笑う。
「なんだ、お前か…キース。そんなんじゃねーよ、本当にちょっとした話をされただけだよ。」
尚稀は面倒臭そうに返した。なにせ、朝ルーカスに呼び出されたことで一日中尚稀は周りからなんとも言えない微妙な視線を感じて過ごしていたのだ。
それは心配の眼差しなのか、はたまた別のものなのか…。とにかくエミリアやマシューに怒られていたわけでわないということを説明しただけでも疲れたのだ。もうすぐで仕事が終わる時間だというのに、ぶり返されては多少いい加減な返事にもなる。
「なんだよ〜、出世の話か?」
キースと呼ばれた男は尚稀の意外な返事に目を丸くした。
「ちげーよ!…まぁ怒られたって言っても間違いじゃないのか…注意されたって感じで……あーもぅ、どーだっていいわ!ほっとけ!」
尚稀は髪をぐしゃぐしゃに掴んで言った。
キースはそんな尚稀を見てニヤニヤと笑った。
「やっぱ怒られたんだな!…てかどうしたんだよ?全然仕事進んでなさそうじゃねぇか、お前らしくない。…そんなに傷ついちゃったわけ?」
キースは尚稀の机を覗き込んで言った。
「違うって。…ちょっと気にかかったことがあったんだけどよ。て言うかさお前、この前の雑誌で『LEVEL』のこと書いてなかったっけ?」
尚稀の問いにキースは頷く。
「あぁ。つっても『LEVEL』を専門的に取り上げたって言うか、最新の電子機器とかアプリを取り上げたって感じだけどな。」
キースは尚稀と同い年の同期である。仕事場では尚稀が一番しゃべる相手であるし、いわゆるアメリカでの尚稀の親友と言った存在だ。
「まぁ俺的にはもうちょっと詳しく調査したかったんだけどよ。どうも応えてくんねーんだよ、大元の会社さんが。」
キースがそう言い切ると、尚稀は「そうかぁ」とため息混じりに返した。
「どうかしたのか?」
「…いや、別に。」
尚稀の様子を見て、キースは首を傾げた。けれど尚稀はそれ以上詳しく言わなかった。どこでルーカスが聞いているかわからない。次バレれば、ただではおかないだろう。
「そーいえばさ、その『LEVEL』で新しいゲームアプリが出たって聞いたことあるか?」
「……え!?」
キースの言葉に尚稀勢いよく食いついた。
「なんだそれ!?どういうゲームなんだよ!?」
尚稀は立ち上がり、キースの肩をがっしりと掴んだ。
「わ!なんだよビックリするなぁ。…そんな食いつくほどのことでもねぇよ?ただのサバイバルゲームだよ。」
「サバイバル…。」
尚稀は電話でのいつきの言葉を思い返した。
「そう!だけど今回のは『LEVEL』独自のSNS『L-talk』を介してのゲームだとかなんとかで…詳しくはわからないけどよぉ、面白そうなんだわ。」
キースの言葉を聞くと、すぐさま尚稀は彼の肩から手を話し、机に出ていた書類やら筆記用具やらをガサガサとかばんの中に突っ込んだ。
「まぁ、ゲームオタクの俺としては『LEVEL』に変えちゃおうかなぁなんて思ったりして……て、ちょっ…お前っ!?どこ行く気だよ!?」
キースが一人でしゃべっている間に、尚稀はいつの間にか上着まで羽織っていた。
「わりぃキース!一足先にあがらせてもらうわ!」
鞄を持ち、去っていこうとする尚稀。
「ちょ…待てナオキ!なんだってんだ今日のお前はぁ!」
キースが呼び止めると、尚稀は少しだけ振り返った。
「会社じゃ限界があるんでな!ごめん、また明日なーっ!」
それだけ言うと、尚稀は勢いよく飛び出していった。取り残されたキースは唖然としてその場に固まった。
するとその直後、どこからかエミリアが自席に戻ってきた。
彼女はなぜか自分の席の辺りにキースが立ちすくんでいることを不思議に思ったが、先程まで自席で仕事をしていた尚稀がいなくなっていたことにも驚いた。
「あれ?キースさん、どうかなさったんですか?それに…ナオキさん、どこへいってしまったのでしょう。先程まで仕事してらしたのに。」
エミリアの問いにキースは腕を組んで眉間にしわを寄せた。
「さぁな。なんだか知らないが、今日は先に帰るらしい。」
キースの応えに、エミリアは首を傾げた。
そんな光景を、遠くから見つめて(というか睨んで)いる人がいた。
「なーに怖い顔してんのよ、ルーカス。」
「…別に、もともとこういう顔なんだろ。」
マシューの声かけにそっけなく応えるルーカス。ルーカスの視線の先は、尚稀が勢いよく飛び出していったオフィスの出入口。どうやらルーカスは尚稀とキースのやりとりを遠くから一部始終見ていたようだ。
「馬鹿ね…あんた、今朝なんてナオキちゃんに言ったわけ?」
ルーカスは何も応えずに顔の前で手を組んでいる。マシューはそんなルーカスを見て小さくため息をついた。
「”この扉開けるべからず”。」
突然のマシューの言葉に、ルーカスは視線を彼に移した。
「…人間誰でも、そう言われたら余計にその扉、開けたくなっちゃうものなのよ。…たとえ誰もが恐れる人に命令されたとしても。」
マシューはくすっと笑った。ルーカスは視線を元に戻しただけで、何も応えなかった。