アメリカからの送りもの
―――…
時刻はもうすぐ夕方の5時。
家に入る前にポストを見ると、なにやら大きな郵便物が入っていた。
「お、来てる来てる。」
いつきはその郵便を手に取り送り主を確認した。
ーNaoki Asukata
いつきは満足そうにその文字を見ると、軽い足取りで家へ入った。
郵便物の送り主は、飛鳥多 尚稀。アメリカで雑誌の編集者として働いている、いつきの兄の名前である。
いつきは中身を見ていないが、何が入っているのかぐらいはだいたいわかっている。
いつきの兄は自分の活躍を、離れて暮らす家族に報告するために毎月雑誌の発売日に送ってくれるのだ。
もっとも、いつきにとっては英語で書かれた雑誌を送ってこられてもほとんど読めないし、ファッション雑誌というわけではなく、ニュースを取り扱った雑誌なので面白くもなんともない。
でも、これが送られてくることで兄が元気で頑張っているんだということがわかるのだ。
いつきの両親も祖母も、この雑誌が送られてくることを心待ちにしている。
だから、いつも両親が帰ってくるまで中身を開けないのだ。
ドアを開け、誰もいない家の中に「ただいま」を言う。
靴を脱いで荷物を置くとき、たまたま郵便物の「America」の文字が目に入る。
「…アメリカ……。」
そうだ、考えてみれば『LEVEL』を作ったのもアメリカのケータイ会社だ。
いつきはバタバタとリビングに入り、おもむろに電話をかけ始めた。かけた先はもちろん、兄・尚稀のところ。
アメリカにいる兄なら、しかもニュースの雑誌を書いているのだ、何か知っているに違いない。
と、いつきは思ったのだろう。
プルルルル…
5回コールが鳴った。ダメだ、出ないや…
そう思っていつきが受話器を耳から離しかけた時、
ガチャ、
出た!
「あ!もしもしお兄ちゃん!?私!いつきだけどっ!」
いつきがそう言うと、少し間が空いてからはぁ…と大きなため息が聞こえた。
「なんだよお前かよ〜…。何時だと思ってんだよ。」
「午後の…5時だけど。」
「バカかおめぇ、時差があんの忘れんな!こっちは夜中だっての。」
いつきはしまった、と思った。思いつきで動いてしまったがためにアメリカは今夜中だったことを忘れていた。(ちなみに、尚稀が現在住んでいるところはニューヨークなので、向こうの時刻は夜中の12時を回っている。)
「ったく…こっちは徹夜続きでやっと寝れたって言うのによぉ…。」
尚稀は睡眠を邪魔されて少々機嫌が悪いようだ。
「ごめん!…あぁ、そうだ!さっき雑誌が届いてたよ!」
いつきがそう言うと、先程の眠気と怒りが混ざっていた尚稀の声が一変、
「おお!そうかそうか。で、どうだった?俺の書いた記事は。今回のは結構自身あり何だけどよー…」
いつきの尚稀は雑誌のことになるとテンションがあがる。いわゆる「褒めて伸びるタイプ」なのだ。
「あぁ…うん、あの記事ね…。うんうん、すごくよかった!お兄ちゃんこの仕事ほんと向いてるね。」
尚稀のご機嫌を取るため、まだ開けてすらいない雑誌について精一杯褒めてみせる。
「まあそんなに褒めるな、妹よ。あの14行目あたりからの記事は書くのに本当に苦労してだな…」
機嫌をとったはいいが、調子に乗った尚稀は話し出すと止まらない。
ごまかすのにも限界がある、また機嫌が悪くなる前に早いとこ話を変えよう、といつきは尚稀の話に口を挟む。
「あー…お兄ちゃん?国際電話だからあんまり長くなると…ね。詳しいことはまた後ほど、せっかくなんだからお父さんたちが帰ってからにしよ?ね!…それより、ちょっと聞きたいことがあるんだけど…。」
尚稀は気前よく、「おお、なんだ?どうかしたのか?」と返してきた。
「あ、あのね…そっちで新しいスマホが発売されたでしょ?」
いつきがそう訊くと、兄は眠い頭で少し考えたのだろうか、少し間が空いてから答えた。
「ああ、『LEVEL』のことか?」
「そうそう、それそれ。」
尚稀は少しずつ自分の中にある情報を探りながら続けた。
「そういや、日本に進出したんだっけか。なんか、日本で発売されるようになってからこっちでも急激に人気がでてきたみたいだな。」
尚稀から発せられた新しい情報に、いつきは食いつく。
「え、そうなの?」
「ああ。なんか、こっちで売り出された時はまあ、売れちゃいたけど、そんなに爆発的人気でもなかったっていうか…。国際電話が無料になるっていうのが絡んでるんじゃないかって話だけど。あとはやっぱ、日本人に人気って聞くと、良いように聞こえるのかもな。ほら、日本製品て世界でも人気だろ?そんな国の人たちにべた褒めされりゃあ、やっぱ買ってみようかなってなるんじゃねえの?」
「そうなんだ、、、」いつきは小さく呟いた。兄からの話に、こっちで広がっている噂話に関することは無かった。
「で、聞きたいことって何だ?俺、その記事は担当しなかったからあんまり詳しいことまではわからないんだけどさ。」
いつきは日本で広まっている噂話について尚稀に話した。
「……で、このこれから始まるって言われてるゲームについてなんか知ってるかなって思って。」
尚稀はどうやらその噂については初耳だったようで少し驚いたようだった。
「ふーん、そっちではそんなことになってんだ。こっちにはそんな話出てたかな〜…。最近新しいアプリがどんどん開発されるし、新しいスマホに新作のゲームなんてつきものだから、あんまり意識してなかったけど。」
「そっかあ。まあまだ、こっちも噂のままって感じで何も変わったことは起きてないんだけどねー。うん、わからないんだったら良いんだ。ありがと、夜遅くにごめんね。」
国際電話は長くなるといけない。
「おう、まあまたこっちからも連絡するわー。おふくろとおやじによろしくな。じゃ、おやすみー。」
「うん、仕事頑張ってね、おやすみ。」
ガチャン、
受話器を元の位置に戻し、尚稀との電話を終えた。
ーなんだ、本場のアメリカにはそんな噂流れてないんだ。じゃあ、嘘じゃん。なんだ、変に心配して損しちゃった。
いつきは心の中でそう呟いた、と同時に一気に肩の力が抜けた。
ーよかった、この噂がデマだってわかるのも時間の問題。そうすれば、もう何も心配いらないんだ。しおりも…元気になる。
「さ、おやつでも食べて一眠りしーちゃお」
いつきはそう言ってうーんと伸びをした。
ーーー……
プーッ、プーッ、プーッ…
いつきとの電話が切れたあと、しばらく尚稀は受話器を耳に当てたままその場に立ち止まっていた。
「ったく、せっかく国際電話が無料になるっていうからうちのガラケー連中にも勧めようと思ったのにな。あんなこと聞かされた後じゃあな…。」
そう呟くと、部屋の電気をつけ自分の仕事机に向かった。そして、小さくため息をつく。
「いくら噂とはいえ…」
タバコを取り出し、火をつける。咽せるような白い煙が部屋に充満する。
「…また、大きな仕事が入りそうだな…。」
ーーー…
「ただいまー」
しばらくすると、母が帰宅した。
「いつきぃ?いないの?…あら!ちょっと、そんなところで寝てたら風邪引くじゃないの。」
母に肩をぽんぽんっと叩かれ、うー、とうなりながら目を覚ますいつき。
「ふぇ…あー、おかあさん?おかえり…」
まだ半寝状態である。そんないつきをみて母は「まったくもう、だらしがないんだから。」と言って、テーブルの上に目をやる。
「あら、お兄ちゃんから雑誌届いてるじゃないのー。」
母は嬉しそうに雑誌の入った封筒を眺めた。
「ああ、それ…さっきポストに入ってた。」
いつきはゴロゴロと寝転がりながら今にも寝てしまいそうな、弱々しい声でそう言った。
「じゃあ後でお兄ちゃんに届いたよって電話しなくちゃねー。」
いつも尚稀からの荷物が来ると、決まって母か父が報告の電話と感想を兄に伝えるのだ。もっとも、母も父も英語は苦手なので、内容に関することは何も言えないので…とりあえず兄のやる気が起きるように、褒める。ただひたすらに、褒める。(そうやって兄は甘やかされて生きてきたのだ。)
まあ、元気で暮らしているということが何よりなのだが。
しかし、電話ならさっきいつきがしてしまった。ご機嫌をとるためとはいえ、雑誌が届いたこともきちんと言った。
「あー、電話なら…さっき私がしたから、急がなくても大丈夫だと思う、よ。」
いつきの言葉に母が驚いたように返す。
「あら、珍しい。いつきがお兄ちゃんに電話をかけるなんて。」
「うん…ちょっと用事があったから……(すぅ)。」
いつきの睡魔との戦いは終わった。いつきは睡魔に負け、また眠りについた。
「ふーん、そうだったの。………あら、いつき、さっき電話かけたの?今アメリカって夜中だったんじゃないの?ねぇ、ちょっと!」
母がどんなに声をかけても、今度のいつきはなかなか目を覚まさなかった。
母は放っておくことにしたようで、着替えるために2階へと上がって行った。
ーーー…
「うーん、相変わらず、何が書いてあるのかはよくわかんないなあ。」
晩ご飯。一家全員揃ったところで、雑誌を開けてみた。写真や絵はあるものの、英語の文字がひたすら並んでいて、特に英語が苦手な父は呟いた。
なぜこの両親のから、兄のような子供が生まれたのだろう。いつきは英語が苦手という両親の遺伝子を純粋に受け継いでいるのに、兄だけは違っていた。
とはいっても、兄が学生時代ものすごく英語ができたというわけではない。ただ、コミュニケーション能力は誰にも負けていなかった。
大学である雑誌の編集者の話を聞いて、その会社の編集者になりたいという夢をもち、その時にたくさん英語を勉強して、やっとの思いで就職した。
しかし、まだまだ尚稀は下っ端。任されるページは最近やっと半ページもらえるようになったのだ。
「で、尚稀は元気だったか?いつき。」
父は尚稀の書いたページを眉間にしわをよせ、眺めながらいつきに尋ねた。
「うん、あいかわらずだったよ。」
そう一言だけ言って、おかずに手を伸ばす。あ、といつきは思いついたように続けた。
「その雑誌、読み終わったらちょっと貸してくんない?」
これまたいつきが珍しい発言をしたので、父も母も驚いたようにいつきに視線を向けた。
「別にいいけど…どうしたの。」
「何が?」
「だって、いつもは見ようとすらしないじゃないか。…熱でもあるんじゃないか?」
「無いよ、失礼な!」
勝手なことばかり言う両親に少しむっとするいつき。
「まあいいや、今度おばあちゃんに見せるから、その時まで奇麗につかってね。」
「わかってるって。ごちそうさまでしたっ。」
少しリビングでくつろいだ後、いつきは雑誌を持って二階に上がった。
「電子辞書よーし。…いざっ」
バッと雑誌を開く。思わず嗚咽が出るほどの英文・英文・英文の山。
気を取り直し、いつきは雑誌をパラパラとめくり始める。
「さて、スマホの話題はどこに載っているかな…っと。」
いつきの目当てはもちろん、あのスマホに関する記事。
いくら兄の言葉に安心したとはいえ、いつきには確信が欲しかった。
「お兄ちゃんの担当じゃなかった、てことは他の人が書いてるってことよね。」
兄の魂がこもった記事を無視して自分の興味ある記事を必死に探すとは、いつきもいつきで困った妹である。(兄がこのことを知ったら泣くに違いない。)
パラパラパラ…
しかし、雑誌をひとしきり見たものの、それらしい記事は見当たらなかった。
「あれ、おかしいな。」
もう一度、今度は先ほどよりもゆっくりとページを開いていく。
あるページでいつきの手が止まった。
そのページにはあのスマホの写真が載っていた。
「あった!よーし…」
いつきは電子辞書を開いて、乾いた唇をぺろりと舐めた。
「ふーん…ふむふむ。…はぁ?こんだけ?」
いつきが気合いを入れて解読しようとしたものの、書いてあったことは電話で尚稀が言っていたこととほとんど一緒だった。しかも、『LEVEL』の話は見開き半ページの、そのまた半ページに満たない内容で、その後は別のデジタル機器や新作アプリについての記事だった。
「なーんだ、気合い入れて損したー。やめたやめた。これ以上やったら知恵熱でちゃうよ。」
いつきはそう言って電子辞書をぱたりと閉めた。そして、はぁーと深く息を吐いて、机に突っ伏した。
視界に白黒で印刷された『LEVEL』の写真が入る。いつきはその写真を指でつつきながら、
「やい、君の変な噂はどこから来たんだい?」
などと独り言を呟いた。写真が答えてくれるはずも無く、いつきの独り言はむなしく部屋に響いた。
「………課題、やらなくちゃね。」
そう言って机から立ち上がるいつき。課題をやるためのノートパソコンは勉強机とは別のテーブルに置いてあるのだ。
雑誌は開かれたまま、ぽつんと置き去りにされた。
ーNew Application!…………
いつきに 大事なことを見逃している と、伝えることもできずに。
ここでは書ききれませんでしたが、尚稀はちゃんと自分の稼いだお金も雑誌と一緒に送っています。(甘やかされているだけの兄ではありません!)
尚稀が今回担当した記事についての内容は、ご想像にお任せします。w