穏やかな時間
「へぇ、エルナがねぇ」
「なによ、別にいいでしょ」
ギルドの受付でエルナと話しているのはマリンだ。ギルドに入った頃からの付き合いらしく、マリンの態度もかなり気安いものとなっている。ちらちらと俺を窺ってくるのは、仲の良い友人のパートナーに興味があるのだろう。
それとは別に、ギルド内にいる何人かの男から殺意のこもった視線が感じられるのは気のせいではない。エルナがマリンに「しばらくはジークと一緒に依頼を受けていくの」なんて言った辺りから周囲の空気が変化した。
まあ、若いのに腕は立ち、容姿端麗なエルナに人気が集まるのは理解できるが、あまり気分の良いもんじゃない。
俺は掲示板にあるAランク依頼書を適当に二枚取った。さてさて、どうすりゃ騎士にスカウトされるかってのはそもそも非公式なので分からんが、どんどん依頼をこなして目立てばお偉いさんの耳に届くことだろう。
帝都スーヴェンのギルドにある依頼はこの地域一帯のものがほとんどだ。
この地域――というのは、皇帝イルミナが治める直轄地のことである。
元老院議員は公爵位を与えられており、皇帝イルミナから治めるべき土地を賜っている。そのため、公爵が治めている土地に出現する魔物の討伐依頼は、その土地にある町のギルドに依頼が出るのだ。
と、昨晩エルナが教えてくれた。
皇帝の直轄地が当然一番でかいから、この一帯といってもかなり幅がある。徒歩なら言わずもがな、馬を使ってもこの前の依頼のように往復で一日かかることもある。
だからまあ、一日一件の依頼をこなせば上等なのだそうだが、俺にはシロという足がある。二件ぐらいは余裕だろう。
まだエルナと話しているマリンの下へと依頼書を持っていく。
「えと、一度に二件ですか?」
「駄目なのか?」
「依頼を受けられますと、その依頼は他の方々が受けられなくなります。そのため依頼を複数受けるのは……」
ああ、つまりは一度に大量受注して溜めこむなってことだな。
「大丈夫。今日中に両方とも討伐してくるから」
「ですがこれらは距離的に少し離れていますよ?」
マリンが俺の隣にいるエルナに「大丈夫なの?」という視線を向ける。
まだ俺は信用されてないのな。
「うん、多分だいじょぶ」
「では、気をつけてくださいね」
依頼を受けた後に俺らは外壁門へと向かった。今日は馬を借りる必要はないとエルナに伝え、徒歩で帝都を出立する。
「そろそろいいかな――シロ」
辺りに人気のないことを確認してからシロを呼んだ。
影から音もなく出現した巨体が身体を伏せてこちらを仰ぐ。
「やっぱりシロに乗っていくのね。空を飛ぶってやっぱりすごいわ」
「こいつなら馬の何倍も速いし体力もある。目的の場所までそう時間もかからない」
俺とエルナを乗せてシロが宙を駆ける。俺の腰に手を回すエルナは、上空から見下ろす景色にはしゃいで落ちそうになったりしていた。
――その日のうちに森に住むトロルを、荒野を我がもの顔で走り回るガルムの群れを狩り終わり、帝都へと戻った。
ガルムの群れは俺の魔法で一掃したが、トロルの方はエルナに任せた。腕力に優れたトロルの一撃は強力だが、素早い動きで翻弄された相手は結局エルナに触れることもできずに切り裂かれて事切れたのである。
エルナは強い。剣術の腕だけでいうなら俺より強いかもしれない。
勿論魔力を物質化させた剣を扱う魔術格闘で勝負すれば武器性能の差がありすぎるし、身体の頑丈さからしても俺が負けることはないと思うが。
ギルドにて報酬を受け取って来福亭へと戻り、風呂に入ってから夕食を済ませる。
しかしまあ、結局夜にはまた汗を掻いてしまったので、風呂に入るタイミングを間違ったかと後悔することになってしまった。
そういった調子で毎日を過ごし、たまには休日にしてエルナと二人で帝都を見て回ったりもした。
エルナの装備品以外にも、普段着や装飾品を一緒に見て回る時間は遠い昔に一度味わったもののようで高揚感に包まれたが、同時に嫌な感情も浮き上がってきた。
くだらん。前世は前世で、今俺が生きてるのはこの世界だ。考えても意味はない。
「どうかした? ジーク」
「なんでもない」
……最終的に、あいつにとって俺は必要なかったんだろうな。
エルナと一緒に行動した日々は素直に楽しく、俺の浪費が減ったこともあり金も溜まっていった。
一度ニブルヘイム島に現状を報告しに帰ったが、土産にした酒類や食い物をいたく気に入った親父は機嫌も良く、短慮な行動はしなさそうだったので一安心だ。ついでに島の職人から購入した剣を持ち帰ってエルナに渡すと、刀身を見るや驚いていたが、とても気に入ってくれたようである。
――二ヵ月程経ったころだろうか。いつものようにギルドへと顔を出すと、マリンの方からこちらへと声をかけてきた。
ひょっとするとSランクへの昇格でも決まったのだろうかと思ったが、どうやら違うようだ。
「聞きましたか? 大変なんですよっ、仲良しのお二人さん」
心なしか、マリンの俺に対しての口調も少し崩れてきてる。いいけどな。
「どうしたんだ?」
「元老院議員のドレイク公を知ってます?」
確か……帝都から東方の地域一帯を治めてる奴だったか。
スーヴェン東側に隣接している《ガイラル王国》にフィリアが赴いたときにあんな事件が起きたので、俺はきな臭いことこの上ない人物だと疑っている。
「えと、ガイラル王国とドレイク公の領土の境目に大河があるのは知ってますよね? それが国境の代わりにもなってるんですが、そこに《ヒュドラ》が出現したらしいんです」
「ヒュドラ……」
エルナが息をのむ様子を見て、マリンに問う。
「それってやっぱ大変なのか?」
「SSランクといわれている魔物ですよ!? バルナ大河はガイラルとの交易のため船の往来が盛んで対魔物用に武装させていたみたいですが、水蛇ともいわれるヒュドラが先日確認されてからすでに何隻かの船が沈められているようです」
「SSランクの討伐者に依頼されんの?」
……どれぐらい強いのか。シロがSランク最上級としても、それより強いってことだよな。シロと戦ったのは三年前、か。今なら……
「SSランクに該当する討伐者は現在いません。ですから帝都から派遣される騎士やドレイク公が抱える騎士、それにSランクの討伐者で協力して倒す予定だそうですよ。大河沿いのリバーブルにあるギルドは今大騒ぎみたいです」
「なるほどな……」
俺はエルナの腕を掴んで引っ張る。
「なに?」
「いいから」
そのままギルドを出て来福亭まで戻り、寝室へと入る。
「どしたの?」
「エルナ、俺が言ってた目的の第一歩はな、騎士になることなんだ」
「それって……帝都で?」
こないだ知ったが、騎士の叙任の権利を持つのは皇帝イルミナと元老院議員だそうだ。士官学校を卒業した奴らなんかは、皇帝や元老院公爵が治める土地にばらばらに赴任することになり、そこで功績を挙げれば騎士に叙任される。
帝都で騎士になる、というのは皇帝イルミナに騎士の叙任を受けるということだ。フィリアの警護を希望するのだから、当然そうでなければならないだろう。
「ああ」
この二ヵ月は、確かにかなり充実していた。だが俺の第一目的はエルナと幸せに暮らすことじゃない。それはエルナも分かってる。お互いの目的を第一優先とすると言ったのだから。
仕官の声がかかるのを待つ?
ギルドランクが足りないから他の奴に任せる?
思えば随分と消極的な考え方だ。せっかく国も慌てるほどの大物が出現したってのに、これを見逃す手はない。やりようはいくらでもあるだろう。
上手くいけばフィリアの傍に仕えることになる。
「――悪いが、一緒にいられるのは今日までだ」
その言葉に、エルナは特に驚きもせず、こくりと頷く。
「まさか、ヒュドラを?」
「ああ」
「確かにあんな大物を倒してくれば申し分ないかもね。言っとくけど、仕官するつもりならちゃんとその前にギルドの方に断りを入れとくのよ?」
ああ、あっちもギルドに所属してる人間を大っぴらに雇用できないだろうからな。
「それと、ジークが強いのは嫌っていうほど知ってるけど本当に倒せるつもりなの?」
「……たぶん」
「はあ~、じゃあもう何も言わない。あたしじゃ足手纏いにしかならないと思うから」
呆れた顔でエルナは俺の傍へと座り、そっと唇を重ねてくる。
「へへ、多分これが最後だね。奇遇だけど、あたしの目的の第一歩もジークと似たようなものだよ」
「騎士がか?」
「ん~、一つの手段として? 最終的な目的は――復讐だから」
「また物騒な話だな」
冗談っぽく言ったつもりなのだろうが、それが一片の嘘も含まれない真実であることはエルナの紫紺の瞳を見ればわかる。
「はいっ! 暗い話おしまいっ。さてさて、それじゃあジークの健闘を祈って、なにかあたしにできることがあるなら言ってみ?」
「なんでもいいのか?」
俺の問いの意味を察したエルナが、これまた呆れた顔で見返してくる。
「あのさぁ……これから激戦に行こうって人がここで体力を減少させてどうする気? これで負けてもあたしは知らないわよ?」
「大丈夫だ。シロにも存分に動いてもらうから、目立たないように日暮れ後に行動する」
「あっそ。じゃあ……――今日はどんな注文にも応えてあげるわ」
結局のところ、俺がスーヴェンを出立する際、やや体力に疲れを感じていたのは言うまでもないことだった。