暗殺者の後悔
はい、何か分かるかもと言っていましたが、まだですね。
すいません。こういうシーンを書いてみたかったのです。
感想をくださかった方、ありがとうございます。
おかげで筆が動くようになりました。
軽くランナーズハイならぬライターズハイ状態となりました。
ある男が、屈辱という感情を胸に抱いて憤慨していた。自分は今まで感情を表に出すことなく、ひたすらに任務を忠実にこなしてきたつもりだ。兵士として力を磨き、それを皇帝に認めてもらい、今の特殊な部隊に所属することになった。
部隊の目的は一つだけ、皇帝の命令に絶対的に従うこと――それだけだ。
例え相手が誰であろうと、命令があれば実行する。疑問を持つことすら許されない。それはつまり感情を切り捨てるということに近い。
だが、男の中には確かに怒りという感情が灯っていた。
奴が邪魔さえしなければ、あの計画は成功していた。限られた機会の中、多くの仲間を失うことになったが目的を達成することはできていたはずなのだ。護衛の騎士を切り捨て、後は馬車だけだった。
それなのに……奴のせいで皇帝からの信頼を失ってしまった。もう失敗は許されない。
奴が皇女を護衛する騎士として任務に就いた際には驚きもした。当然ながら、奴のことは皇帝に報告してある。だが仮にもドレイク公爵から派遣された騎士で、皇女を助けた人物であるが故に表立ってどうこうはできない。
そして恐ろしく強く、護衛として優秀なのだ。未だにあの光景が自分でも信じられない。確かに首を切り落としたと思ったのに、砕けたのは自らの剣の方で、次の瞬間には黒焦げにされた。
正攻法で勝つには、聖騎士ヒュメルほどの実力がないと敵わないと判断できるほどには、男は冷静であった。
だが、何もこちらは正攻法を選択する必要はない。むしろ正攻法で達成できる任務とは常にかけ離れているのだから。
男はどこか自嘲するように顔を歪ませ、懐からある物を取り出す。
クロスボウ――特注品である大型の弓形から放たれる矢の初速は目で追うことすら難しい。そして矢の先端には《イビルスネイク》という魔物の牙から分泌される猛毒を塗り込んであるのだ。かすっただけで全身の神経が麻痺して呼吸困難に陥り、一分と待たずに死に至る。
男が身を潜めているのは、草木が生い茂る森の中だ。自分のわずかな呼吸音すら周りの木々のざわめきに同調させ、気配を断っている。
何故このような場所にいるのか? それは目的の人物がもうすぐ目の前を通過するからに他ならない。
ここ最近、皇女はあの護衛騎士を信用し過ぎている。それ故にずっと城に籠っている方が安全であるのに関わらず、ノコノコとこんな場所にまで足を運んでいるのだ。魔物に襲撃された町へと慰問のために訪れるという志は立派だが、些か不用心だろう。
この森はそこまで深くはないが、身を隠すには十分である。
護衛の数もそう多くない。皇女は馬車の中だろうから直接狙うことはできないが、奇襲で一人、もしくは二人殺して混乱しているところを別働隊が襲撃する手筈となっている。
確実にあの護衛騎士だけは殺さなければならない。さもなければ計画をすぐに中止し、撤退することになるだろう。男は冷静に、神経を研ぎ澄まし、その時を待った。
静謐な空間に木々の葉が風で揺れる囁きが漏れる。やがて、それを破るかのような足音が響いた。
手に持つクロスボウを油断なく構え、男は眼前の光景に意識を集中させる。間違いなく、皇女の一行である。見覚えのある護衛騎士の顔を確認した。黒毛に紅い眼、やや浅黒い肌を持った憎い相手を確認し、微かに奥歯を噛みしめる。
しかし、驚くべきは奴の隣にいる人物についてだ。何故馬車の外に出ているのか。その理由は大体は見当がつく。おそらくは騎乗の練習をしているのだろう。奴と同じ馬に乗って楽しげに、無邪気な笑顔を浮かべているのだから。
本当に、不用心だ。本来身の安全を考慮して馬車から顔を出すことさえすべきではないというのに。
だが、こちらにとっては好都合な状況である。まずは護衛騎士を殺すつもりだったが、これならば皇女を直接狙撃すれば終わりだ。目的は達成される。
男はゆっくりと狙いを定める。一行との距離がもっとも縮まるその瞬間だけを待ち、心を静める。
――今だっ!
狙撃する瞬間、男は致命的なミスをしたと言わざるを得ない。真っ先に狙うのは皇女。これは揺るぎない決定事項。であるにも関わらず、男は自らの憎しみの念から、一瞬だけ皇女の隣にいる護衛騎士に狙いを向けてしまったのだ。
勿論、それに意識を割いたのは刹那の時間であり、男はすぐさま狙いを皇女に戻してクロスボウから矢を放った。
空気を裂き、それは真っすぐに皇女の額へと突き進み、深々と肉へと喰い込む。
「あ……」
不覚にも、男は声を漏らしてしまった。放たれた矢は皇女の直前で、突き出された護衛騎士の腕に防がれたのだ。
失敗、とはいえない。これで間違いなく奴は死ぬ。ならば別働隊に合図をして襲撃すれば目的は達成されるはずだ。
男は立ち上がり、すぐさま駆けだそうとしたが――その足を一瞬だけ止める。
木々に遮られ、向こうからはこちらを確認できるとは思えない。
それなのに……奴と眼が合ってしまったのだ。
深紅の瞳はその奥に隠れ潜む感情を発露させているようには思えないのだが、男は肌に粟立つ感触を覚えて逃げるように駆けだした。木々に身体のところどころを引っかけ、転げるように別働隊が待機している場所へと向かう。
「奴は仕留めたっ! お前らは予定どお――り……」
待機していたのは、六名。いずれもそこそこ腕は立つ。
だが、そこに存在したのはただの赤く染まった肉の塊だった。馬の死骸は辺りには存在しない。逃げてしまったのだろう。
だが、逃げることを許されなかった人間は、およそ人としての原形を留めない形と成り果てて、地面に散乱している。頭や腕、足と判断できるのはまだマシな方で、どのような暴力を振るわれればこうなるのか。男には理解できなかった。
男は震える足を殴りつけ、必死に駆ける。
作戦は失敗だ。
突如、前へと押し出す足の感覚が消失したかのように無様に地面へと顔面をぶつける。
いや、かのように――ではなく、事実消失していた。
「あ、ひ……ぁ……」
何故、自分はコイツを考慮していなかったのかと、男は自らを叱咤する。コイツが奴と一緒にいたところを見たのに。見ていたのに。なぜ。
だが、仕方がない。あの騎士が皇女の護衛を任じられてから既に二月は経つのに、一度としてこの魔物の姿は確認されていないのだから。いや、そもそも飛天狼が懐くという話など聞いたことがない。そして魔力の絶対量が少ない人間にそのようなことが可能なはずがないのだ。
あの場にいた全員が信じられなかったため、今の今まで見間違いであったのだろうとさえ思っていた。皇帝への報告に、空を飛ぶ魔物を騎獣にしていたとだけ伝えたことを、男は後悔した。
噛み切られた足は、無残に男の前で噛み砕かれて咀嚼されていく。
「シロ――御苦労さま」
暴力を内含した獣を前に絶望感が身体を支配していく。
そして、ソレに労いをかける声を聞いて、さらに身体が冷えこんでいくのが分かる。
「そんな馬鹿な……なんで……」
先程、矢で傷を負わせた騎士の姿が――そこにあった。
――動けるはずがない。騎士の身体には、腕には、まだ矢が突き刺さったままだ。もう死んでいるはずなのだ。
男が視線を向けると、騎士は煩わしそうに矢を引き抜き、手を添えると傷跡が一瞬で消える。高度な回復魔法だというのは理解できる。だが、毒で神経が侵されればそれも不可能なはずなのだ。
「な……」
「ん? なんの毒かは知らないが、俺に毒は効かないぞ。親父の幼児虐待のせいで……おっと、そのままだと失血死するか」
「ギャヒアアあァァアアアッ」
失った両足の切断面に炎が燃え上がり、肉を焦がす。直接神経を焼き切る痛みと同時に、流れ出る血液は止まったようだが、どのみち長くは保ちそうにない。
「さて、お前に訊きたいことがある。フィリアを殺す依頼をしたのは、誰だ? 何故そんなことをしようとする?」
男が答えることができるのは、前者の質問についてのみだ。後者に関しては、知る由もない。何故――という思考を持つことが許されなかったのだから。
そして知っている内容とて、軽々しく話すことはしない。例え相手がそれをほぼ確信しているとしても、だ。
「……」
「黙んまりか……シロ」
「ぐ……アぎゃああァァァア」
今度は男の右腕が喰いちぎられる。そしてふたたび傷口を焼かれる。それでも話さない男の態度に苛立ちを見せ、騎士は左腕にも同じ行為を行う。
「ぎ……ァグ……ひ」
男の思考回路は、もう切れてしまっている。
「ああ、あんたの顔は見たことがあるな。そうか、あの時の――」
「こ、殺せ……殺してくれ」
四肢を欠損した男が、涙と鼻水、小便さえも漏らしながら懇願する。
「イ……ルミナ……様、だ。証言するから……だから、助けて」
「理由は?」
「それは……本当に知ら……ない」
騎士が苦い顔をしてから、そっと男の顔に手を添える。
「悪いが、お前の証言で皇帝をどうにかできるとは思ってない……悪かった」
静かな森の中、何かが破裂する音が木霊した。
騎士は一瞬顔を歪ませ、一言だけ呟いてからその場を後にした。
「――クソババアがっ」
「――あ……ジーク、どうであった」
戻った騎士――ジークに、フィリアが駆け寄る。ジークに向けるその表情は二月前と比べ、暖かみを増しているように見える。
「懲らしめておきました」
「その……何か分かったのか?」
「……いえ、これといって情報は得られませんでした。申し訳ありません」
実際のところ、フィリアを暗殺しようとしているのがイルミナであることは確実となったのだが、それをこの場でフィリアに伝えることが解決に向かうとは思わないジークは、そのように返答する。
「そなた、腕の傷は大丈夫なのか? 毒など塗られていなかったろうな」
「至って健全ですよ。ご心配いただき、感謝致します」
「き、騎士が主君を守るのは当然の行為だ。心配などしておらぬ」
「それは、本当に残念です」
ジークは、穏やかな表情でフィリアに笑いかけた。
森の奥から、獣の遠吠えが響き、皇女一行は森を抜けて町へと向かうのだった。
ジークも、結構やらかしてくれますね。
シロは多分後片付け真っ最中でしょうか。
可愛いだけのワンちゃんじゃないようです。こわぃ




