思い違い
「痛ぇ……」
目を覚ますと、そこは簡素ながらもきちんとしたベッドの上だった。起き上がりざまに激しい痛みを全身に感じ、思わず呻き声を漏らす。
「ありゃ、強ぇ~わ」
ふたたび枕へと頭を沈みこませ、一息つく。見慣れない天井は当然馴染んだ宿屋のものではない。さて、ここはどこだろうな。
周囲を警戒して見回すが、人気はない。部屋内部は宿屋よりも少し豪華ってとこだろうか。あの後……気絶したのか。とりあえずは様子見だな。っと、傷の手当てだけはしとくか。何があるか分からない。
「うお……魔力がほぼすっからかんじゃねぇか」
使いきった状態から微かに回復していた魔力で傷の手当てを行うと、それで完全に残量0となってしまった。今の状態はちょっと不味いな。
「はあ~、やっぱりフィリアに近づくべきだな。魔族が武力蜂起するのは控えないと。今みたいに魔力が無くなった時点で形勢逆転だろうし……完全に回復するまでは数日ってとこか」
俺がぼやいているところ、不意にかけられた声にわずかに身を竦める。
「おや、お目覚めになりましたか? ご無事なようでなによりです」
男性のものにしてはやや細く思えるような声が室内に響く。音もなく部屋へと入ってきた人物は茶褐色の長髪に蒼い眼、尖った耳を持つ種族の男だった。ああ、これがエルフってやつなのか? だとしてもなんでこんなとこに。
訝しげな顔で見る俺に一度苦笑してから、ベッドのわきにある椅子に腰を下ろした。
「そう警戒しないでください。本来なら詰問するのはこちらの方なのですよ」
「詰問?」
「そうです。あなたがここリバーブル上流で何を見たのか? もしくは何をしたのか? 教えていただきたいのですが」
「あ、そゆこと」
「私は、ここリバーブルに住まうドレイク公にお仕えしているレヴィと申します」
「ジーク……討伐者……かな」
「ほう……なら、早朝にバルナ大河の上流から流されてきた理由を教えてもらえますか? それと、何故一緒に《ヒュドラ》の首までがいくつも浮かんでいたのかも」
どうやら、戦いの後に気絶したまま下流のリバーブルまで流されてしまったらしいな。ヒュドラの首も何本か一緒に流れついたってとこか。
さて、どうすっか。少し予定を変更しないといけない。
「レヴィさん? でしたっけ。ヒュドラ退治ってどんな感じなんです?」
「本来なら数日後にヒュドラ討伐に向けて混成軍が組まれる予定でしたが……少々混乱してましてね。なにしろ、倒すはずのヒュドラの首がいくつかあなたと一緒に浮かんでいたわけですので」
「なら、もうヒュドラが皆の脅威になることはないかと」
「どういうことですか?」
「言葉の意味通りですよ。いやぁ、予想以上に強くてちょっと無理かなと思いましたが」
今度はレヴィの方が怪しむ素振りで俺を見てくる。
「あまり冗談を聞くほど私は暇ではないのですよ。混成軍の編成は私の仕事なのですから」
「えーと、それもう必要ないですって」
レヴィは端正な顔立ちであるのに、わずかに眉間に皺がよって顔が強張る。
「失礼だが……討伐者ランクは?」
「……Aランク」
呆れたように首を振られた。ちょっと露骨なんじゃないの?
「失礼だが、ヒュドラはSSランクに該当する魔物です。とてもではないが、貴方に倒せるとは思えないのですが?」
「信じてもらえません?」
俺の言葉がやけに淡々としているので、相手もやや真実味を感じたのだろうか。
「現にヒュドラの首も流れ着いているため、嘘だと断じることはできませんね……まずは偵察兵に上流付近を捜索するように指示します」
「はあ、たぶん遺体は見つからないと思いますが」
「川底にでも沈んだと?」
「まあ、そうです」
「……あなたにはドレイク公爵に会ってもらいます」
唐突な申し入れに、俺は疑問の声を上げる。
「何でです?」
「ドレイク公はあなたに少し興味があるようですね。もし本当に単身でヒュドラを倒してしまえるような人物なら、放っておくほど無欲な方ではありません」
うーん、予定がずれてきた。ドレイク公に認められても困るんだが。まあ会って損はないか。フィリアを狙っているかもしれない野郎の顔を見ておくのもいいだろ。
相変わらず魔力は空だが身体は無事に動く。
レヴィに連れられて、俺はリバーブルの街並みを見物しながら歩いていく。どうやら俺が寝ていたのは騎士の詰所となっている建物の中だったらしい。街の規模は帝都よりかなり小さくはあるが、人の賑わいはかなりのものだ。
隣国ガイラル国との貿易の中心地であるから、ここまで栄えているのだろう。
「ヒュドラの件がありますので、これでも活気はいつもより少ないですが」
キョロキョロと辺りを見回す俺に、レヴィが一言添えた。
「――ここがドレイク公の館ですよ」
案内された館は立派なもので、城といっても過言ではなかった。
さすがは領主ってところか。
どこかの部屋に行くのかと思ったのだが、廊下を抜けた先にある屋外中庭へと案内された。かなり広い庭園で、中心部はちょっと走り回れるほどの空間がある。
「ここで待っていてもらえますか?」
言って、レヴィは中庭に面している四つのうち、北側の扉へと向かう。はてさて、どうなることやら。まさかここで危害を加えられるとかってないよな?
今は影の中に潜むシロも、かなり負傷していたと思うがどうやら意識はあるようなので安心だ。いざとなれば逃げよう。
「お待たせしました。こちらが――リバーブルを中心とする東部を領地として治めておられるドレイク公爵です」
レヴィの紹介後、俺は一応膝をついてから適当な挨拶を述べる。
「ああ良いのだ。そのように畏まる必要はない。ワシはそのように偉くなったつもりはないのでな」
少し、意外だった。勝手な思い込みだが、もっと腹黒い悪代官のようなやつをイメージしていたのに、目の前にいる壮年の男性は柔らかな笑みを浮かべて俺を見ている。白髪が混じってはいるが、瞳には精悍な輝きを宿していた。伸ばしている顎髭が紳士のたしなみのように整えられている。
「そなたがあのヒュドラを倒したというのは、本当なのか」
「はい」
「ふむぅ……どうじゃ、このレヴィと手合わせしてみんか?」
「え!?」
「正直に言うとな、ワシはそなたの実力に興味がある。レヴィは上級騎士で実力はかなりのもの。本来ならヒュドラ退治に加わるはずだったのだからな」
「えーと……」
ぶっちゃけ魔力がほぼない。見たとこレヴィはエルフだし、身体の内側からそれなりに魔力の波動は感じる。ちょっと厄介だ。
「ヒュドラを片づけてしまうような御仁にはとても敵わぬでしょうが、是非ともご指南いただきたい」
ドレイク公は本当に興味があるようにしているが、レヴィの方は俺がヒュドラを倒したってのを疑ってる素振りだな。ここで逃げればせっかくヒュドラを倒した苦労がうやむやになるかもしれないし。……やるか。
「武器は何を使われる。剣か? 槍か?」
「剣で」
今は魔法を武器化するほどの魔力はない。真っ当に剣で勝負することにした。
……ちょい不安かな。
すぐさま用意された剣を何度か振るって手に馴染ませ、正眼に構える。
広い中庭で金属音が鳴り響いた。
――剣での勝負はほぼ互角。あちらさんもなかなかのものだ。俺だって親父に剣術は教え込まれたが、やはり得意なのは魔法だ。
どうやら、それはあちらも同じようで、隙があれば魔法をぶち込もうとしてくる。俺の方も単純な魔法なら少しだけ可能だが、武器化には魔力が足りない。無駄撃ちは避ける。
剣を交差させて受け流した際、レヴィが呟く。
「確かになかなか強いですね……ですがヒュドラを単身で相手取ったにしては、少し物足りないのではっ」
レヴィが間合いの外に出た俺に向けて雷を放つ。こんにゃろ。
「なっ! ……ま、まともに受けるとは馬鹿なことを」
「痛ってぇ~~~、全身がビリビリする」
微かに戸惑うレヴィを無視して、俺は詠唱を開始する。
俺の魔力障壁は二種類ある。一つは相手の攻撃を防ぐもの。もう一つは、ダメージは防げないが、相手の魔力を吸収するものだ。
雀の涙ほどだが、レヴィの魔法分と温存した魔力で、数秒だけなら魔力を武器化できるだろう。
「――大気に満ちる炎精よ。我の右手に集いて形を成せ。その剣は全てを断ち切りし炎剣なり。触れるもの全てを焼き尽くす一振りとなれ」
「こ、これは一体」
持っている剣を投げ捨て、代わりに炎の剣を生成する。
「てやあぁぁぁぁっ」
レヴィまで一気に駆け寄り、炎の剣を振り下ろす。剣を合わせようとする試みは、鉄が溶解するので無意味だ。
何にも阻まれることなく、剣をレヴィの首元に近づけ――そこで止める。魔力もちょうど無くなったようで剣は空気中に溶けるように消えていく。
「そんな……ことが」
刀身が溶け落ちた剣を握りながら、レヴィが膝をついた。
「そこまでだ。いや、そなたは本当に強いのだな」
「これで信じてもらえましたか?」
「大したものだ。どうだ、ワシの下に仕える気はないか?」
やっぱりそうくるか。しかし、フィリアを守ると言いながら……まさかドレイク公の騎士になるわけにもいかないよなぁ。
「申し訳ございませんが、私には達成せねばならない目的がございます。今ここでドレイク公にお仕えすることは出来かねます」
「ほぉ? 面白いことをいう。その目的とはなんだ?」
「ご容赦ください」
踵を返して館を退出しようとする俺の背中に、ドレイク公が面白そうに声をかけた。
「フィリア様とのあいだに子供を儲ける……か? いや、実に愉快な男だな」
なん……だと。
弾けるようにドレイク公を振り向く。
何故それを知ってる? あの場にはフィリアの他に信頼されていた騎士が二人いただけだ。それを知っているということは……既にフィリアの周りには。
くそっ! いっそのことここで全員を殺すか? いや、さすがに今の状態では無理だ。
「そう怖い顔をするでない……そなたはおそらく少し勘違いをしておるぞ」
「勘違い……ですか」
「左様。おそらくそなたはワシが二ヶ月ほど前に起こった事件の首謀者だとでも思っているのだろう?」
違う、のか? だがフィリアに確かめた……いや、あの時フィリアは俺の話に相槌を打っていただけか。特に俺の考えを否定はしなかっただけなのかも。
となれば、俺は全くの見当外れなことをペラペラとまくし立てていたことになる。いや、それならフィリアが俺の出した条件に興味を持つことはないだろう。
元老院が黒幕ではないのだとすれば……あの時俺は何を言った? 誰が相手でもフィリアを守ると言った?
「まさか――」
俺はどうやら、結構な勘違いをしていたのかもしれない。




