『僕』の自己紹介
『僕』の生きた21年間は特にこれといったイベントもない、ごくありふれたものだったと思う。面白味も何もないかもしれないが人生の節目としてここに記そうと思う。いきなり昔話を始めるのも気が乗らないので、まずは『僕』の自己紹介をしよう。
1990年9月14日、この日九州の比較的都市化の進んだ市の小さな個人産婦人科で一人の男児が生を受けた。後に里中幹也と名付けられるこの男児が、この物語の主人公となる『僕』だ。
公立高校の社会科教師である父、里中明良と結婚後退職してしまったが同じく公立高校の国語教師であった母、里中薫の記念すべき第一児として生まれた『僕』はとても大切に育てられた。大切に育てられたとは言っているものの、幼稚園、小学校の低学年のころの記憶はほとんどないため真偽のほどはわからない。ただ小学校高学年以降の記憶や今現在の自分の家庭、幼年期の写真を見ると世間一般でいう幸せな家庭というものが形成されていると思う。つまり、『僕』の両親は素晴らしい親なのだろう。やりたいと思ったことはさせてくれたし、悪いことはきちんと悪いと叱ってもくれた。もちろん良いことをしたときは褒めてくれ、その日の夕飯か次の日の夕飯に『僕』の好きなものを作ってくれた。ちなみに僕は方言がほとんど話せない。九州に住んでいる、古臭く言うなら九州男児である『僕』は、元国語教師だった母さんにみっちりと標準語を叩き込まれた。(まあ、標準語を東京の方言だというのであれば『僕』は東京の方言をしゃべれる人間になるのだが。) 社会科の教師である『僕』の父さん (厳密に言えば世界史専攻の教師だが) は、地球儀や外国の風景写真集などを幼いころから『僕』に見せて説明してくれた。いつも最後の締めは「こんなところに住みたいなぁ」とか「今度ここに旅行に行こうか」などといったものであったが今までどちらも実現に至っていない。公立高校の教師には無理な話だろう。
あと、他に妹が二人いるのだが、こちらは『僕』の回想の中で紹介しよう。
さて、自己紹介はこんなものだろうか。次からは『僕』の過去から現在までの流れを書こうと思う。先に述べたが、小学校低学年のころまでの記憶は曖昧にしか思い出せないのでさらっと流させてもらう。『僕』は一般人であってファンタジーやSF小説の主人公みたいに転生体ではないし、特殊な能力も備えていない。それ故に生まれたばかりの話なんてできるわけがない、とでも言い訳しておこうか。何はともあれ、ここからはそんなごくありふれた一般人である『僕』の生きてきた道だ。もう一度だけ言うが期待はしないでくれ。日常的な話が嫌いな人は見ない方がいい、ブラウザバックを推奨させていただこう。それと一度だけ言いたかったセリフがあるんだ。言わせてくれ。
「さて、諸君?人の過去を暴く覚悟は十分か?」