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09・あったかいね

「……どうぞ、先輩。お話あるんですよね?」

「そうなんだよ! 聞いてくれよ!」


 きらきらと瞳を輝かせて前のめりになる内海先輩。ちょっと……顔が近いのが気になるので、少しだけ背を仰け反らせて話を聞き始めた。


「実はさ! 今度また、彼女に会えるんだよね……! もう、俺楽しみで楽しみで!」

「へー、そうなんですか……て、えぇ!?」

「何そんなに吃驚してるの? 香澄ちゃん」

「い、いえ! そんな吃驚なんてしてませんよ!」

「……その割りに、声が上擦ってるけど」

「あう……」


 吃驚……するに決まってるじゃない! 内海先輩が久しぶりに会える『彼女』って、それって、まもちゃんのことだもの! まもちゃんの作品のファンである内海先輩が、以前開かれた握手会にやってきたときのこと……まもちゃんは自分の顔を隠して漫画を描いていたので、当然握手会開催に戸惑いを感じていた。誰にもバレるわけにはいかないまもちゃんは、悩んだ挙句私が提案した『女装』をして握手会に臨んだのだ。担当さんは、もうこれっきりと約束してくれていたはずだけど、一体何がどうなってるんだろう? 


「内海先輩、その……彼女に会えるのはいつなんですか?」

「それがさ! 緊急決定したらしいんだけど、今度発売されるコミックを買った人限定二百名様のみ、握手会の参加が認められるんだ! コミックは再来週の金曜日に発売で、場所は前と同じ秋葉原で! 俺、有休とって行こうと思ってるんだ!」

「再来週の金曜日……!?」


 これは初耳だ。というか、まもちゃんは知っているのだろうか。まさか本人に了解を取らずに出版社側が勝手に決めたということはないと思うけど……今日、早速確認してみなくては! 思いがけず危険な情報を手に入れた私は、早く会社が終わればいいと強く願っていた。

 仕事が終わったら、速攻まもちゃんに会いに行こう!

 これだけを強く思って、午後はいつも以上にバリバリ働いた私であった。

 仕事を終わらせ定時と同時に弾丸のように会社を出た私は、まっすぐまもちゃんの家に向かっていた。父は私が仕事中に家に帰ったらしく、仕事の途中でメールが届いた。これで家にまっすぐ帰る理由もなくなった。でも父が帰ったとしても、見合いの話はなくならないだろう。まもちゃんに相談してみようか……そんなことを考えながら電車に乗り、最寄り駅で降りた。相変わらず帰宅ラッシュの電車は混雑していて少し気持ち悪くなったけれど、一刻も早くまもちゃんに会わなくちゃ。頭がくらくらするけれど、私は彼の元へと走っていったのだった。


「まもちゃん!」

「うわぁっ!」


 インターホンも鳴らさずにまもちゃんの家の玄関に飛び込んだ私は、ちょうど帰宅した樹くんの背中に思い切りぶつかってしまった。樹くんの背中に鼻をぶつけ、鋭い痛みが走る。鼻を両手で押さえ、しゃがみこんでその痛みを堪えていた。


「大丈夫か? てか、急に飛び込んできたら危ないだろ!?」

「ごめ……急いでて」

「たださえ低い鼻がさらに低くなったんじゃねーの?」

「酷っ! 低くないわよ!」

「なんだ元気じゃねーか」


 ニカッと笑って私の頭をぽんぽんと撫でる樹くんを見て、痛かった鼻のことを少しだけ忘れていた。いつもこう、樹くんは気遣い屋さんなところがある。年があまり変わらないからか、樹くんと話すのは楽しい。楽しいから、思いつめていたことや今みたいに痛いことなどすぐに忘れることができる。


「で? 急ぎって?」

「あ! そうだ……まもちゃ……あれ?」

「どうした」

「や、なんかクラクラしてきた……」

「お、おい!」


 夢中で走ってきたからか、さっきの混雑していた電車に乗った時にクラクラしていた頭が、さらにクラクラする。その場に立っているのがやっとの私は、ほんの少し足をよろめかせ、玄関にしゃがみこんだ。

 なんだろう、クラクラしすぎて前がよく見えない……。

 貧血など無縁だった私が、初めて起こした貧血かもしれない。くらくらして気持ち悪い。すると、急にしゃがみこんでいたはずの私の体が、ふわっと宙に浮いた。


「……大人しくしてろよ。ソファーで少し横になれ」

「い、樹くん! 自分で歩けるから……!」

「いいから、大人しくしてろ」

「……ハイ」


 樹くんの迫力に負けて、私は大人しく樹くんにお姫様抱っこされながら、リビングに運ばれた。そして大きなソファーにゆっくりと下ろされて、頭にクッションを入れられる。そのまま樹くんの掌が私の額に置かれると、少し安心したように小さく溜息をついた。どうやら熱はないと安心したらしく、さっきまでの真剣な表情が途端に緩んでいた。


「ん。熱はないな……」

「ごめん、重かったでしょ?」

「あーホント重かったわ。ダイエットしたら?」

「相変わらず口が悪いんだから……」


 お互い顔を見合わせると、どちらともなく笑いが零れる。なんだか樹くんとは良い関係が出来ているようだ。樹くんと妹の翠ちゃんは、小さい頃にお母さんを亡くして以来、お父さんに育てられてきた。けれど忙しいお父さんはなかなか家族との時間がもてなくて、樹くんが翠ちゃんの面倒を見てきたのだ。だから樹くんは人に甘えるのがとても苦手だったと、まもちゃんから聞いたことがある。やがてまもちゃんのお母さんと樹くんたちのお父さんが結婚した時、まもちゃんを含めた三人での生活が始まった。樹くんは当然、まもちゃんとどう接していいかわからなくて、いつまでたっても馴染めなかったらしい。けれど、それでもまもちゃんの面倒見のよさや、思いやりの強さを自分なりに感じたのだろう。徐々にまもちゃんを兄として認め、いつしかお兄ちゃん大好きっ子になってしまった。初めて頼れる存在に出会い、初めて甘えてもいい人物に出会えたのだ。だから樹くんは私がまもちゃんと付き合いだしてから、どこかでお兄ちゃんを取られてしまったような気がしていたのだろう。幼い頃に甘えることを許されなかっただけに、こうして大きくなってもまだお兄ちゃんが大好き。これは仕方ないかもしれない。それでも、樹くんが私を少しずつ認めてくれるようになって、楽しくおしゃべりできるようになったことが私はとても嬉しかった。渋沢三兄妹に仲間入りできた気がして。

 ソファーに横になり、近くで樹くんが見守るように座っている。そんな時、二階から乱暴な足音が近づいてきた。


「……やっぱり! 香澄、どうしたの!?」

「まもちゃん。いや、ちょっと貧血で」

「なんで!? 貧血って……ちゃんと食べてるの!? もう、今日は僕が作るから……貧血にいいもの作って、それから……」

「ま、まもちゃん! 落ち着いて!」

「冷蔵庫に何かあったかな。そうだ! 確か……」


 慌てふためくまもちゃんを見ていたら、同じようにぽかーんと口を開けて樹くんもまもちゃんを見ている。想像以上の慌しさに、私と樹くんは思い切り笑った。私達を見て、今度はまもちゃんがぽかんとする。なんだかあったかいこんな時間が、ずっと続けばいいのに……。でもそれも長く続かない。これから起こる出来事は、こんなあったかい日常を全てぶち壊していくのだった。

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