08・屋上にて
なによなによなによ!
怒りに任せて履いているハイヒールの踵を乱暴に鳴らしながら歩いていた。今日は月曜日。いつもより少し家を早めに出て、父を一人部屋に残して出てきたのだ。父は今日珍しく有休を取ったと言い、しかも私の会社の上司にひとことご挨拶を……などと言い出したのだ。私はもう子供ではないし、職場の上司にわざわざ挨拶だけしに来るなんて、そんな社員の親を見た事がない。そんな父をなんとか宥めて、ようやく出勤したのだ。
それにしても、お見合い。いったいどうしたら良いのだろう。お見合いなんてしたい人がすればいいのに、しかも私はまもちゃんがいるのに、父はどうしても私にお見合いをして欲しいと言う。一人娘に結婚を勧めるには、少々早くないだろうか? 私はまだ二十代前半だし、結婚適齢期だってもっと上だ。最近の女性は婚期が遅くなっていることを知らないのだろうか。まぁ、もう何を言っても父は聞く耳持たないだろう。きっと来週は私のお見合いが決行されるに決まってる。無駄に抵抗するくらいなら、素直なフリをしてお見合いの席をぶち壊してやろうか。うん、そうしよう。相手の人には悪いけど、父に一泡吹かせてやろう!
この時の私は、もう父に何とか面目を潰してもらおうとしか考えていなかったのだ。
「おはようございます」
会社に着き、自分のデスクへと向かう。社員は相変わらずの面子だけど、今年はちゃんと後輩が入ってきたのだ。私もいよいよ社会人の『先輩』として後輩に色々指導する立場になった。ほんの少しの興奮とプレッシャーがなんだかとても心地良い。部署内は皆仲良くて、月に一回開かれる部長主催の飲み会も変わらずに行われているのだ。勿論、私もしっかり顔を出すことにしている。最初はまもちゃんに遠慮して欠席していたのだけど、まもちゃんは笑顔で「楽しんできたら? 僕のことは気にしないで」なんて言うもんだから、つい飲み会に顔を出してしまう……。会社の飲み会というものは堅苦しくて嫌いな人が多い中、私がいる部署の飲み会は和気藹々で先輩も後輩も関係ない! とても楽しい飲み会なのだ。だから出席率はほぼ百パーセント。こんな仲の良い部署はほぼないといってもいいだろう。こんなに社員同士が仲良いのも、きっと人望厚い部長のお陰だと思う。
部長は今年四十六歳になったばかりの愛妻家。仕事がデキる男であることは、会社の幹部たちのお墨付き。勿論、部長という役職の権力を振りかざして、部下をどうこうするということもない。社員の目線で物事を見て、部長の目線で社員に指示を送る。そんな部長だから社員もみんな憧れる。そのみんなの憧れの部長は前原といい、なんとまもちゃんのお父さんの後輩だ。昔からまもちゃんのお父さんとは仲良くしていて、小さい頃のまもちゃんをよく知っているらしい。何を隠そう、前原部長が私とまもちゃんを結び付けてくれたといっても過言ではない。……結婚式は呼ばないと、なんてっ!
勝手に脳内で浮かれていると、これまた浮かれた男がやってきた。その男は社内で出世確実! しかもイケメン! と言われ女子社員にモテまくりの男、内海亮平だ。まもちゃんと知り合う前は私も彼に夢中だった女の一人だ。けれど、まぁ、色々あって彼よりもまもちゃんにときめいてしまったのだ。おかげで今はまもちゃんと付き合えてとっても幸せだ。……まもちゃんの名前を出すと、どうも惚気てしまうのが悪い癖だなぁ。すっかり脳内から消えていたけれど、内海先輩がうきうきの笑顔で部署内に入ってきたとき、私の中に嫌な予感がしていた。そしてその予感は的中することになるのである。
『今日、お昼一緒に食べよう。屋上で待つ。』
社内メールでこんな内容が送られてくることはザラにある。彼は何というか、私をこうしてちょこちょこお昼へと誘うのだ。それはなぜかって? それは必ずと言っていいほど、内海先輩が話したいことがあるときだ。自分の嬉しいこと、悲しいこと、悩んでること……とにかく自分の胸の内に溜めておけないのか、こうしてお昼に呼び出されて延々と聞かされる。ハッキリ言ってちょっと地獄だ。楽しい話ならともかく、悩みとか困る。仮にも内海さんは先輩だ。後輩の私になぜ頼るのか。それも内海先輩がまもちゃんと高校時代の友達だったのと、私とまもちゃんが付き合っていることを知っている数少ない人だ。そしてもう一つ厄介なのが……多分、今日はそれのことを話すんじゃないかなぁと、内心ドキドキしている。しかし、そのメール内容を振り切って、私はとりあえず午前の仕事をちゃきちゃきと終わらせたのだ。
お昼休みに入り、私は外のお弁当屋さんで買ってきたお弁当を手に、屋上へとやってきた。屋上にはすでに昼休みを堪能している社員達がおり、その中から内海先輩を探し出すのはとても簡単な作業だった。なぜだか彼は屋上にくると物思いにふけてしまうのか、一人でたそがれていることが多い。だからこの屋上でとても浮いて見える。それに気付かない本人。いつか教えてあげたほうがいいのかな。
「内海先輩!」
たそがれている背中に声をかけるとクルリとこちらを振り向き、笑顔を浮かべる。今日は満面の笑みを浮かべている。と、いうことは、今日は嬉しい事があったのだろう。私は先輩の横に腰をおろしお弁当を開け始めた。お弁当を開き、横に置いといたペットボトルのお茶に手を伸ばす。そしてそのお茶を一口飲んだところで、らんらんに瞳を輝かせる内海先輩の表情が視界に入った。どうやら「茶なんて飲むくらいなら、俺の話を聞いてくれ!」と言いたいのだろう。
さぁ、内海先輩のお話を聞かせてください……手短に。