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48・夕暮れ


 黒川家のリビングで、私達はお茶に誘われて談笑している。

 幸せそうな黒川夫妻に、リビングにも置かれているベビーベッド。そこには、すやすやと菫ちゃんが気持ち良さそうに眠っている。ベッドの脇には、可愛らしい動物のメリーがオルゴールのメロディーを奏でながら、ゆっくりと回っている。その様子を見るたびに、自然と顔がほころんでしまう。


「やっぱり赤ちゃんって、いいですね。なんだか心が穏やかになります」

「そうね。私も産むまではどんな感じなんだろうって不安だったけど、やっぱり我が子は愛しいものよ。産んでよかったって、胸を張って言えるわ」


 清々しい笑みを浮かべる日菜子さんは、母の空気を纏い、凛とした表情できっぱりと言い切った。その姿は、今の私には眩しいくらいだ。

 温かい紅茶を頂きながら普段食べないような高級な焼き菓子を頬張り、この家の安らかな空気を感じていた。すると、リビングの扉が開き、今まで姿を見せなかった一柳さんが帰ってきた。


「どうした、一柳。遅かったな」

「すみません。ちょっと仕事の電話が立て続けに入ったもので」

「何かトラブルか?」

「いえ。心配には及びません。もう大丈夫ですから」


 分厚い手帳を抱えながら、ほんの少しだけネクタイを緩めて息を吐く一柳さん。今の口調からもわかるように、一柳さんは相当優秀な秘書さんのようだ。

 黒川社長の秘書とはいえ、運転手もこなしているなんて大変そうだ。休日だというのに、こうして黒川社長と共に過ごさなくてはいけないなんて。

 一柳さんは手馴れたように消毒を済ませ、リビングのソファーに腰をおろした。先程までの秘書の表情から、ほんの少し緩んでいるような気がするのは気のせいだろうか? 確か、黒川社長とは幼馴染と聞いてはいるけれど……。そういえば、一柳さんは結婚していないのだろうか? ふと、そんな疑問が湧いてきた。それを訊いてみようかな、と口を開こうとした瞬間、日菜子さんが先に口を開いた。


「一柳さん。歩さんはお元気ですか?」

「ええ。元気にやってます。今度は歩も連れてきますから」

「楽しみにしてますね」


 にこにこと微笑み合いながら日菜子さんと一柳さんが会話をしている。仲良さげな二人を見て面白くないのか、黒川社長が横やりを入れてきた。


「相変わらず、奥方様に尻を敷かれてるのか」

「……心外ですね。譲様にそう言われるとは」

「俺は尻に敷かれてないからな。お前と違って」

「譲様。今はお客様もいらっしゃるので控えますが……私を侮辱したことをおぼえておいてくださいね……?」

「うっ! わ、悪かったから、そんな目で睨むな! お前がそんな言葉を言うと、洒落にならないから」


 お互い笑顔なはずなのに、ピリピリした空気が痛い。

 何、この二人! いきなり不穏なムードを漂わせて。しかも一柳さんって結婚してたんだ!

 ハラハラしながら二人の様子を窺っていると、くすくす、と日菜子さんは笑う。


「相変わらずの二人ですね。お客様が驚かれてますよ」


 丁寧な言葉遣いで、不穏な空気を和やかにする日菜子さんは凄い。怒るわけでもなく、呆れるわけでもない。そんな彼らの様子を見ていると、この三人はきっと、過去に三角関係だったのかもしれない! なんて、恋愛小説めいたことを思ったりしてしまう。妄想ばかりが膨らんで、会話が耳に入らなくなるのは、私の悪い癖だ。私の隣に座っているまもちゃんが、何度も私の名前を呼んだみたいだけれど、私はそれに気付くことないまま妄想の世界にどっぷり浸っていたようだ。

 妄想の世界から無理矢理引き戻され、再びリビングに明るい笑い声が響く。菫ちゃんのこと、黒川夫妻の馴れ初め、一柳さんの奥様のお話、色んなことを話してくれ、私達の結婚までも応援してくれた。恥ずかしかったけれど、「お幸せに」と、皆が笑顔で言ってくれたのは、本当に嬉しかった。私もまもちゃんも頬を染めつつ、お互い結婚する、という意識が自分の中で高まったような気がした。

 楽しい時間はあっという間。日も暮れかけてきたので、私とまもちゃんはそろそろおいとますることにした。一柳さんは車で送ってくれると言ってくれたけれど、私達は丁重にお断りをした。車で送ってもらうのが嫌なわけではない。早く、奥様のところに帰ってあげて欲しいと思ったからだ。

 

「今日はご馳走様でした」

「いやいや。嬉しかったよ、会いにきてくれて。日菜子も友達が少ないから、楽しかったみたいだ。よければ、これからもちょこちょこ遊びに来て、日菜子の話相手になってやってくれ」


 少し疲れてしまった日菜子さんは、途中で席を外して二階の部屋で横になっているようだ。産後で体調がまだ充分に戻っていないことと、初めての育児。そして久しぶりに客の相手をして、どっと疲れが出てしまったようだ。


「日菜子さんに、お大事に、とお伝えください。それと、私でよければいつでもお相手しますから」

「そうか。ありがとう。君達も、素敵な結婚生活を楽しみにしておきなさい。きっと、毎日が楽園だから」


 黒川社長の言葉に、私の中で結婚への期待がさらに高まった。きっと、黒川社長は、日菜子さんが大好きで大好きで仕方ないのだろう。こんな素敵な夫婦像を目の当たりにして、私もまもちゃんも、お互いが暖かい気持ちになっていった。

 帰り道、まもちゃんと並んで歩いていると、まもちゃんが突然私の手を取り、指を絡ませて繋いできた。何の言葉もなく突然手を取られ、冷たい風に晒されていた手がじんわりと温まる。


「まもちゃん……?」


 夕日に照らされた彼の横顔に、声をかける。言葉を発さずに真っ直ぐ前を向いていた彼の、優しい眼差しがゆっくりと向けられ、穏やかに微笑んだ。


「僕らにも、可愛い赤ちゃんが授かるといいね。あったかくて優しい家庭を、僕と一緒に築いていこうね」


 ほら。まもちゃんはいつも突然、私が欲しい言葉をくれる。

 これはもう、何度目のプロポーズなんだろう。それでも、何度言われても嬉しくて、思わず涙目になってしまう。

 同じ思いを共有している。それがこんなに嬉しいことだと知ったのは、まもちゃんと付き合ってから初めてだった。

 まもちゃんの言葉に、私はこくんと頷き、ぎゅっと彼の腕にしがみついて「うん」と小さく呟いた。

 私達を照らす夕日が、なんだかとても暖かい。そんな夕暮れの帰り道。

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