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44・心のモヤを晴らしましょう

 

 部長室から出た私は真っ直ぐ自分のデスクに行き、手にしていた退職願を引き出しにしまった。

 我ながら、先走ったことをしてしまったなぁと思う。でも、まもちゃんのお手伝いがしたいと思って退職願を書いたのは事実だ。勿論、さみしくてちょっとはヤケになって書いたという部分もあるけれど……会社のこと、これからの二人のこと、まもちゃんと相談しなくてはならないことは山のようにある。一つずつ、ゆっくり話し合っていこう。そう思った、午後のひと時だった。


 会社の終業時間になり、今日は残業もなく真っ直ぐ家に帰る事にした。帰るとき、忘れずに退職願をバッグにしまい、会社を出る。すると、後ろから嬉しそうに、何処か陽気な声が聞こえてきた。


「かっすみちゃ~ん」


 こんな呼び方をする人は、会社では唯一人だ。


「……浮かれてますね、内海先輩」

「あれ? わかっちゃった?」


 らんらん、とスキップをしている内海先輩は、ニコニコと嬉しそうな笑顔を浮かべながら私の前にやってきた。その姿を見て、内海先輩がいつものように明るくなったことに、私はホッと胸を撫で下ろした。

 内海先輩は、ついこの前まで女装したまもちゃんに本気で惚れてしまっていた。実はまもちゃんだ、と言い出せないまま先日の握手会を迎え、内海先輩の恋は破れてしまったのだ。随分煽てて機嫌良く帰ってくれはしたものの、会社ではあまり元気がなく、取り巻きの女性社員に毎日のように心配されていた。だからこんなに元気な内海先輩を見るのは、久しぶりだった。


「何か良いことでもあったんですか?」

「まぁ……ね。今度話すよ。それより、渋沢との結婚の話は進んでるの?」

「ま、まぁ、そうですね」

「……微妙なのか」


 内海先輩に鋭い質問を浴びせられ、私は少々戸惑ってしまった。結婚の話は進んでいないわけじゃないけど、身動きできない状態だ。どこで、どのように、どういうスタイルで、という話はしたりするものの、準備そのものは全くしていない。式場に足を運んだこともないのだ。

 まもちゃんとの結婚は、まだおあずけなのかなぁ。

 毎日同じ家で過ごしているのだから、婚姻届なんて出さなくても生活は変わらないだろう。でも、何か気持ち違ってくると思う。結婚を急かしているわけではないけど、一度結婚の文字を出したからには、ゴールに向かって準備を始めたい。

 まもちゃんは本当に私と結婚したいと思ってるの?

 この前のホテルでも結婚への不安が溢れたけれど、実は毎日のように不安はついて離れない。まだ踏み入れた事がない未知の領域『結婚』。結婚したら何かが変わってしまうのだろうか。変化を恐れているわけではないけれど、やっぱり不安なことには変わらない。

 モヤモヤと嫌な考えばかり浮かぶ私の隣では、内海先輩が楽しそうに何かを話している。でも、その声が私には届かないくらい、自分のことで精一杯だった。そんな時、突然私の携帯が鳴り出した。


「わっ! ……と、内海先輩すみません。ちょっと電話に出るのでここで失礼します」

「わかった。お疲れ様」


 ひらひらと手を振って駅に向かって歩いていく内海先輩を見送りながら、携帯の通話ボタンを押した。


「もしもし」

『もしもし、俺』

「俺?」

『俺だよ、俺!』

「オレオレ詐欺なら間に合ってます」


 なんだ。今時オレオレ詐欺か。

 そう思って通話ボタンを躊躇うことなく、ぴっ、と切った。すると、再び同じ番号から電話が掛かってきた。

 何度も何度もしつこいなぁ!

 人が悩んでいる時に、何度も電話を鳴らされて怒っていた私は、怒りに任せて大声で電話口で怒鳴り散らした。


「しつこいなぁ、あんた何なのよ! この暇人!」


 怒鳴り散らした後、しばしの沈黙が続き……この後、とんでもない恥をかいてしまった。


『あの、一柳ですが』


 一柳さんの声を聞いて、私は失神しそうになってしまった。

 そうだ。一柳さんの携帯の番号は、名刺を頂いてから携帯の電話帳に登録をしないままだった。かける機会はないだろうと思い、名刺だけ手帳に保管してアドレスはいじらず仕舞いで終ったのを、今頃思い出した。


「すすすみませんでした! 私ったら何て口を……」

『いえいえ、お気になさらず。先程の失礼な電話をしたのは、黒川です。どうもお見苦しいものをお聞かせしてしまい、こちらこそ申し訳ございませんでした』

「いえ。そんな」


 一柳さんの涼しい声の後ろで、黒川社長の怒鳴り声が私の耳に届き、それがなんだかとても可笑しかった。途中、一柳さんが電話の向こうにいる黒川社長に「はいはい、少し静かにしましょうねー」なんて言い聞かせているのが可笑しくて、堪らず吹き出してしまった。


「一柳さんと黒川社長は、仲がとってもよろしいのですね」

『仲が良いのかはわかりませんが、これでも一応幼馴染ですので。小さな頃から知っている仲ですよ』

「そうなんですか? だから二人の会話は楽しそうなんですね」


 くすくす、と笑ってしまう。なんか、この二人の会話はいつもどこか微笑ましいから、思わず一緒に笑ってしまうのだ。

 一柳さんと黒川社長と一緒に話しをしていたら、なんだか結婚の準備が進まないだの、会社を辞めるだの、色々一人で悩んでいた事が馬鹿らしく思えてしまう。

 考え込んだって仕方ない。やっぱりちゃんと話すことが大事なんだ!

 いつもの前向きな私が、ようやく戻ってきた気がする。一柳さんと黒川社長には感謝しないとね。

 それにしても何の用事で電話をしてきたのだろうか。いつまで経っても、電話の向こうで二人の口論は続いている。どこで口を挟んで良いのか悩んでいると、突然、電話の相手が一柳さんから黒川社長に代わっていた。


『妻が、家に帰ってきたんだ。で、良かったら娘を見に来て欲しいのだが……』

「え!? そんな、退院して間もないじゃないですか」

『でも、これは妻の強い希望なんだ。ダメか?』

「う……じゃあ、今度の土曜日でよろしければ伺います」

『決まりだな! 日菜子にも伝えておくから。楽しみにしてる』


 そう言った黒川社長は、ブツリと突然電話を切ってしまった。

 嵐のような人だなぁ……。

 喜怒哀楽がしっかり出る社長なんて、なんだか可愛いなぁと思う一方で、これは秘書の一柳さんが苦労する筈だわ、なんて思ってしまい、可笑しくて一人で笑いを堪えていた。

 突然の申し出に驚きはしたけれど、このモヤモヤしている気持ちを払拭するには良いきっかけかもしれない。

 私は、バッグから手帳を取り出して、土曜日の欄に花丸をつけたのだった。


遅くなりましたが、web拍手のお礼を書かせていただきました。

よろしければ、活動報告をご覧ください。


いつもたくさんの拍手をありがとうございます。

コメントも、とても嬉しいです!


あと少しですが、どうぞお付き合いくださいませ。

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