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43・いじけ虫

「はぁ~」


 溜息を何度も吐いてしまう、月曜日の午後。仕事場のデスクに向かいキーボードを打ちながら、隙をみては溜息を吐く。

 月曜日は嫌い。週末のお休みまで一番遠い日だから。働いている人なら、きっとわかってくれるはずだ。

 眠たい目を擦りながらもPCと睨めっこをしている私の肩を、ぽん、と軽く叩くのは、部長だった。


「ちょっといいか?」

「あ、はい」


 部長に促されるまま部長室へと入り、静かに扉を閉めた。部長がデスクに座ると、デスクに両肘をついたまま私を見上げる。

 何か、しでかしてしまっただろうか?

 もやもやと様々な思考が巡るものの、ここのところ目立ったミスはしていないはずだ。この前の契約の件も、黒川社長がまとめてくれたと部長も社長も満面の笑みを浮かべていたのを知っている。一体何の話だろうか。

 

「前園」

「は、はい!」


 突然名前を呼ばれて、背筋がしゃん、と伸びる。なぜか身構えている私を見て、部長が派手に笑い始めた。


「そんなに固くなるな。別に説教をするわけじゃないんだから」

「そ、そうなんですか?」

「なんだ、説教されるようなことでもしたのか?」

「いえいえ。滅相もございません!」


 首を横に大きく振って、自分は何もしていないと訴えていると、部長の笑い声はさらに高くなった。

 ようやく笑い終えた部長が、目尻にたまった涙を指で拭い取ると、ようやく本題に入ってくれた。


「前園、これは本気か?」


 デスクの上に出されたのは、私が書いた『退職願』だった。

 そう。実は私、仕事を辞めるつもりなのだ。理由は簡単。まもちゃんのお手伝いをしたいから。ただ、その理由を正直に話すのは恥ずかしいので、部長には『結婚するから』と伝えてある。所謂、寿退社ってやつだ。


「守は、お前が退社することを知っているのか?」


 部長は時々、痛いところをついてくる。

 実はまもちゃんには、退社するなんてひと言も話していない。ただ、結婚したら不規則な仕事のまもちゃんを支えたいと思うのは当然だろう。私は仕事をしながら、漫画家の妻としての責を果たす事ができるのか、それがとても心配だったのだ。元来、私は器用ではなく、どちらかといえば不器用なほうだ。だから結婚したら仕事を辞めよう、と、まもちゃんが両親に自分の仕事のことを打ち明けた時、こっそり思っていた。


「……渋沢には、話していません。私の独断で決めたことです」


 そう告げると、部長は大きく息を吐き、やっぱりな、という表情を見せた。


「ちゃんと話したほうがいいと思うぞ。これから夫婦になるのなら、なおさらだ」

「……はい」


 部長の言うことは尤もだと思う。でも、ここ最近、まもちゃんとは全く会話をする時間がないのだ。

 あれは、まもちゃんとホテルで一緒に甘い時間を過ごした時の事だ。 


 ****


「香澄。実はこれからしばらく、忙しくなると思うんだ」

「え? だって握手会終ったら少し仕事が楽になるって……」

「うん。その時はそう言ったんだけど、二ヶ月後、香澄と一緒に旅行したいなぁって思っててね。仕事を増やされちゃったんだ」

「旅行って、私何も聞いてないよ?」

「本当は内緒で進めたかったんだけど、香澄は仕事もあるし相談したほうがいいかと思って。婚前旅行になるけど、一緒に行こう?」

「……うん」


 ホテルで突然旅行の話をされた時、どうして勝手に決めちゃうんだろうって思っていた。もっと、一緒にプランを練ったり、あれしたい、これしたいって相談したいのにって、本当はそう思っていた。旅行は嬉しいけど、ちょっとだけ寂しいなぁって感じずにはいられなかったのだ。

 その次の日から、まもちゃんの仕事量は今までの倍以上に増えてしまったのだ。仕事部屋からは殆ど出ることもなく、食事も廊下に置いておくだけ。いつのまにか空になったお皿を提げても、まもちゃんは私と顔を合わせる事がなかった。

 毎日同じ屋根の下にいるというのに、ちっとも顔を合わせる機会はなく、ただ日にちだけが過ぎていく。その時、仕事がなければまもちゃんともっと一緒に話したりお手伝いしたりできるかも、と強く思い、それからすぐに退職願を書いたのだ。勿論、顔を合わせることもなかったので、まもちゃんに相談なんて出来ずにいた。

 まもちゃんが、遠いなぁ……

 夜、寝る前にまもちゃんの部屋から漏れる明かりを見ながら、毎日寂しさを感じては、一人でベッドに潜る寂しさを痛感していたのだった。


 ****


「そんなわけで、ちっとも会話できないんです」


 部長に正直に話すと、部長は「やれやれ」と頭を掻きながら立ち上がり、私の顔を見た。そして真っ直ぐ私を見つめると、静かに口を開きだす。


「これから夫婦になるのに、お前らはどれだけお互いに遠慮してるんだ」

「遠慮、ですか?」

「そうだ。前園はもっと守の邪魔をしてるなんて思わずに、もう少し自分に我が儘になってもいいと思う。守は、ちょっとお前の為に何かしよう、として頑張りすぎている気がするな」

「私の為に、頑張りすぎてる……」

「旅行する時間を作るために、仕事を詰め込まれたんだろう? お前の為、というか二人の為というか……。まぁ、良い言い方をすれば、お互い想い合ってるってことだけどな」


 ははっ、と笑いながら、部長が私の肩をぽんぽん、と励ますように叩くと、私は自分がとても恥ずかしくなってしまった。

 仕事を続けるも続けないも、どうして一人で決めてしまったのだろう。とても大事なことなのに、相談一つなく、勝手に退職願を書いて先走ってしまった。そして、まもちゃんが旅行の為に仕事を増やしたことは私だって分かっていたはずなのに、ほんの少しの間会えないだけで、勝手に寂しがっていじいじしていたのだ。

 いつだってまもちゃんは私に嫌な顔一つしないのに、旅行のプランを練っていてくれて嬉しい筈なのに、私は勝手に一人で捻くれて……。


「……部長。その退職願、やっぱり返してもらってもよろしいでしょうか」

「そういう素直な前園、可愛いと思うよ」


 部長の冷やかしに、私は自分の顔が熱くなるのを感じながら、ほぼヤケになって書いた退職願を両手で受け取ったのだった。


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