41・二人きりの優しい時間
まもちゃんの腕に抱かれ、私はゆっくりと瞳を閉じた。私とまもちゃんの鼓動が重なり、それが良い子守唄になって……気がつけば、私は意識を手放していた。
「ん……?」
ゆっくりと瞳を開くと、見知らぬ天井がそこにある。ボーっとした頭で記憶を手繰り寄せ、ようやくまもちゃんに抱きしめられながら眠ってしまったことに気がついた。急いでベッドから飛び降り、寝室の扉を開くと、まもちゃんの話し声が聞こえてきた。
「うん、うん。わかりました、ありがとうございます」
誰と話してるのかな?
なんとなく電話中ということもあり、扉を開けたまま中に入れずにいた私は、再び扉をしめようとした。が、そんな私に気がついたまもちゃんは、おいでおいで、と手招いてくれる。だから私は、少し遠慮がちにまもちゃんに近づいた。近づくと同時に、まもちゃんの携帯は切られてしまった。
誰からだったんだろう?
疑問に思いながらも相手を聞けずにいた私。そんな私の考えをいつもわかってしまうまもちゃんは、小さくくすり、と笑ってくしゃくしゃと私の頭を撫でた。
「担当さん、だよ」
「そ、そっかぁ」
「香澄はすぐ顔に出るからわかりやすいなぁ。これで安心した?」
「ごめん。疑ってるわけじゃないんだけどね」
そう。まもちゃんのことは信じている。でも、好きだから心配になる。
世の中には私よりも素敵な女性は五万といるだろう。それでも私を選んでくれたまもちゃんが、いつ心変わりしてもおかしくはない、いつもそう思っている。まもちゃんにとって、私がいつも一番の女性でいられるように努力はしているつもりだけれど、もしも、素敵な女性がまもちゃんに言い寄ってきたりしたら、まもちゃんの心が揺れ動くんじゃないかって凄く心配になってしまう。信じているのに、なんだか矛盾している。
恋愛って理屈じゃないよなぁ……。
時々、ふと、そう思う事がある。この感情に、正解なんて一つもないような気がしてしまう。だから、私は自分の気持ちに、もっと自信をもたなくてはいけない。それは今後の課題だ。
「香澄、どうしたの?」
「え? あ、ううん。なんでもないよ。それよりまもちゃん、私お腹ぺこぺこ」
「じゃあルームサービス頼もうか」
まもちゃんがテーブルに置かれたメニューを持ってきてくれ、私達はソファーにかけて一緒にメニューを眺めていた。
う……何これ、高っ!
しがないOLの給料では、ルームサービスの食事の料金を支払うにはかなり厳しい。これは……カード分割、なんてできるのかな?
メニューを見ながら唸っている私と、物珍しそうにメニューを見つめるまもちゃん。すると、まもちゃんがメニューから顔を上げて私の顔を覗き込んできた。
「どう? 何か食べたいものあった?」
「うぅぅ……き、きつねうどん」
「きつねうどん?」
だって。だって、このメニューの中で一番安いのは、きつねうどんなんだもん。バリバリの庶民ですから、いつもよりゼロがひとつ多い値段の料理を頼む度胸なんて私にはなかった。
「もしかして、自分で支払いしようなんて思ってないよね?」
まもちゃんが私を見つめ、真剣に聞いてきた。
え? 違うの?
いつだってワリカンという環境にいたので、まもちゃんの言葉に私はただ、キョトンとしたまま。まもちゃんはそんな私を見て、くすくすと笑い、頬に小さくキスをした。
「やっぱり香澄は可愛いなぁ。ここは僕がちゃんと出すよ。遠慮しないで好きなもの選んでよ。香澄の嬉しそうな顔を見たいから」
まもちゃんったら。自分がどれくらい恥ずかしいこと言ってるかわかってるの?
面と向かって「可愛い」と言われるのは、恥ずかしいけどやっぱり嬉しい。さらりと自然に言ってしまうまもちゃんは、きっと何も計算なんかしていないだろう。だからこそ、その言葉を真っ直ぐ受け入れられるのだ。
自然にこんな台詞が言えちゃうなんて、まもちゃんったら天然すぎる。
年上だけど可愛らしい。可愛らしいけれど、頼りになる。そんな彼氏のまもちゃん。
私は幸せ者だ。思わず顔がほころんだ瞬間だった。
ルームサービスが運ばれてきて、テーブルにぎっしりと料理が並べられる。シャンパンを頼もうと言ったけれど、実は私もまもちゃんもビールの方が好き。だから私達は肩を張らずに、ビールで乾杯することにした。
琥珀色のビールが部屋のライトの光を浴びて、きらきらと輝いている。しゅわしゅわと泡がはじける音が耳に心地良い。
ああ、早く喉に流し込みたい。
最早、飲兵衛のような台詞だが、実は喉がカラカラだったので一刻も早くビールを流し込みたかった。美味しく飲むためには、喉を極限までカラカラにする! これがビールを美味しく飲むための鉄則だ。
「じゃあ、乾杯!」
「かんぱーい!」
グラスを控えめに鳴らし、私達は同時にビールを流し込む。喉がゴクゴクと鳴り、一気にビールが全身に巡っていくような感覚を覚えた。目の前に座っているまもちゃんも、ぐびぐびと美味しそうに喉を鳴らしている。喉仏が上下して、ゴクゴク音を立てている。
「んー、美味しい!」
私達のグラスは、乾杯から僅か数秒でスッカリ空っぽになっていた。
「いっきに飲んじゃったね」
「いいよね。だって私達しかいないもんね」
くすくすと一緒に笑いながら、温かい料理を口に運ぶ。どの料理も驚くほど美味しく、空腹だった胃をだんだん満たしていった。
料理もほとんど平らげ、ビールが程よく回った頃、まもちゃんが突然懐かしい話をしてきた。
「……香澄と初めて話した時のこと、覚えてる?」
「勿論」
そう。あれは部署内での定期的な飲み会の時のことだ。
ぼさぼさの髪の毛で、スーツはよれよれの目立たない先輩。おまけに今時見ない瓶底眼鏡で顔を隠していた、謎の人物。それがまもちゃんだった。
「あの時、まもちゃんって私の名前覚えてくれてなかったんだよー」
「そうだっけ? あの時はもう、あまり人と言葉を必要以上に交わすことなんてないと思ってたからなぁ」
でも、それがきっかけでまもちゃんのことを沢山知る事ができたんだよ。
外見がイマイチでも、とても面倒見が良くて優しいってことを知る事が出来た。あの瓶底眼鏡をかけている理由も知った。何度も冷たく突き放されたけれど、最終的には私を好きになってくれたことも嬉しかった。
地下の資料室で、初めてのキス。それもまた、良い思い出だ。
私達はこの夜、出逢った時の懐かしい話に夢中になり、楽しい一夜を過ごしたのだった。