38・どきどき初対面
握手会は無事に終わり、内海先輩を宥めて帰し、私とまもちゃんは帰り支度をしていた。握手会が終わってすんなり帰れるわけもなく、何度も何度も関係者の方がまもちゃんの元を訪れ、挨拶をしてはまた、挨拶を繰り返す。色々と忙しそうなまもちゃんの控え室で暇を持て余す私は、バッグから携帯を取り出した。暇をつぶすには携帯をいじるのが一番手っ取り早い。携帯を取り出すと、メールが届いていることを示すようにチカチカと点滅していることに気がついた。
「あ」
メールは部長からだ。ドキドキしながらメールを開くと、そこには契約話は無事に終了した、との報告がされていた。私が途中で退席してしまったことで契約話がめちゃくちゃになってしまうのではないか、という不安は常に心に残っていたけれど、途中でやってきた黒川社長が何とかしてくれたのかと思って、少しホッとした。
「もう、あんな席はこりごりだわ……」
はぁ、と大きく溜息を吐くと、背後からゆっくり腕が回されて、優しく抱きしめられる。勿論、抱きしめてくれるのはまもちゃんだ。
「どうしたの? 大きな溜息なんか吐いて」
「部長からメールがあってね。接待お疲れって」
「そっか。本当にお疲れ様。それにしても香澄に何もなくて良かったよ。本当に心配だったんだ」
「まぁ、色々あってね。あとでゆっくり話すよ。話すと長くなるから」
こうして私達は握手会の会場から、担当さんが用意してくれたタクシーに乗り込んで帰宅した。
誠吾さんの家でお世話になっていたけれど、今日からまもちゃんの家に再び戻っても良いのだろうか? そもそも誠吾さんは一体いつ帰ってくるの? 何も聞かされていないので、勝手に出て行ってもいいのかと心配になってしまったけれど、まもちゃんは私の気持ちを察するように、くすっ、と笑い頭をくしゃくしゃと撫でる。
「父さんとの約束はちゃんと果たすよ。きっと今頃、母さんたちは家に帰ってきているはずだから」
「え!? もう日本に帰国してるの?」
「うん。昨日電話貰ってね。帰国したら真っ直ぐ家に帰るって言ってたから」
やばい。まずい。物凄く緊張するよ! というより、まもちゃんったら、なぜ言ってくれなかったの!?
これからまもちゃんのご両親に会うのかと思ったら、バッグからパウダリーファンデーションを取り出し、必死に顔を作り直していた。まもちゃんの前で化粧直しをするのは気が引けたけれど、タクシーを降りてしまったらすぐにまもちゃんのご両親との対面が待っているのだ。無理無理、今化粧直ししないと崩れたままで会うことになってしまう。
化粧直しをしつつ、私は自分の服に目をやる。今日は接待から飛び出してきたから一応スーツは着ているけれど、もう少し華やかなスーツにしておけばよかったよー! スーツってご両親に挨拶するには少々硬すぎるので、本当はワンピースにしたかったのに。でも着替える暇は無いし、もうこのまま会うしかない。
「まもちゃん。ご両親に嫌われたらどうしよ~……」
「香澄なら大丈夫だよ。それよりも両親が香澄を構いすぎて、僕が放置されそうだ」
「そんな。久々の親子の対面なのに、それは流石にないんじゃない?」
「……いや。母ならやりかねない」
私の隣で苦笑いをするまもちゃんを見ていたら、私も少し笑ってしまった。それがどれほど私の気持ちをリラックスさせてくれたことか。いつでも私の気持ちを落ち着かせてくれるのは、他ならぬまもちゃんの笑顔。例えそれが苦笑いでも、だ。元気の源はいつだってここにあるんだ。
まもちゃんの顔を見ながら、座席の上で私達はきゅっと手を握り締めたのだった。
やがてタクシーは渋沢家の前に着き、私は門の前に立ち尽くしていた。
「香澄、どうしたの?」
「いや。ちょっと緊張して」
「……おいで。大丈夫」
私の前に手を差し伸べるまもちゃんは、優しく微笑む紳士のようだ。
差し出されたその手のひらに自分の手を重ね、私は渋沢家の玄関に入っていった。
玄関には見慣れないヒールと大きな革靴が並べられていて、リビングからは楽しそうな笑い声が聞こえてくる。この笑い声は、樹くんと翠ちゃんだ。そしてまもちゃんのご両親の笑い声も。賑やかなリビングのドアをまもちゃんは躊躇することなく手をかけて、ゆっくりと扉を開いた。ご両親に紹介されるのも緊張するけれど、まもちゃんが漫画家としてこの先やっていきたいという決意を両親に打ち明けることのほうが、はるかに緊張する。
漫画嫌いのお母さんが、まもちゃんを認めてくれるのか? ううん。きっと大丈夫。
心の中で強く願いながら、私はまもちゃんのご両親と初めての対面を果たしたのだった。
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