36・浮いてる人と一緒
「一柳さん、ありがとうございました」
料亭の最寄り駅まで車で送ってもらった私は、後部座席のドアをわざわざ運転席から開けに来てくれた一柳さんに、頭を深々と下げた。なんだか、やることなすことがスマートで、無駄な動きがまるで見当たらない一柳さんは、秘書というより漫画に出てくる執事のようだ。
「お怪我などされないよう、お気をつけて」
「ありがとうございます。黒川社長にも、どうぞよろしくお伝えください」
「かしこまりました」
目を細めて微笑む姿は、悪いけど雑誌の表紙を飾るモデルなんかよりよっぽどカッコイイ。なんというか……目の保養になる人だなぁ。
駅前で一柳さんと別れてから改札にすぐさま向かい、ホームで電車を待っている私は、電車までまだ時間があるので、まもちゃんに電話をかけることにした。携帯をバッグから取り出し、すぐにまもちゃんの番号にかけると、まもちゃんはすぐに電話に出てくれた。
『香澄!? どうしたの、何かあったの?』
「まもちゃん、何も無いよ。終わったから今、まもちゃんのところに向かってるからね」
『……ありがとう。香澄が来てくれたら、何でもできそうだ』
「大袈裟だよ。でも、ちゃんと見守ってるからね。あ、電車来た! それじゃあ」
『うん。待ってる』
電車に乗る前に電話を切り、そのまま電車に乗り込んだ。電車は中途半端な時間にも関わらず、休日にお出かけする人で車内は賑わっている。それでも朝のラッシュよりは数倍楽だ。普通に立っていられるのだから。吊革に掴まりながら外の流れ行く風景を、ぼんやりと見つめている。時折、窓に映る自分を見ると、少し緊張した面持ちをしていることに気付いた。
なんだか、私の方が緊張してきたかもしれない……。
胸に手を当てながら早まる鼓動を感じていると、やがて目的地の駅に着くとの車内アナウンスが耳に届く。すると、緊張していた体が、さらに緊張してきてしまった。ドキドキと早鐘を打つ心臓が、まるで耳元にあるように大きく頭の中に響き渡ると、他の音が何一つ聴こえなくなってしまった。
落ち着いて、落ち着いて
自分に言い聞かせながら深呼吸をして、電車を降りていった。
改札を出ると、そこはいつも通りの賑やかな街並み、そして人々が楽しげに闊歩している。駅からそう遠くないまもちゃんの握手会会場は、前回の本屋さんで開催された規模とは違い、少し広めのホールを貸切にして行われるという。そのホールの場所は、教えてもらわなくても知っている。まもちゃんの行きつけの喫茶店のすぐ側にあるホールは、誰が見ても目立つくらい大きな建物だ。階によって色々な催し物が行われているとは聞いた事があるけれど、そこに入るのは初めてだ。そのホール目指して歩みを進めると、会場前に長蛇の列を発見した。そしてその長蛇の列の中でも、なんだかその場に相応しくないような格好の人がいるのが見えた。
「もしかして、あれは……」
恐る恐るその人に近づいていくと、その人も私に気付き、満面の笑みを浮かべた。
「香澄ちゃん、やあ!」
……あくまでもさわやかな挨拶をする人。そう、それは内海先輩だ。
「内海先輩、あの……その姿は一体」
「ああ、これ? 少しでも彼女に俺の覚えて欲しくてね。どう?」
「う。に、似合ってますよ」
「だろう?」
私服の人々に紛れて列に並んでいる内海先輩の姿は、まるで結婚式に行くようなドレッシーなスーツ姿。別にドレスコードはブラックタイなわけではないのだけど、あくまでも内海先輩はどうしても自分を全面に押し出して、まもちゃんに自分の姿を印象付けたいらしい。片手には大輪のバラの花束を抱えて、これからプロポーズでもするのだろうか? と、思ってしまうほど派手だ。
こんなに張り切っている内海先輩の姿を見て、ますますまもちゃんのことを言い出しづらくなってしまったけれど、ここは心を鬼にして内海先輩に事実を知ってもらわなくてはならない。私は、よし! と、自分に気合を入れて、内海先輩を列から引っ張り出したのだ。
「ちょっとちょっと、香澄ちゃん! 今列から出たら、また最後尾に並ばなきゃならないよ」
「大丈夫です。私、関係者なので、裏から一緒に入りましょう」
「ええっ!? な、なんでもっと早く教えてくれなかったの!?」
「……その、言い出しづらくて」
こそこそと内緒話をするような声で内海先輩と話をして、私は内海先輩を会場の関係者入り口へと向かって行ったのだった。
入り口付近には、まもちゃんの担当さんが立っていた。きっと、先程まもちゃんに電話した時に担当さんに伝えてくれたのだろう。私の姿を見つけた担当さんが、手を振ってくれた。そして次の瞬間、固まってしまった。無理もない。隣には煌びやかすぎるほどの内海先輩が、バラの花束を抱えて立っているのだから。関係者の方々が、内海先輩の異様な姿に視線を向けては固まってしまっている。なんだか、隣にいるのも恥ずかしいんですけど!
「香澄ちゃん、彼女はどこかな? 会えるのかな?」
「いや、多分もう握手会がスタートするので、側で見ることはできると思いますよ」
「そっかー。いやぁ、終わってからでも話ができると思うと、感激で胸が震えるよ」
「ははは」
そわそわわくわくしている内海先輩に私は固まった笑いしか返すことができなくて、本当のことを言いたい気持ちを無理やり胸に押し込めて、内海先輩と並んで担当さんに連れられ、会場内へと入っていった。
腕時計をちらりと見ると、握手会はどうやらスタート時間を過ぎているようだ。そしてその時、会場から、わーっ! と大きな声が上がる。しかし次の瞬間、その声がざわめきに変わっていった。
「どうしたんだろう? 早く観に行こう!」
内海先輩も会場の声が途切れることを不思議に感じたようだ。
さぁ、これからだ。どうか先輩、失神しないでくださいね。
心の中で、呟いた。