30・まもちゃんのお守り
まもちゃんと二人きりの空間は、いつだって安心する。優しい瞳に見つめられ、甘い囁きで耳をくすぐられながら、一緒に笑顔になれる。その時間がとても嬉しくて、つい、いつまでも一緒にいたい、そう思ってしまう。
しかしそんな甘い空間を、現実へと引き戻す携帯の音楽が鳴り響き、私とまもちゃんは我にかえった。
「僕の携帯、かな」
ジーンズの後ろポケットに入れてある携帯を取り出すと、まもちゃんが着信画面を観て眉をひそめた。
「父さんからだ」
父さんとは誠吾さんのことかな? そういえば誠吾さんは仕事だと言って、部屋を勢いよく飛び出して行ったのだった。私は誠吾さんの番号もアドレスも知らないので、連絡が取れない。この部屋の何を使っていいのかわからないまま、不安な日々をすごさなければならないのかと心配していた。
誠吾さんがまもちゃんに電話をかけ、まもちゃんが通話ボタンを押したと同時に、物凄い声でまもちゃんが誠吾さんを怒鳴りつけた!
「父さん! 何、勝手なことしてるんだ!」
今まで見た事がないくらいまもちゃんが怒っている。それはそれは凄い声で、吃驚しすぎて座っていたソファーから転げ落ちたほどだ。そんな私の姿に気付いたまもちゃんが、手を伸ばし、私をソファーに引き上げてくれた。その時の顔は、少し笑っていたような気がしたが、再び険しい顔に戻ってしまった。
その後、まもちゃんと誠吾さんの会話は続いていたが、はっきり言って私には何を話しているのかわからない。所々は理解できても、よくわからなかった。だからソファーから立ち上がって、誠吾さんの部屋をぶらぶらと見て回ることにした。
玄関から続く廊下を抜けると、今、私とまもちゃんがいるリビングに繋がり、その隣には最新式のシステムキッチンがピカピカの状態でそこにどん、と構えている。キッチンにある冷蔵庫には、いつしまったのかわからないけれど、先程商店街でもらったものがちゃんとしまわれていた。が、しかし、本当に家にいることが少ないんだなぁと見てわかるほど、冷蔵庫の中身は空に近かった。ミネラルウウォーターや栄養ドリンク、アルコール類とつまみ程度のものしか置いていない。
キッチンがピカピカなのは、殆ど使ってないからなのね。
そう思いながらキッチンの脇を見ると、そこはバスルームに続いているようだ。中を見てみると、ジャグジー風呂に、なんとシャワーブースまでついていた。本当にここは、ホテルじゃないの? と思ってしまうほどの豪華さに、頭がくらくらしてしまう。
今度はリビングの反対側の部屋に足を進めると、そこはあまりにもシンプルすぎる部屋だった。部屋の真ん中に見た事がないほどの大きなベッドが一つ、ポツンとあるだけで、あとは部屋の隅に観葉植物と大きな水槽があるのみだ。水槽の中には、気持ち良さそうに泳いでいる色とりどりの熱帯魚がたくさんいる。
「わぁ、綺麗」
思わず水槽を食い入るように見つめると、魚達は自慢の体を魅せるように目の前を何度も行き来しながら泳いでいく。まるで水族館のような水槽に、私はいつのまにか引き込まれてしまっていたようだ。
「綺麗だね」
背後で突然声がして、ようやく自分が水槽の中の熱帯魚に夢中になっていたことに気がついた。後ろには電話を終えたまもちゃんが立っていて、腕を組んでにこりと微笑んでいた。
「電話、終わったの?」
「うん。一応五日ほどで帰れるらしいから、それまで香澄に熱帯魚の世話を頼みたいらしい」
「え? ご飯あげるくらいでいいのかな」
「いいって言ってたよ。でも、そんなの香澄に頼まなくても、いつも頼んでる業者の人に頼めばいいのに……」
まもちゃんはぶつぶつと文句を言っていたけれど、誠吾さんはまもちゃんの身辺整理をする機会をくれたのだ。それはまもちゃんにもわかっているのだろうけれど、なんとなく納得いかないみたい。
「まもちゃん。多分、私がまもちゃんの家で生活しても、誠吾さんにはバレないと思う。でもね、まもちゃんがちゃんとするまで私はここで生活する。そのほうがきっと、まもちゃんの為でもあるし私の為にもなる気がする」
「香澄」
「ほら。この機会に、会えない時間で愛を確かめるってどう? なんて」
かなり恥ずかしい台詞に、私は赤面しながらまもちゃんに言った。冗談めかして言わないと、恥ずかしすぎてここからダッシュで逃げ出してしまいそうだ。会えない時間は寂しいけれど、相手のことを思いながら過ごす時間も悪くない、そう思った。
そして、藤野さんが接触してきたこと、接待のことを、まだまもちゃんには話していなかった。言うべきか言わないべきかちょっと悩んだけれど、言わないで心配をかけてしまったお見合いのことを考えると、やっぱりちゃんと話しておこうと思い、まもちゃんに声をかけた。
「あのね、まもちゃん。話があるの」
「何の話?」
「実は、藤野さんが接触してきたの」
藤野さんの名前を出した途端、まもちゃんの片眉がぴくりと上につり上がる。そして私は、まもちゃんに接待の話をした。まもちゃんは、何も言わずに話を聞いたまま、ずっと何かを考え込んでいる。すると、話を終えたと同時に財布を手に取り、その財布の中から古ぼけた赤い包みをり出した。そして、その赤い包みを、私の手のひらにポンと乗せた。
「これは?」
「気休めかもしれない。でも、これは昔から僕を助けてくれたお守り。現に怪我も病気も何もないし、いつも幸せだし! それに……仕事が絡むと僕は手が出せないから、せめてと思って」
申し訳なさそうな顔で私の手を握りしめ、しょげてしまったまもちゃん。そんなまもちゃんの姿を見ていたら、なんだかとても嬉しくて幸せな気持ちになる。
ああ、私、まもちゃんに大切にされているんだなぁ、と。
まもちゃんの気持ちが充分すぎるほど伝わると、途端に自分の中から、ギラギラと漲るほどのパワーが湧いてくる。
「まもちゃん! 私なら大丈夫だから心配しないで。部長も同席するみたいだし、何かしようとするものならば、殴ってやるわ!」
握りこぶしを作って空を切ると、まもちゃんは私を見てようやく笑ってくれた。まもちゃんの笑顔を見る事ができて、私もほっとした。笑顔を向けているまもちゃんが、ゆっくりと私を抱きしめながら頭をなでる。そしてそっと、呟いた。
「絶対に、無茶はしないで。何かあったら僕に電話して。必ず、駆けつけるからね」
抱きしめる腕に力が込められ、ちょっと苦しいくらい。でも、苦しいほどの幸せを、今、私はもらったのだった。