03・父
まもちゃんは、混乱していた。
そして私は、冷静だった。
目の前の男性は、ケーキを堪能していた。
不思議な不思議なこの光景、これは一体どんなドラマなのか。
まもちゃんが息を切らして私達がいるケーキバイキング会場までやってきた。肩ではぁはぁと息をしているまもちゃんが、呆気にとられている。
「は〜い、守!」
向かいに座っていた男性が軽やかにまもちゃんに手を振っている。それを見たまもちゃんが肩を小さく震わせた。どうやらまもちゃんはこの男性のことを知っているようだ。少し怒りのオーラが迸っているように見えるのは、気のせいだろうか……? すると次の瞬間、まもちゃんがテーブルに両手をどんと突き、大きな音を立てた。そして会場内に大きな怒声が響き渡る。
「香澄をどうするつもりだったんだよ、父さん!」
まもちゃんったら、私のことそんなに心配してくれていたなんて……て、父さん!? まもちゃんのお父さんなの!? この人が!?
さっきまで混乱していたのはまもちゃんの方だったのに、いつのまにか私の方が混乱に陥っていた。まさかのお父様に私はすっかり動揺してしまったのだ。お父さんというにはあまりにも若い風貌の男性が、私の様子を察してにっこりと微笑みながら頭を下げた。そして柔らかで女性らしい口調のまま私へ挨拶をし始める。
「ごめんなさいねぇ、驚かせて。私は矢崎誠吾と申します。正真正銘、守の父親よ」
「なんで香澄をこんなところに連れてきて……!」
「だってぇ、守ったらちっとも会ってくれないから、私、香澄ちゃんのこと調べたんだもん。ちゃんと紹介してほしかったのに守がいつまでもダラダラと私に会ってくれないからぁ」
「忙しいって言ったと思うけど! それにしても調べたって何、プライバシーの侵害じゃないの?」
「変なこと言わないでよ。香澄ちゃんの本名と何処に勤めてるのかなぁとか、そんなことくらいよ? だって早く会いたかったんだもん」
「父さん……僕と会う時くらいその口調やめてもらえる?」
「はいはい、もう……細かいこと気にするなよな。これはもう癖のようなもんだから」
まもちゃんのお父さんの誠吾さんはサングラスを取り外すと、まもちゃんをとても穏やかな瞳でみつめている。その優しい瞳は私もよく知っている。そう、まもちゃんとそっくりなのだ。親子と言わなくてもわかるくらい同じ瞳を持った二人が、こうして向かい合うのは実に一年ぶりだという。まもちゃんは前に言っていた。自分の両親が離婚してからというものの母親が苦労して自分を育ててくれたんだと。だからまもちゃんはお父さんに会いたくなかったのかな。親子のことまで口出すことはできないけれど、こんなにもまもちゃんを優しく見つめる瞳に気付いてあげて欲しいと、そう願っていた。
優しい良いお父さんではなかったのかな……。
そんなことを思っていると、誠吾さんの視線はまもちゃんから私へと移り、そのままジッと見つめてくる。その視線に私のほうが耐えられなくなって思わず口を開いてしまった。
「あの、何か?」
「ん? いや~やっぱり香澄ちゃんは可愛いなぁって思っただけよ」
「そんなこと……」
「謙遜しなくてもいいのよ。香澄ちゃんが可愛くて、私、香澄ちゃんが欲しくなっちゃったなぁ」
「は?」
思いがけない誠吾さんの言葉に思わず聞き返してしまった。それは何の冗談なのか、そしてその悪びれない態度はなんなのか。私がそういう前にまもちゃんが誠吾さんに詰め寄っていた。
「父さん、冗談やめてくれ! 香澄は僕の……その、大事な彼女なんだから……」
まもちゃん、好き。
絶対私の顔が赤くなっているに違いない。だって目の前にいるまもちゃんの頬もまっかっか。私達、付き合ってから一年くらい経つけれど、まだまだどこか初々しく感じるのはまもちゃんが究極の照れ屋さんだからだろうか。手は自然に繋げるようになったし、キスだって自然にできるようになった。でも……私達、実はあんまり肌を重ねてはいない。勿論、ぶっちゃけた言い方をすればシテるといえばシテるんだけど、回数はそんなに……。それでも二人は何も変わらない。隣にいることが自然だし、こうして向かい合って笑えるだけで少なくとも私は幸せなのだ。肌を合わせることだけが恋愛の醍醐味ではない。お互いがリラックスできるような、そんな二人でいたいと心からそう思っている。だからまもちゃんの隣は、とても居心地が良いのだ。
誠吾さんの冗談が本当に冗談なのかわからなくなってきた。なぜなら、誠吾さんは嬉しそうにぎゅうっと私を抱きしめて、私の頭上で頬ずりしているのだから。
「ん~、やっぱり可愛いわ! 守、香澄ちゃんちょうだい?」
「息子の僕より彼女は年下だぞ!? 何言ってるんだ!」
「愛に年は関係ないのよ? ねぇ、香澄ちゃん」
「年の差は関係ないです。けど、私はまもちゃんが好きなんで無理です」
誠吾さんは冗談で言ったのかもしれないけれど、私は自分の気持ちに正直でありたかった。だからちゃんとまもちゃんが好きだと真っ直ぐ誠吾さんを見つめて言った。正々堂々と、自分と向き合うためにも。
まもちゃん、私はいつだってまもちゃんが好きだよ。だから……いつも隣にいてね。そんな気持ちを込めて彼を見つめると、まもちゃんは嬉しそうに私に微笑んで、そのまま誠吾さんがいるというのに私を力強く抱きしめた。
「……うー……香澄が好きすぎて困るなぁ……」
ぎゅうっと力を込めた腕にさらに力を込めるまもちゃん。
この言葉だけで、充分だ。まもちゃんが私を好きだって言ってくれることが嬉しいから。
私はその腕に擦り寄った。『大好き』とつぶやきながら。