28・王子様を待ちわびて
セキュリティーばっちりのデザイナーズマンションへ足を踏み入れると、私はその内装の豪華さや華やかさに目を奪われてしまった。まるで別世界のようなマンションの内装は、表のコンクリート打ちっぱなしの壁とは違い、木目が美しい壁が暖かみを感じさせる。その木目の美しい壁には様々な絵画が掛けられており、所々に活けられている花々が彩を加えている。エレベーターは二台あり、地下にはなんと、住人専用のプールとジムがあるらしい。噂には聞いた事があったけれど、本当にこの世の中にそんな設備ばっちりなマンションがあるとは。そしてそんなセレブ専用のようなマンションに、自分が住むことになるとは思いもしなかった。
「屋上にはドッグランもあるのよ」
「へえ! 凄いですね」
そう。このマンションはペット可のマンションなので、なかなか散歩に行けない人用に、屋上にドッグランがある。ありとあらゆる設備が整っていて、私はなんだかわくわくしてしまうのを押さえきれずに、きょろきょろとマンションの中を見回した。みっともないとは思ったけれど、こんな別世界から目を逸らすなんてもったいない! 全てが自分には手が届かないような代物ばかりの絵画や応接ソファーは、見ているだけでとても心をうきうきさせる。
そうは言っても、ここはマンションのエントランス。まだ誠吾さんのお部屋ではない。エントランスからエレベーターに乗り、誠吾さんの部屋がある七階へと向かう。するとエレベーターの扉が開き、目の前にはセキュリティーのためか、自動ドアがあった。
「もしかして、各階もオートロックになってるんですか?」
「そうなの。防犯システムの厳重さはハンパないでしょ」
さすが売れっ子だと思った。
誠吾さんはプロのヘアメイクになってから、ぐんぐんとその名前が業界へと知れ渡り、いつしか一流のヘアメイクになったと雑誌で読んだ事がある。でも一流になるのには勿論、代償があった。それは『家族』。離婚して、奥さんともまもちゃんとも離れて、たった一人でこの世界で頑張ってきたのだろうか。それはヘアメイクとして成功したとはいえ、あまりにも悲しい出来事のような気がする。私には、無理だ。
目の前のオートロックを解除してから真っ直ぐ廊下を進み、突き当りの部屋の前で立ち止まると、誠吾さんは鍵を開けて扉を開き、私を中に招き入れた。
「どうぞ。私のお城へようこそ」
目の前に広がるのは、まるでホテルのスイートルームのような部屋。モノトーンを基調とした部屋にはスタイリッシュな家具が並び、天井には豪華絢爛なシャンデリアがその存在感を誇張している。そして、部屋からは都内に溢れる眩い光を見渡せる、広い窓があった。
「うっわぁ! 凄い綺麗!」
思わず声を上げてしまうほどの景色。宝石を散りばめたような景色に、思わずうっとりしてしまうほどだ。ずっと眺めていても飽きが来ないくらい、私はただ、静かに景色を眺めていたが、やがて誠吾さんの声により、私は現実へと引き戻された。
「香澄ちゃん、ごめんね。実は私、これから海外で仕事なのよ」
「え!?」
「だからね、この部屋好きに使っていいよ。留守の間よろしくね」
「あ、あの」
「じゃあ、行ってきます!」
こうして、あっという間に誠吾さんは用意していたスーツケースを片手に、部屋から出て行ってしまったのだ。なんというバイタリティだろうか……さすがに売れっ子は忙しい。
こんな広い部屋にぽつんと一人取り残されてしまった私は、とりあえずまもちゃんに電話することにした。バッグから携帯を取り出すと、そこには不在着信の表示が。勿論、まもちゃんの名前でぎっしり埋めつくされていたのだ。
ああ、心配しているだろうな……。
そう思った私は、まもちゃんに急いで電話をかけた。どうか、繋がりますように。
まもちゃんに電話をかけてからワンコールも経たないうちに、繋がったことにまず驚いた。
『はい! 香澄!?』
「まもちゃん。ごめん、いっぱい電話してくれてたんだね」
『……だって、あんな突然連れていかれたら心配するに決まってる』
「ごめんね」
『いや、悪いのは父さんだから。父さん、そこにいるの!?』
「えっと、たった今、仕事に出かけたよ」
『じゃあ香澄一人……』
「うん」
私が「うん」と返事して、しばらく無言が続いた。まもちゃんが何かを考え込んでしまったのか、携帯からはまもちゃんの声が聞こえてこない。なんだかちょっと心配になり、遠慮がちに声を出した。
「ま、まもちゃん? どうしたの?」
『あ、ごめん。あの、さ……あ、あ、あ」
「あ?」
『会いに行っても、いい?』
ごにょごにょと聞き取りにくい声を出すまもちゃんだったけど、それが「会いたい」の言葉だとわかった時、私の顔はゆるゆるとほころんでいく。嬉しさのあまり、ニヤケ顔をとめることができなかった。
その後、当然ながら私はまもちゃんの問いかけに対して「うん!」と、力いっぱい返事をして、まもちゃんが来るのを待っていた。どうやら、この家の住所は知っているようだ。来たことはない、と言っていたけれど、ちゃんと誠吾さんの住所はアドレス帳に書き留めていたらしい。こういうところで、まもちゃんの几帳面な性格が窺える。
大きな窓から東京の夜景を見渡しながら、今か今かと、まもちゃんを待ちわびる私。
「会いたい」気持ちを胸に抱きながら、何度も時計を見ながら彼を待っているのだった。