20・左手薬指
「なんで俺まで……」
ぶつくさ文句を言いつつも、荷下ろしを手伝ってくれる樹くん。実は今日、早速私はまもちゃんの家に引っ越してきたのだ。一人暮らしの荷物は結構多く、いらないものはリサイクル店に売ったり、欲しいと言っていた友人に家具をあげたりして、何とか渋沢家の一室に私の荷物は納まった。そんなわけで、晴れて渋沢家の一員になった私は、改めてこの家をぐるっと見回す。今日からここが、私の家だ。
荷物を全て部屋に入れ終わったところで、皆がリビングに降り、休憩をすることになった。そこでまもちゃん、樹くん、翠ちゃんの三人に向かって私は深々と頭を下げる。やっぱり親しき仲にも礼儀あり、ということで、きちんと挨拶をしておこうと思ったのだ。
「皆さん、今日からお世話になります。どうぞよろしくお願いします!」
声を張り上げてそう言うと、その言葉に快く返事をしてくれたのは、翠ちゃんだった。
「香澄ちゃんが来てくれて、凄く嬉しいよ!」
「翠ちゃん、これからよろしくね」
「お姉ちゃんができたみたいで、嬉しいな」
にこりと笑った翠ちゃんに、内心ホッとしていた。渋沢家の秩序を乱すようなことをしないでくれ、そう言われたらどうしようかと思っていたから。翠ちゃんは優しい子なのでそんなことは言わないとは思っていたけれど、もしもそう言われてしまったら……と思ったらやっぱり緊張していたのだ。でも、こうして気持ちよく受け入れてもらえてよかった! なんて思ったのも束の間、私の隣にずずいと出てきた樹くんが、ふんっと鼻を鳴らしながら私を横目で見つめている。
「ちゃんと家事とか掃除しろよ? でもお前不器用そうだからなぁ」
「ご飯ならよく作ってたでしょ? 掃除は、まもちゃんほど得意ではないけど頑張るもん」
「本当に? じゃあ俺の分も掃除よろしく」
へらっと笑いながら私の肩に肘をつき、けらけらと笑う樹くんはこの後すぐに、まもちゃんによる鉄槌が下された。
「樹、調子に乗るな! 自分の分担はしっかりやる、渋沢家の方針は変わらないよ」
「……ちぇっ、兄ちゃんは香澄に甘くしそうだから、俺からしっかり伝えてるだけなのに」
「香澄はちゃんとやってくれる。僕はわかってるから」
「はいはい、ごちそーさま。俺はこれから友達と遊ぶから行くわ」
ひらひらと手を振りながらリビングを出て行く樹くんの後姿を追いかけて、私は玄関まで見送りに行った。樹くんはこうして憎まれ口を叩いたりするけれど、本当はとても優しいことはまもちゃんと付き合う前からよく知っている。お兄ちゃん大好きっ子な樹くんは、いくつになってもまもちゃんを慕っている可愛い弟だ。私にとっても可愛い義弟になる日も、そう遠くない未来来るのかもしれない……なんて。
ぷくくっと笑いを堪えていると、私の額がデコピンされた。
「痛い!」
「何ほくそ笑んでるんだ。気持ち悪いから。まぁ……その、これからよろしく」
「うん。よろしくね、樹くん。なんなら私のことお姉さんって呼んでもいいよ?」
「調子に乗ってるのは俺じゃなくて、お前だな。まぁいーや。行ってくる」
「行ってらっしゃい。気をつけてね」
靴を履きながら玄関を出て行く樹くんを見送ると、私の後ろから翠ちゃんも駆け足で玄関にやってきた。そして急いで靴を履き、私の方に振り向いて小刻みに手を振る。
「じゃあ私も、行ってきます」
「え!? 翠ちゃんもお出かけなの?」
「うん、彼氏とデートなの~」
ふにゃりと顔をほころばせて、頬を紅潮させながら私に彼氏ができたことを告げた翠ちゃんに、慌てた声が降り注ぐ。それは勿論、妹思いの……兄二人だ。出て行ったはずの樹くんはいつのまにか戻っていて、玄関のドアを開けて驚いた表情で翠ちゃんを見つめている。樹くんの耳は、一体どんな構造なの? 聞こえるはずはないのに、彼には聞こえたらしい。そして慌しくリビングから出てきたまもちゃんも、驚きの表情で翠ちゃんを見つめていた。
「みみみみ翠? 彼氏って……ホントに?」
「お兄ちゃんったら、当たり前でしょ? もう私だって彼氏くらいいるに決まってるじゃん」
「翠! 俺は聞いてないぞ」
「樹兄に言うと五月蝿いんだもん。ほら、もう行くよ! じゃあ行ってきます!」
「二人とも気をつけて行けよ」
賑やかな二人がいなくなり、渋沢家は私とまもちゃんの二人きりになってしまった。今日は賑やかな一日になると思っていたのに、思いがけず二人きりになって少しだけ緊張していた。するとまもちゃんが、くすっと笑って私をソファーへと手招きしている。とことことソファーへ向かい、まもちゃんの隣に座ると、私の掌に小さな箱がポンと置かれた。
「開けてみて」
「なんだろう?」
ドキドキとわくわくが胸いっぱいに広がっていく。その箱のサイズは、掌のサイズ。それって、それって……女の子なら貰って喜ばない人はいないんじゃないかなぁって思えるものではないだろうか。箱を彩るように結ばれたピンクのリボンを解き、箱の蓋をゆっくり開けた。そこには勿論、期待通りのものが収められていたのだ。
「ずっと前から買ってあったんだ。……僕の家族になって欲しいって思ったのは、君だけだから」
私の掌の中にある箱からまもちゃんがソレを取り上げて、私の左手を少し高めに掲げる。そして約束の左手の薬指には、煌々と輝くダイヤモンドの指輪がはめ込まれた。いつ私の指のサイズを知ったのかはわからないけれど、その指輪は私にぴったりだった。きらきらと幸せ色を放つダイヤモンドリングが、私とまもちゃんの将来を約束しているようだ。
「ずっと傍にいてね」
まもちゃんが指輪に唇を落とし、私を見上げる。
そのまま私とまもちゃんはぎゅっと抱き合い、二人の未来を誓い合うようにキスをした。そしてそのまま……熱い夜を迎えたのだった。