02・混乱のケーキバイキング
映画館を飛び出した私は、走っていた足をゆっくりと止めながらしばしの間電柱にもたれていた。そしてそのまま項垂れる。頭の中に浮かぶ言葉は『後悔』の二文字だった。
あぁ……私の馬鹿。
そう、まもちゃんとあの女性の仲良さげな姿を見ただけで、私の頭の中は最悪の展開ばかりが浮かんでいた。二人はもしかしたら、男女の仲で、それで私は……など、確認もせず妄想だけで話を進めてしまっていたのだ。だからこそあの場にはいられなかったし、あの状況でまもちゃんに笑顔を向けることもできないと思った私は、暴言だけをまもちゃんに浴びせて映画館を飛び出した。そして早くも後悔中。別にまもちゃんが私を裏切るようなことをしているなんて思ってなかったのに、いざああいう場面を見てしまったらなぜか私はカッとなってしまった。信じているのに、どうしてだろう? 大きく一つ溜息を吐き、映画館を背に向けてトボトボと雑踏の中を歩いていったのだった。
そんな雑踏の中で後ろからポンッと軽快に肩を叩かれ、私はまもちゃんが追いかけてきてくれたのかも! と、淡い期待を抱きながら振り返る。しかしそこにいたのはまもちゃんではなく……
「香澄ちゃん、よね?」
「え、は……はい?」
背後から肩を叩いたのは、知らない人だった。
その人は長めの茶髪を肩に垂らして、なぜか女性のような言葉遣いの男性だった。サングラスをかけているので瞳はよく見えないけれど、白いワイシャツの袖からちらりと見える腕は、なんとも男性らしい筋ばった腕だ。その男性はニコリと微笑みながら私の肩に手をかけて、ゆっくりと歩き出す。その手を振り払う間も無く力強く一緒に前に進んでいたのだ。
「女の子がそんな悲しそうな顔しちゃダメよ。ニコニコ笑顔でいなくっちゃ!」
「えっと、はい。じゃなくて!」
「私が誰だかわからなくて困ってるのよね?」
「そうですよ、誰ですか!?」
「ひ~み~つ~」
人差し指を口元で立てて、片目をぱちっと閉じる。第一印象は、チャラい。その一瞬で彼の印象は決定してしまった。
「さぁ、その悲しい顔を笑顔に変えるために……ケーキでも食べに行きましょう!」
「えぇ? そ、そんな私は」
「スイーツは心を豊かに、人を笑顔に変えてくれる素敵なものよ!」
「あの、なんで私が! ていうか誰なの!?」
人攫いのように彼の逞しい腕に引き摺られて、私はケーキバイキングに連行されてしまった。
ケーキバイキングは都内の高級ホテルの最上階レストランにあり、そこは人気があるようで人が溢れていた。すると隣で強引に腕を引っ張っていた彼の手が離れ、バイキングの関係者になにやら話をしている。そしてにっこりと私に微笑みかけ、まだ人が並んでいるというのに中にずんずんと腕を引かれて歩いていく。並ばないのだろうか? というか、本当に誰なの!? マイペースな男性に引かれて辿り着いたのは、奥まった場所にある一つのテーブル。そこには『予約席』の札があり、そこへ私達は腰を降ろしたのだった。
「さぁ! たっくさん食べましょうね!」
きらきらと光が零れるような笑顔を向けて楽しそうにケーキが並ぶテーブルへと足を向ける。そんな彼の背中を追いかけるように私もついていったが、彼への警戒心は解くことはない。誰だかわからないけれど私に危害を加えるような素振りもないし、いつのまにかスイーツに目を輝かせていて嬉しそうにケーキをお皿に盛っていた。まるで小さな子供のように無邪気に微笑む彼を見ていたら、いつしか私も笑顔を取り戻していた。そして並ぶスイーツに同じように目を輝かせてお皿にたくさん乗せてテーブルに戻ったのだった。
ぱくっと一口ケーキを口に入れた途端、私と彼は目を大きく見開いた。そして続く言葉は
「お~いし~い!」
同じような口調で、同じ言葉を綴る。そしてあまりの美味しさに体をくねくねさせていた。目の前でスイーツを貪っている相手は全く知らない人だし男性だというのに、口調のせいか女友達と来ているような感覚に陥る。まるでずっと前から知っていたかのように彼の波長は私に合っている。私達はひとまず目の前で魅力的な姿をしているケーキたちをパクパクと食べることにしたのだった。
パクパクとケーキを食べていると、バッグの中で携帯がぶるぶると震えていた。映画を観る予定だったので携帯はマナーモードにしたままだった。携帯を開くとディスプレイに表示されている名前は、勿論まもちゃんだ。私はそのまま怒られる覚悟で電話に出ることにした。
「もしもし……」
『香澄!? どこにいるの!? 怪我とかしてない? 誘拐とかされてない? ま、まさか……誰かに乱暴とか!?』
まもちゃん……混乱しすぎて何口走ってるかわかってないだろうな。妄想も行き過ぎるとおかしくなる。まもちゃんの脳内で一体私はどんなトラブルに巻き込まれているというのか。なんだかおかしくて少しだけ笑ってしまった。
「まもちゃん落ち着いて。ごめんね、急に飛び出して酷いこと言っちゃって……。大丈夫だよ」
『そ、そっか……ごめん。僕が香澄をほっといたから怒ってるんだよね?』
「もう怒ってないよ。私が何も訊かずに勝手に怒ってただけだから」
『ちゃんと説明したいんだけど、今どこにいるの?』
「今、知らない男性とケーキバイキングに来てるの」
『……!?』
向かい合わせで座っている男性がにっこりと微笑みながらケーキを食べている。そしてなぜかそれを受け入れている私。
そんな不思議な昼下がりだった。