18・夫婦
「香澄さんを僕にください!」
まもちゃんの声が和室に響き渡り、父も母も、そして私も何も言えず、ただ固まっていた。正座をして膝に拳を置き、まもちゃんの真剣な表情が真っ直ぐ父に向けられる。その真剣な表情から父も視線を外す事が出来ずにいた。しかし、ここでまもちゃんがハッとなり、真剣な表情が途端に崩れだす。
「うわ……唐突にこんなことを……申し訳ありません!」
慌てて頭を畳に擦り付けるように土下座をするまもちゃんの姿を見て、私は慌てて彼に駆け寄った。
「まもちゃん、頭上げてよ!」
「だって……僕、まだ香澄にプロポーズだって正式にしてないのに……」
恐縮して一向に土下座の姿勢を崩さないまもちゃんに、父は言葉をかけた。
「頭を上げなさい」
おそるおそる頭を上げるまもちゃんを、父は睨みつける。けれどその目は、先程とはどこか違っていて少しだけ優しい光を宿しているようにも見える。もしかしたら、まもちゃんのことを認めてくれるのかもしれない! そんな希望が胸に芽生えた。ちゃんと両親に認めてもらって『家族』として彼を受け入れて欲しい。結婚とは二人だけのものではない、家と家の結びつきだ。昔からこう教えられてきた私は、やっぱり両親にまもちゃんとの付き合いを快諾してもらいたかったのだと、この時ようやく気付く事ができた。きっとまもちゃんも同じ思いだったのだろう。だからこそ、父が納得してくれるまで気長に待つと言ってくれたのだ。小さくても頼れるまもちゃんの背中を見ると、いつの間にかとても大きくなったような気がする。頼りなさそうだと思った初めて口を利いた飲み会の日、まさかこんなに頼れる男性だとは思いもしなかった。私をいつでも大事に思ってくれる彼が、他の誰よりも大好き。だから、どうしても父にまもちゃんのことを知ってもらいたい。そう思った私は、父に向かって口を開いた。
「お父さん、お願いだからまもちゃんをちゃんと知ってください。本当に私を大事にしてくれる……私にとっても大事な人です」
父に自分の気持ちを告げ、畳に三つ指揃えて頭を下げた。今まで親にこんなに丁寧にお辞儀なんてしたことなかったけれど、こういう時は自然に頭を下げられるものなのだと初めて知った。気がつけば頭を下げていた。すると隣に並んでまもちゃんも再び頭を下げた。下げたままの状態で私達の目が合い、お互い微笑み合うと、なんだか私達の気持ちが一つになっているようで嬉しい。この思いが一つになったことで、なんとなく溢れてきた笑みは、頭を上げるまで絶やすことはなかった。同じ気持ちを持った私達なら、これから先だってうまくやっていけるに違いない。
一方、実の娘と娘の恋人に目の前で土下座をされた父は、あんぐりと口を開き、ただひたすらその様子を眺めているだけだった。そんな父の姿を見て、横から口を挟むのは母。母は、テーブルに置かれた冷め切ったお茶に手を伸ばし、ゆっくりと喉に流し込む。そして真っ直ぐ父の方を向き、にこりと微笑んだ。
「……いいじゃありませんか。守さんなら香澄を守ってくださいますよ」
「お前は黙っていなさい」
「あなた、意地を張るのもいい加減になさい。そんなに香澄が選んだ方を信用できないと仰るのですか? もしそんなこと仰るなら……私はもう、一緒には暮らしていけません」
母の言葉はキツイ。そして表情は言葉とは裏腹ににっこりと微笑みを絶やさぬままだ。そうだった、母はここぞというときこそ、今のようににこりと微笑んだまま、キツイ言葉を放つ人間なのだ。母の絶やさぬ笑顔の裏側には、少々怖いものが潜んでいることを忘れてはいけない。当然、父は母無しでは生きていけない人なので、その言葉を放った一瞬で強そうに見えた父が途端に小さくなってしまったのだ。
「お、お前……本気か?」
「本気に見えませんか?」
「うう……む」
汗だくの父、涼しい表情でお茶を飲み干す母、そして私達は正座をしたままその様子を窺っていた。父と娘のバトルから、父と母のバトルへと変わっていき、それは母の一方的な勝利で幕を閉じたのだった。
父は観念したのか大きく息を吐き、母の顔を覗き込む。そして、蟻のような小さな声で「ごめん」と謝った。ふふっと笑みを漏らす母を見て、やっぱり父は母には勝てないんだなぁと思った瞬間だった。
一方、そんな二人の姿を見ていたまもちゃんは、どこかぼんやりとその光景を眺めている。どうしたのかと思い、彼の顔を覗き込むと、私のことに気付いたまもちゃんは笑顔を向けた。
「なんか……良いご夫婦だね。羨ましいよ」
「あ……」
その時、まもちゃんのご両親はまもちゃんが幼い頃に離婚してしまったという話を思い出した。幼い頃、まもちゃんの母親は必死でまもちゃんを育てながら仕事をしていたという。きっと両親の仲が悪い状態しか知らないのだろう。まもちゃんの話を思い出したら、私の胸が小さくきゅっと痛んだ。俯いてしまった私の頭を優しく撫でるまもちゃんは、黙って私の頭を撫で続けてくれる。優しい手付きで、いつまでも。
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