14・お見合い開始
前園家の和室にて、私は母の手によってそれはそれは見事な振袖に袖を通していた。真紅の牡丹が見事に咲き誇り、蝶がひらひらと楽しそうに舞う姿が描かれた着物は、母の娘時代にあつらえた物だという。この日のために永い眠りから目覚めたこの着物は、今再び光の下に甦ったのだ。
「あら、似合うじゃない」
「……なんか派手な気がする」
「そんなことないわよ。さ、できた!」
見事に結ばれた帯をポンッと叩き、着付け終了の合図をする母。そしてその完成した姿を姿見で確認する私。……案外似合っている。この姿を見せるのが、まもちゃんではないことがとても悲しい。いつだって綺麗になった姿は大好きな人に見て欲しいものだ。例え、褒め言葉が出なくても、私はまもちゃんに見て欲しかった。今更になって、まもちゃんに今日のことを伝えなかったことを後悔していた。でも、この件は自分自身で解決すると決めたのは、他でもない私自身だ。ならば、その決意を本物にする為にも、どうしても今日のお見合いは自分でぶち壊すしかない。まもちゃん……私、頑張ります。
今の私の目はギラギラと燃えていて、まるでこれから戦にでも向かう武士のような闘志を宿している。いや、これは戦だ。『お見合い』という名の……!
「香澄、はい力抜いて。リラックスしなさいな」
「え。そんな力入ってた?」
「そりゃあもう。香澄の後ろにめらめらと炎が見えるくらい気合入ってるのがわかったわ」
「……はは」
のんびりした口調の母に、すっかりペースを崩されそうだ。でも、それがある意味私をとても落ち着かせてくれた。肩の力を抜いて、あくまでも自然に……自分のペースを崩さないこと、それが大事だ。私は深呼吸をして少し自分を落ち着かせ、姿見に映る自分と向き合う。そして、にっこりと笑顔を浮かべた。
そう、これでいい。
何を言われても不敵に微笑んでいればいいのだ。父のことだから私がぎゃんぎゃん騒ぐことなどお見通しなのだろう。でも、今日の私は一味違う。にっこり笑ってばっさり切る、これでいい。どんな言葉も笑顔でかわしてみせよう。最後にもう一度微笑んで、私は実家をあとにした。
タクシーでやってきたのは、この街で一番大きなホテルだった。ホテル内にある懐石料理の料亭の個室を押さえてあるというのだ。ど、どこにそんなお金が……! と思ってしまった根っからの庶民派である私。なんとなく、こんな料亭は別世界のような気がして気後れしてしまう。すると、料亭の入り口に掛かっている暖簾をたくし上げて顔を出す父の姿が目に止まる。
「おお、来たか。先方さんはもういらっしゃっているぞ。早く中に入りなさい」
「……本当にするの? お見合いなんて」
「今更何を言ってるんだ。お前の将来を任せられる方を、選りすぐりの中から一人選んだんだ。父さんの腕を信じなさい」
「……選りすぐりってなによ。私にはまもちゃんがいるって……」
ぶつぶつと言ったところで、父の耳には届かない。そう、父はすでに心ここにあらず、といった具合で、お見合いをする私よりも浮き足立っていた。そんな父の背中を見ながら中へと進んでいくと、ある一室の前で父が立ち止まり、ゆっくりと障子をあけた。
「すみません。ようやく娘が到着しました」
開かれた障子の向こうで座っていた男性が立ち上がってこちらを見る。その男性はにこやかに微笑み、大きくて綺麗な瞳を細めて嬉しそうなオーラを出している。ぱりっとしたスーツに、きちっと締めているネクタイ。タイピンは嫌味のないシルバーのシンプルなものだし、ポケットチーフはネクタイと同色でコーディネートしている。さらさらと流れる前髪、背筋もピンと伸びている。何処からどう見ても、さわやかな人という印象の彼は、自分の席から駆け寄って私の前に立ちはだかる。
「初めまして。私は藤野憲次と申します。とてもお会いしたかったんですよ!」
白い歯をきらりとさせながら、あくまでもさわやかに微笑む藤野さんは……案外好印象だ。ただ、あくまでも好印象なだけで私にはまもちゃんだけだということを付け加えておこう。挨拶もそこそこに、私達はそのまま中に入り、席に着くとすぐに藤野さんが話し始めた。どうやら藤野さんはとってもお喋り好きのようだ。人柄は申し分ない、ちょっと照れ屋だけど自分の意見をしっかり言える、そんな人だ。いよいよ始まったお見合い、まずは乾杯からということで、相手にビールを注ぐ。軽くグラスを傾け一口飲むと、緊張していたせいか喉がしゅわしゅわして気持ちいい。あまりにも美味しくて、ついうっかり一気に飲み干してしまったほどだ。そんな私の姿を見て、目の前に座っている藤野さんがポカンと口を開けて私を見ていることに気がついた。口を開けたままだった藤野さんが、ハッと我にかえりすぐににこりと微笑んだ。
「見事な飲みっぷりですね!」
藤野さんが、さわやかな笑顔でパチパチと手を叩きながら私に言う。それは褒め言葉なのだろうか? 本人は悪気はないようだけど、そんなこと言われて喜ぶ女がいるわけないだろう。だから私はにっこり笑って、あくまでもさりげなく彼に攻撃をした。
「うふふ、全然嬉しくないですー」
そしてそのまま手酌でグラスにビールを注ぎ、再びぐびぐびと飲み干した。そんな私を見ても、目の前の彼は動揺一つしない。逆に動揺していたのは私の父のほうだった。まさか娘が笑顔でそんなこと言うなんて思ってもみなかったのだろう。真っ青な顔をして動揺の色を隠せない父、なんだかおかしくて笑ってしまいそうだ。そんな形で、お見合いはスタートしたのだった。