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10・握手会

 結局、今晩はまもちゃんのお手製『THE 貧血対策』の料理が、食卓に所狭しと並べられた。あれもこれもと差し出される料理を、私は端から手をつけていき、最後の方は喉の途中まで料理が詰まっている間隔に陥るほどおなかがいっぱいになっていた。あれこれ差し出すまもちゃんは、どこか田舎のおばちゃんのような感じがして、食事をしながら少し笑ってしまう。笑いを堪えるのに、どれだけ大変な思いをしたか……。食事の終わりに出されたほうじ茶からは、香ばしい香りが立ち上り、胃を穏やかに落ち着かせてくれる。一緒にごはんを食べていた樹くんもどうやら食べ過ぎたようで、いち早くソファーにゴロリと横になっている。妹の翠ちゃんは、今日は渋沢家にはいない。この三日間、大学のサークル合宿があるといって家を空けているようだ。だからまもちゃんのアシスタントは樹くん、ただ一人。私もお手伝いすると言ったけれど、まもちゃんはそれを丁寧に断った。私の不器用さを知っていれば確かに断るほうが正解かもしれないけど……。


「あ」


 ほうじ茶が入った湯飲みを食卓に置き、突然思い出したように声を上げた私。そんな私を首を傾げながら見ているまもちゃん。貧血騒ぎがあってからずっと忘れていたけれど、今日、私がまもちゃんに会いに来たのは、昼休憩の時に聞いた内海先輩の話をしようと思ったからだった。私は先輩の顔を見て、慌ててその内容を話し出したのだった。


「今日ね、内海先輩とお昼ご飯を一緒に食べたんだけど、まもちゃん……また握手会やるって本当!?」

「……内海とお昼って、二人きりで食べたの?」

「まもちゃん! 問題はそこじゃないよ!」

「ふぅん……仲良くしてるんだ」

「だーかーらー! 握手会するって本当なの!?」

「握手会って誰の?」

「もう! だから、まもちゃんのだよ!」

「僕の握手会ねぇ……て、えぇっ!?」


 まもちゃんの顔が一瞬で青ざめてしまう。だらだらと汗を掻き、食卓をふきんで拭いていた手も止まってしまった。そう。握手会を行うということは、まもちゃんは再び女装しなくてはならないってことだ。しかも、もう人前には出ないという口約を担当さんとしたにも関わらず、本人の了承なく握手会というイベントを組んでしまった会社側。一体どういうことなのだろうか。


「……ちょっと担当さんに電話してみる」


 まもちゃんの表情が険しさを増す。それもその筈、約束を破られたのだから。なぜ急に握手会なんてイベントが持ち上がったのだろうか? しかもまもちゃん、作者本人に了解を得ずにイベントを決行するつもりなのだろうか。世間に告知がいっているということは、まもちゃんは絶対にその握手会に出なくてはならないのは確かだろう。まもちゃんの性格だ、読者様を裏切ることだけはしたくない、そう思っているだろう。だからこそ一度女装して表に出てしまっただけに、今更実は男でした! と男の姿のままファンの方の前に出ることを自分が許さないのだろう。女装することをあんなに嫌がっていたのに、再びしなくてはならないなんて……まもちゃん可哀想。そう、確かにそう思っていたのに、私って酷い彼女だ。だってまもちゃんの女装姿、また見られることにどこか興奮している自分がいるのに気付いてしまったから。愛らしい顔が化粧と女性の服でさらに愛らしくなる。くりっとした二重に乗せられた長い睫毛が、マスカラによってさらに長くなり、瞳を縁取るアイラインがさらに女性らしさをアップさせる。そしてまもちゃんは可愛い女の子へと変身するのだ! そんな可愛いまもちゃんを作り上げたあの時、確かに何か手ごたえのようなものを感じていた。そう、私がメイクしたことでまもちゃんが可愛くなることが嬉しかったのだ。もしかしたら、まもちゃんのお父さんもこんな気持ちを抱えながら、メイクのお仕事をしているのかもしれない。自分の技術で人を綺麗にするって、とても素敵なことだ。私も……こんな気持ちになれるお仕事ができればいいのに。私は少しだけ湯飲みに残っていた冷めたほうじ茶を飲み干して、まもちゃんがリビングから出て行った廊下を見つめて彼が戻ってくるのを待っていた。


「……ふぅ」


 重い溜息を吐きながらリビングに戻ってきたまもちゃん。その表情は暗く、何も言わずとも握手会は予定通り行われるということはわかってしまう。


「ダメだ。また……女装しなきゃいけない」

「まもちゃん、またお洋服私の使いなよ」

「……香澄、なんか楽しんでない?」

「え? き、気のせいだよ!」


 ごめんね、まもちゃん。実はちょっと楽しみだよ。まもちゃんの女装姿を、今度こそ写真に撮ってみせる……! あんなに可愛いのに写真は一枚もないのだ。一枚くらいは手元に欲しい……。まもちゃんにバレないように、こっそり撮ろうと決意したのだった。

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