花を買おうというはなし 祝福
そうだ、花を買おう。
思いついたように、というか、思いついて、職場の入り口で、慌ててこっそり、お財布の中身を確認した。お給料日後なので、多めにお金を持っていた。よかった。
春も近く、気温も徐々に上がってきているこのごろ、仕事が忙しいのもあって、お部屋の彩りをすっかり忘れていた。
「花やはとり」を訪れるのは、年末の帰省の時以来だ。あの時のお礼もしよう、パンジーのおかげでやり取りが増えて、母との距離がゆっくり縮まっている。
今日はどんなお花をいただけるだろうか。
るんと弾んだあしを踏み出そうとした、瞬間に。
「伊織屋さん。お疲れ様です」
振り返ると、加奈原さんがそこに立っていた。緊張しているように見えた。
「お疲れ様です加奈原さん」
かくいう私も途端に緊張して、クリスマスとバレンタインを思い出していた。加奈原さんは、クリスマスに綺麗なミニブーケをプレゼントしてくださって、そして言ったのだ、好きです、と。私に。
お返事が上手くできなかった私に、バレンタインにもう一度、猶予をもらって、その時にはチョコレートを用意した。私が渡す側だと思っていたのに、またミニブーケをいただいて、あわあわしたのが今も少し恥ずかしい。
「ご一緒してもいいですか?」
「はい、あの、花屋と、その前に和菓子屋にも行きたいので、寄り道が多くなってしまうのですが」
「大丈夫です」
入り口でまごまごしていたのを、ゆっくり、私の歩調に合わせてくれて、歩き出す。感じる空気は優しくて、心地よい。
お付き合い、というものをしている。多分、とっても素敵な。
今日は同期が寝ぼけてコピーの枚数を間違えたとか、帰ったらコロッケを揚げる用意をしてあるけれど億劫だとか、そんな話をしながら時折ある店を覗きみつつ、和菓子屋を経て、「花やはとり」の戸を、ガタリ、開ける。そこには店主が、おや、つぶやいたのち、笑顔で迎えてくださった。
「こんばんは、加奈原さん、伊織屋さん。ご一緒でしたか。何よりです」
「こんばんは、花盗さん。なんとか一緒に来られました」
まるで一緒に来ることが予定されていたかのような会話だった。不思議に思いつつも、まずはお渡ししておきたくて、失礼ながらお話を遮る。
「あの、花盗さん、年末にはありがとうございました」
「とんでもございません。いかがでしたか?」
「ばっちり、パンジーのおかげです。それで、いつもお世話になっておりますし、今日はお土産があるんです、そこの和菓子屋さんのどら焼きなんですけれど」
「お心遣いありがとうございます、ありがたく頂戴いたします」
紙袋をお渡しして、花盗さんは、いたまないように保存してくるとおっしゃり、奥へと入っていかれた。ささ、と、畳を擦るような足音が遠ざかる。
「加奈原さん、今日はこちらへ来る予定だったんですか?」
「うん、そうなんです。計画通りに進んで、安心しています」
「計画」
「そう、計画」
何か企てているのかあ。よくはわからないけれど、嬉しそうに笑う加奈原さんに、私まで心がほかほかする。くすくすと二人でして、そのあとは静かな沈黙。私たちは沈黙を苦としない。隣にいるだけでよかった。
少しの時間、或いはもう少し経っていたかもしれないけれど、そうしていて、花盗さんが奥の戸を開ける音でそちらに目を向けると、そこにはとても可憐なブーケを抱えた店主が、お待たせいたしました、謳うようにして入っていらした。
慌てて声をかける。
「あの、まだお願いしていなかったのですが」
「いいえ、お伺いは済んでおりますよ。こちらは加奈原さんからのご注文の花束です」
「え?」
「そうなんです」
隣の加奈原さんが一歩出て、ブーケを受け取る。
「お花の名前だけ、先にご説明させていただきます」
濃いピンクのお花は、アルメリア。
黄色がカロライナジャスミン。
白いスイートピー。
淡いピンクの方はチューリップ。
そして青いアメリカンブルー。こちらは以前もお出しいたしましたね。
いずれもお二人にぴったりのお花かと思います。
「素敵です、伊織屋さんによく似合う」
聞き終えた。のち、加奈原さんはこちらを向いた。
「伊織屋さん、誕生日おめでとう」
ああ、と、嬉しいため息が口から溢れた、感嘆の声でもあった。
覚えてくれていたんだ。流れで少し話しただけのこと、私でさえうっすら忘れていた、生まれた日を。
「ありがとう……」
思わず上擦った音になったけれど、しっかりお礼を告げて、そっと渡された花を、しっかりといただいて、色とりどりの可愛い花を、見つめる。
胸の中が喜びでいっぱいだった。
「…ようございました」
優しい言葉が、座敷の中でいつもお客を待っている店主から届く。
「花言葉など、ぜひこのあと、お二人で調べてみてくださると嬉しいです」
加奈原さんと二人、顔を見合わせて、そして、はい、と頷いた。
「ありがとうございます」
思わず揃ったお礼の言葉。しっかりとお辞儀をすると、花盗さんは、良い日をお過ごしくださいと、いつもの柔和な笑みで送り出してくださった。
「一緒に、だって」
「うん」
「なので」
「うん」
「今日はおれの家で、一緒に過ごしてくれませんか」
繋がれた手と手が熱くなっていく気がして、なんだかむずむずとする。そんなことを言われたのは、付き合いはじめてから初めてで、緊張した、けれど、答えはひとつしかない。
「幸一さんと過ごせるの、嬉しいです」
すると、頭ひとつ分は上にある幸一さんの顔が、私を覗き込んで、
「おれも、日佳さんと過ごしてお祝いできるのが、とても嬉しいです」
満面の笑顔で、二人、道を歩き出す。
花やはとりは不思議なお店。常識なんて知らん顔。お客に花を選ばせたりしない。
でもそのかわりに一等いいものをくれる。
二人で調べた花言葉は、面映いものだった、けれど、ブーケが、花盗さんが、私たちの関係を進めてくれた。
幸一さんと、私は、ずっと続いていく、確かだと思えるものをくれた。
そういうお店と、今日の私の、そういう話。




