花を買おうというはなし 冬も近く
花を買わねばならない。
かつて理不尽へ激怒した誰かのように、私もまた、怒っていた。ささやかといえば、ささやか。しかしそれは棘だった。ちくちく刺されば傷にもなるのだ。だから私は今日も今日とて、「花やはとり」を訪れる。
ガタン、と、いつもより大きく音を立てて、引き戸を開けた。乱暴が過ぎた。
感情的になるのは、この場合はよくない。どんなに腹が立っていても、物に当たるのはやめておきなさい、言いつけは確かだ、後悔だけが、残る。
かわりに閉める時は静かに、いたまないようにした。
「……こんにちは」
「いらっしゃいませ。こんにちは」
入った玄関の横の畳の部屋で、店主である花盗さんは、いつものように座って微笑んで、迎えてくださった。傍らには珍しく本を置いていらっしゃる。花が描かれた表紙なのがちらりと見えた。
本当に、大切に営んでいらっしゃるのだなあ。
そんな方にこんな注文をするのは、ひどい失礼なのもわかっていたけれど、言わずにいられなかった。私はそのために来た。
「あの」
「はい」
「あの、友達になげつけられる花を、ください」
意思強く告げた願いに花屋の主人は、きょとん、とした後、くすくすと笑った。こんな笑い方をするのは初めて見る。
続いて、いたずらっ子を前にしているような、仕方ないな、といいそうな表情で、
「喧嘩ですか?」
と、問われた。私はそれに、大きく頷く。
「なんとしてでもわからせなければならない、火急の喧嘩です」
「かしこまりました、わからせなければ、という理由は、お教え願えますか」
「もちろんです」
こと細かく、詳らかにしていく。なるべく感情的にならないよう努めて。時々語気が強かったかもしれない、泣きそうにもなった。それでも、静かに真剣に、聞いていてくださった。
「それは、惜しいことですね」
「惜しいですか」
「きっとそのお友達は、伊織屋さんが大好きでいらして、だからそのようについ、言わなくてはいられないのでしょうから」
またひとつ、柔らかな微笑みをもらす。
「承知いたしました。それでは少々お待ちいただけますか、お花の支度をしてまいります。よろしければ、座布団をお使いください」
すっ、音少なに立ち上がり、きっと誰も知らない奥の、戸を引いて行かれた。
怒りはまだ燻っているけれど、それもお話したことで弱火になった。立ち尽くしていたからだをゆっくりと動かして、靴を脱ぎ、お座敷に上がらせていただく。ほのかにあおい草の匂いがして、なんとなしに息を吸い込んでは、早くならないくらいに吐き出した。
惜しい、とは、なんだろう。その意味を知りたい。
花盗さんは私の話から、彼女のどんな思いを感じ取ったのだろう。
おそらく火急と告げたので、いつものようにお茶などは出さないでいてくださった、優しく心配りの上手な店主は、私が見てもわかる、オレンジの、バラをお持ちくださった。
「……一輪ですか」
「大切なご友人は、唯一無二と思いまして。こちらのお花をお出しする理由をご説明させていただきます」
このバラは大変美しい咲きぶりです。今、当店にあるなかで一番のお花をお持ちいたしました。
先程のお話を考えたのですが、ご友人は不安が大きいのではないでしょうか。それは、大切な人が遠くなる不安です。
けれどそれは不要な心配であると証明した方が良いかと思います。
オレンジのバラは、友情をあらわすにはうってつけのお花です。「絆」や「信頼」といった意味がございます。また、バラが一本の場合、「あなたしかいない」とも。こちらは恋に当てはめられることが多いですが、この世に、その人は、たったひとりだと。そんな思いが込められると思いました。
お話をお聞きしている間に、ふと、涙がこぼれた。
「私は、彼女が、自分は必要ないと言ったことが、とても悲しかったんですね。私にとって彼女は、彼女でしかない、大切な人だから」
「そのようにお見受けいたしました」
「怒っていいですよね」
落ちた雫はそのままに、あふれる思いも、そのままにして、いつだって私に心を傾けてくれていた、この土地で初めての友人を思った。
あのとき、きっと、泣きそうだった。
私も、彼女も。
泣きじゃくる私を、慰めない、それがたまらなく有り難くて、ますます泣けてしまって。花盗さんは一言、
「仲直りは、早くしないと、拗れてしまいますよ」
おっしゃった。優しげで、けれど今までになく、無機質にも感じた。声は雄弁だ。視線と同じくらい。
なにより私は、現実だ、これが真実だと思った。
ああそうだ。私はここでぐずついている場合ではないんだ。
あの子にバラを投げつけにいかなくては。
深く、ふかく、お辞儀をして、行きます。と、言った。
「お気をつけていってらしてください」
「はい」
「伝えたいことが伝わると良いですね」
「叩きつけてやります」
ぐっと拳を握って、にっこり笑う。今日、初めての笑みな気がする。
「とても素敵な心意気と思います」
花盗さんご自身が悪戯っ子のようなおかおをされて、なんだか勇気が満ちていく感覚がした。
「ありがとうございました」
街を吹く風はもう冷たさを含んで、こんな寒々しいなか、もしかしたらひとりで途方に暮れている、大切な友人の元へと急いだ。スニーカーでよかった。どこまでも駆けて行ける。
あなたはたったひとりしかいないんだよと伝えに行ける。
「花やはとり」は不思議なお店。常識なんて知らん顔、お客に花を選ばせたりしない。
でもそのかわりに一等いいものをくれる。
仲直りをする力をくれる。
そういうお店と、今日の私の、そういう話。




