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花やはとり  作者: 雛芥子まとい


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花を買おうというはなし 


 そうだ、花を買おう。

 夕焼けが空をもやす早番の十六時、なんてことない帰り道、家への足を逆回転させて。商店街の真ん中で百八十度回ったことで周囲から、なんだ、と言う目を向けられた気もしたけれど、それに何を反応するのもやっていられなくてそのまま。

 通勤路の最果て、その一歩手前に存在する「花やはとり」を訪れた。

 見た目は完全に古民家。こじんまりとした可愛さ、古き良き、といった雰囲気。花屋といえばガラス張りの扉と窓のイメージが強かったけれど、ここは人ひとりが通れるくらいの木製の、しかもなぜが引き戸、手動の出入り口だ。

 そっと開けようとしても、手をかけて戸を引いた瞬間、ガタリ、音が鳴る。知っていることとはいえ一瞬、肩が跳ねた。

「いらっしゃいませ…ああ。こんにちは、伊織屋さん」

「こんにちは…」

 小さな玄関に足を踏み入れ、見回すとその横にある和室で、店主の花盗さんが正座をして本を読んでらした。

「今日はまた随分、疲れたかおをされていますね。どんなお花をお探しですか?」

「とびっきり…可愛い花を、お願いします」

「承りました。それでは、こちらへどうぞ」

 そっと自分の向かい側に敷かれた座布団を手で示す。ぺこりとお辞儀をして、靴を置きあがらせてもらった。

 今、お茶をお持ちしますから。客人が座ったところでささと立ち上がり、奥に入っていく。ここからは見えないけれど、お台所があるらしい。この花屋は美味しいお茶も出してもらえる、最初に来た時はそれは驚いたものだ。

 戻った花盗さんと、お盆に湯呑みとお茶請けがふたつずつ。御膳みたいな。あれの正式名はなんなのだろう。

 粗茶ですが、なんて言わずに、ゆっくりとおかれると、緑茶のあまく爽やかな香りで辺りが満たされた。どうぞと促されるまま、お礼を告げて、一口。ほっとした。

「今日はですね、ポピーの花をご用意しようと思っています」

「ポピー、あの、以前にも出していただいた?」

「そうです。今、束になっているものをお持ちします、お茶請けも美味しいものですから、どうぞ召し上がっていらしてください」

 ご自分の分も持ってきてらしたのに、またそそ、と奥に行ってしまわれた。花盗さんは、物腰の柔らかな、言う人に言わせたら優男みたいな風貌で、それでいて実はとっても働きものないい店主さんなのだ、お花のセンスがとてもいい。客人には必ずお茶を出して待っていただく、そのためにあえて花の保存場所を別にしている、なんておっしゃっていたように、なんでかもてなしの心に満ちている。

「美味しい」

 出していただいたお饅頭はとってもまろやかなこしあんで、外側のかわの部分に塩気があって、程よいバランスを保っていた。

 お腹が空いていたかのように、ぱくり、ぱくり、食べてしまった。

「お待たせしました」

「はい、あの、ありがとうございます…」

 奥から戻った花盗さんの抱えた花を見て、思わず声が萎んでいった。私の知っているポピーとは全く違う、硬い蕾がそこにあった。

「あの…それは」

「これはポピーの蕾です」

「あ、ええ、はいその…」

「伝わっておりますよ、蕾の外見が、花と全く違うのに驚かれたんですよね?」

「…でも、あのポピーなんですよね」

「はい。なぜ今日、こちらのポピーをお出しするか、ご説明いたします」

 

 ポピーの蕾は、それほど可愛らしいものではありません。この通り、なんだか今にも怪獣の口が、がっと開きそうですよね。

 この蕾から、何色の花が咲くと思いますか。

 オレンジですか、そうですか、実は僕にもわかりません。

 そういう選び方をしてきました。そんなことができる花です。

 わからないのも良いとは思いませんか。今は不安でも花開けば、それは愛らしい花が咲く、その花が何色でも、素敵でしょう?


「昨年の春にポピーを出した時、伊織屋さんは、今が見頃の可愛い花を、とおっしゃりました。今日は、可愛い花を、と。なので、今日は、時間をかけて、育てて楽しめる方のポピーを」

「時間をかけて、育てて楽しめる」

「ええ、今はわからなくても、不安でも、疲れても。あなたが手間を惜しまなければ、あなた自身のように、努力を吸って咲くでしょう」

 じっと蕾を見ていたのを、花盗さんのお顔へ向いた。

 柔和な笑みに問いかける。

「私、咲いていますか」

「はい、あなたが、努力を惜しまなかった分だけ」

 しっかりとした、ふざけてなんていない声音で、見知らぬこの土地で就職してから今まで、何かと通いつけた店の主人が言った。

 それはどんなにも頑張った自分を最大級に褒めてくれている。そういう言葉だった。

 

 泣かなかったのは、こんなに惜しみない賞賛をいただいて涙腺を緩くする、そこまで弱くはなりたくなかったから。

 またせっかく、背中を押していただいたから。

 

「ありがとうございます」

 

 深くお辞儀をする。花盗さんは、またいらしてください、と見送って、ガタリ、音を立て、代わりに戸を閉めてくださった。

 一度は行って戻った道を、また行く。

 

「花やはとり」は不思議な花屋。常識なんて知らん顔、お客に花を選ばせたりしない。

 でもそのかわりに一等いいものをくれる。

 あの日、不安でいっぱいだった新卒の私を立たせてくれた。

 

 そういうお店と、今日の私の、そういう話。


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