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六道輪廻抄 〜 戦国転生記 〜  作者: 条文小説


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067 ~明応3年(1494年)6月 師崎沖~

挿絵(By みてみん)


〜登場人物〜

一色 越前守 義信…海賊の頭領

水野 下野守 為則…水野氏当主

    ~明応3年(1494年)6月 師崎沖~



 知多半島の最南端、師崎(もろざき)の海は、荒れ狂う「前守護」の執念を映したかのように、重く、鈍くうねっていた。


 海上に展開するのは、先の三河守護・一色氏を自称する武装船団、十数隻。彼らは一色家の家紋である「木瓜(もっこう)一文字」の旗を掲げ、かつての権威を盾に、知多の物流を「検断」の名の下に略奪を繰り返していた。


「水野の小倅(こせがれ)に、碧海(あおみ)の主が誰か知らしめてやれ!」


 武装船団いわゆる海賊の将、一色義信が叫ぶ。対する水野家の商船と、その警護に付く船は、数えるほどしかない。帆影はまばらで、陣形と呼ぶには心許なかった。


 水野家は今、四方から圧を受けていた。松平家・戸田家の婚姻による連合の圧迫。碧海(あおみ)と総称される知多半島沿岸諸港の入津料などの廻船公事(かいせんくじ)を巡る相国寺との係争。重なり合う負担は、自家商船の護衛に回す兵力すら削り取っていた


 一色の船が包囲を狭め、水野の船に無骨な鉤縄が投げ込まれようとした――まさに、その瞬間である。


 潮を蹴立て、白い飛沫を天へ放ちながら、巨大な異形の船影が滑り込んでくる。まるで海そのものが形を変えて迫ってくるかのような威容。


 知多の水野家本拠・内海うつみへ向かう菅沼家の使節船。権六が手がけた最新鋭の「かわら据え」の千石船が、二隻並んで現れたのである。


 一色義信以下、一色の船団は一瞬、言葉を失った。だが、すぐに色めき立つ。


「構わぬ! 所詮、矢作の川船。囲んで乗り捨てろ!」


 一色の小舟が、菅沼の船団を遮るようにその進路へ殺到する。しかし、甲板に立つ植田弥助は、眉一つ動かさなかった。


「……道の掃除を始める。からくりの威、目に焼き付けさせよ。」


 弥助が短く命じると、船上に据えられた権六謹製の轆轤(ろくろ)がキチキチと小気味よい音を立てた。次の瞬間、巨大な帆が風の向きに合わせて生き物の如く転じ、巨艦は凄まじい加速を見せた。


 衝突を恐れぬ、直線的な突進。


 一色の小舟が立ちはだかる。通常であれば、舵を切り、衝突を避ける局面だ。


 しかし、権六が船の「背骨」として据えたくすのきの一枚板、そして堅牢極まる「航据え」の船体は、小舟の体当たりなど意にも介さぬ。


 木の葉が岩に弾かれるように、小舟は撥ね飛ばされた。


 義信の怒号が響く中、巨艦は一色方の包囲網の「核」へと真っ直ぐに突き進む。


 逃げ遅れた一色の船がその側面に接触した瞬間、巨大な舷側が、文字通り「壁」となって敵船を押し潰した。


 衝撃を殺すことも、速度を落とすこともしない。ただ、巨大な氷山が流れるように、敵の群れを物理的に割り、押し除け、蹂躙していく。


 一色の船夫たちは、自分たちの叫びが巨大な「からくり」の駆動音に虚しくかき消されるのを聴いた。


 矢を放とうにも、見上げるほど高い甲板の上では、菅沼の将兵が寸分の乱れもなく盾を並べ、冷徹な眼差しで見下ろしている。そこにあるのは静寂と、「押し通る」という迷いなき意志だけだった。


 やがて、一色方の船団は、巨艦が生む荒い引き波に翻弄され、船を次々と失いながら退いていく。


 背後に控えていた松平・戸田の船団も、その光景に戦慄し、無言のまま距離を取った。近づけば、自らもあの「動く城塞」に踏み潰される――その恐怖が、彼らの舵を縛っていた。



ーーーーー



 師崎での一方的な掃討劇を、内海の館から目撃していた水野為則は、戦慄を禁じ得なかった。


 内海の館の広間。海原から吹き上げる潮風には、先刻の戦いの木粉と鉄の匂いが微かに混じっている。為則の前に座すのは、菅沼の使節・植田弥助であった。


「……あれが、岡崎の千石船か。噂には聞いていたが、一色の残党を矢も交えず一息に蹴散らすとはな。」


 為則の声は、隠しきれぬ動揺で震えていた。弥助は静かに一礼し、懐から一通の書状を取り出した。


「水野様。主、定行より預かりし口上にございます。今この碧海(あおみ)は、松平と戸田の『血の蓋』によって塞がれようとしております。血縄によって海を縛り、行き交う船から帆別銭ほべつせんを貪る。……それは、海を生きる水野の誇りを、松平の足元に敷くも同然ではございませぬか。」


 為則の眉間が深く刻まれた。


 水野氏は今、窮地にある。松平・戸田の包囲網もさることながら、相国寺などの有力寺社から海上通行税の滞納を厳しく糾弾されその結果が、海賊に略奪の名分を与え、さらなる「押妨(おうぼう)」を招いていた。


「弥助殿、言葉が過ぎるぞ。松平とて組めば、一時の安寧は得られよう。……相国寺の連中も、松平の威を借りれば黙らせることもできよう。」


「果たして、そうでございましょうか。」


 弥助は間髪入れず、冷徹に言葉を継いだ。


「松平が差し出すのは、綻びやすい『縄』に過ぎませぬ。縄により蓋は閉じぬかもしれませぬが、いずれ絡め取られましょう。……我ら菅沼が提案するのは、蓋を穿つ『道』にございます」


「道だと?」


 弥助は、兵庫や利兵衛たちが練り上げた「経済同盟」の要旨を語り始めた。


「第一に、水野家が抱える相国寺との係争。これについては、我が菅沼が肩代わりいたす。……菅沼が相国寺へ『喜捨(きしゃ)』として銭を積み、水野の名に代わって帳尻を合わせましょう。寺社にとって必要なのは神仏への誠ではなく、倉を潤す金にございます。それを我らが引き受ける。」


 為則の目が、驚愕に大きく見開かれた。寺社勢力との係争を、一国人が肩代わりするなど、正気の沙汰ではない。だが、それを可能にする「富」が、今の岡崎にはあった。


「第二に、一色残党への対処。先刻ご覧通り、あのような無頼どもは我が方の千石船の敵ではございませぬ。水野様が湊を貸し、我らが海路を掃除する。……さすれば、伊良湖の潮目で戸田が縄を広げようと、我らの船はその外側を悠然と駆け抜けることができましょう。」


 弥助はさらに、利兵衛が記した一枚の帳面を差し出した。


「松平が差し出すのは、水野が家臣となるための『縄』。だが、我らが求めるのは、海を共にする『商い』にございます。……どちらの理が、水野の家を末永く支えるか。天秤にかけるまでもございますまい。」


 広間に沈黙が落ちた。


 外では、菅沼の新型船に備えられた轆轤が、キチキチと小気味よい音を立てて帆を調整している。その音が、古い時代の終わりを告げる秒読みのように為則の耳に響いていた。



――――伊勢湾利権と守護大名一色氏


 三河国――のちに「日本デンマーク」と呼ばれる農業の先進地となるこの地は、戦国黎明期において、単なる農業国としての顔以上の「価値」を秘めていた。


 その価値を誰よりも早く、そして貪欲に見出していたのが、足利一門の門流であり、幕政に参与する三管四職の一角に数えられた名門・一色氏である。


 康暦元年(1379年)一色氏は三河守護としてこの地に根を下ろす。初代 範光(のりみつ)が、祖父・公深(きみふか)の代からの縁があった三河国幡豆郡一色の地を名字の地として以来、彼らはこの「水の領国」に執着し続けた。


 一色氏が三河の国に求めたのは、岡崎平野の広大な美田ではない。真に欲したのは、伊勢湾から外海へと繋がる「海の道」、すなわち海上利権であった。


 若狭国・三河国・伊勢国のほか山城国や尾張国 智多(ちた)郡という飛び地の守護を兼任する一色氏の領国形成は極めて特異である。


 しかし、範光(のりみつ)から詮範(あきのり)満範(みつのり)へと受け継がれた領地を海路から俯瞰すれば、その意図は明白だ。北に日本海を臨む若狭・丹後。南に太平洋を抱く三河、そして尾張の知多郡・海東郡。さらに伊勢湾の対岸、伊勢。


 彼らは、日本列島の背骨を挟んで南北の「海」を同時に支配する、いわば「海の大名」であった。若狭・丹後で得た大陸や北国の物資を、京都という巨大消費地へ送り込み、同時に伊勢湾の制海権を握ることで、約百年の間、東国と西国を結ぶ太平洋航路を押さえ続けたのである。


 伊勢湾は、ただの穏やかな内海ではない。伊勢神宮への献上品や、東国からの貢物が集積される物流の要衝だ。一色氏は、この湾内に展開する船舶や荷揚げから生じる莫大な富を独占しようとした。その執念を象徴するのが、渥美半島を巡る争いである。


 渥美郡は本来、将軍足利家から京極氏に与えられた地であった。だが、一色氏はこれを断じて認めなかった。


 幕府から「京極氏へ土地を引き渡せ。」と再三の命令が下ろうとも、歴代の守護たちはのらりくらりとこれを無視し、実力行使で渥美半島の支配を継続した。


 なぜそこまで固執したのか。それは、渥美半島の先端が伊勢湾の入り口を(やく)する、まさに「海の関所」だったからに他ならない。一色氏は半島の付け根にある今橋(現在の豊橋)を押さえ、物流の動脈を完全に遮断した。彼らにとって、海上交通を妨げる京極氏の存在は、懐に刺さった棘にも等しかったのだ。


 永享四年(1432年)、再開された勘合貿易において、時の当主・一色義貫が寄合船の派遣に参加している事実は、一色氏の視線がはるか大陸の富にまで注がれていたことを物語っている。


 だが、その強大すぎる海上権益を背景とした幕府内での発言力の増大は、第六代将軍・足利 義教(よしのり)の猜疑心を呼び起こした。


 「万人恐怖」と呼ばれた暴君義教の治世。一色 義貫(よしつら)は、義教の不興を買い、ついには大和の陣中にて謀殺されるという悲劇的な最期を遂げる。一色氏はこれによって三河守護の地位を追われ、一族は分裂、弱体化の道を辿ることとなる。


 しかし、一色氏が築き上げた「海を制する者が国を制する」思想は、伊勢の海に深く刻み込まれた。


 伊勢湾という巨大な水鏡を挟んだ三河の対岸――尾張。そこには、一色氏と同じく「銭と物流」の力を鋭敏に嗅ぎ取り、津島や熱田という湊を掌握することで天下への(きざはし)を駆け上がらんとする、織田という名の巨星が胎動していた。


 かつて一色の将兵たちが、波間に揺れる旗印「木瓜(もっこう)に一文字」を見つめながら夢想した富と権力。その野心を受け継ぎ、さらに強固なものへと変える者が現れるまで、伊勢の海は、静かにその時を待っていた。

〜参考記事〜

武家家伝_一色氏/ 田中 豊茂(家紋World)

harimaya.com https://share.google/SPyYlb6pNdfL8stEe


一色氏 / Wikipedia

https://share.google/JO8QNqhNoVWVP9aw0


武家家伝_水野氏/ 田中 豊茂(家紋World)

harimaya.com https://share.google/vqgrZaUvbZxmA9J2H


水野氏 / Wikipedia

https://share.google/tHR72TlnQUnL0aW92


〜舞台背景〜

 知多半島の名族、水野家との外交回です。ただ水野家も徳川家康の生母「於大の方」の実家だったせいで、徳川幕府によるご先祖の悪事抹消の資料改竄があり、この時期の水野家は色々と「ありえない」「無理があり過ぎる」ってWikipediaに言われてましたw

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