062 ~明応2年(1493年)10月 岡崎城~
~明応2年(1493年)10月 岡崎城~
安祥松平家当主、松平 親忠が岡崎へ戻ったのは、追撃戦を終えた直後のことだった。
勝ったはずの戦の帰途で、使者が馬を飛ばしてきた。息を切らし、顔色を失い、それでも言葉を選びきれぬまま、ただ一言――
「岡崎が……落ちました。」
親忠は、すぐには言葉を返さなかった。問い返す必要もなかった。その一言に含まれる重みを、誰よりも理解していたからだ。
急行。それ以外の選択肢はなかった。親忠は軍をまとめ、最短で矢作川を渡り、岡崎を目指した。だが、城が見えたとき、彼は思わず馬を止めた。
「……もう、始めているのか。」
城壁の一部では、すでに修復が進んでいた。破られた箇所は仮木で塞がれ、櫓には新しい見張りが立っている。
城門は閉ざされ、城下の道には、「釘抜き紋」と「剣銀杏紋」の旗が翻っていた。菅沼と岩津松平。
赤を基調とした指物が、要所要所に立てられ、城下町の流れを抑えている。兵だけではない。人足、商人、役人の動きまでが、すでに菅沼の色に染まり始めていた。
「……手際が良すぎる。」
親忠は、低く呟いた。岡崎城に布陣する赤備の軍勢を見た瞬間、彼は悟った。これは、すでに「戦場」ではない。
甲冑は揃い、槍も長く、陣形に乱れがない。街道を抑え、渡河点を押さえ、城と城下を一体で包み込む配置。戦を知らぬ者の布陣ではなかった。
「……力攻めは、無理だな。」
親忠は冷静だった。無理をすれば勝てぬ戦でもない。だが、その代償は大きすぎる。岡崎を取り返したとしても、家中は疲弊し、次の戦に耐えられぬ。
そして何より――菅沼は、攻めてこない。
ーーーーー
対する岡崎城に詰める菅沼定行もまた、無理をしなかった。城壁の陣は崩さず、松平勢に圧をかけながら、野戦を避ける。兵を動かさぬことで、時間を味方につける構えだ。
「守れば勝ち、ですな。」
内匠の言葉に、定行は頷いた。
「今はな。」
岡崎城を押さえ、街道を握り、矢作川を制した今、戦場はすでに形を変えている。剣を交えずとも、勝敗は動く。
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両軍は、睨み合っていた。だが、それは単なる膠着ではなかった。互いに、分かっている。親忠は、菅沼定行が「勝てる状況」を作り上げたことを理解している。
定行も、松平親忠が軽率な男ではないことを知っている。だから、矢は放たれない。太鼓も鳴らない。城を囲む松平の黒と、城の赤が、静かに向かい合う。
その様子を、本陣の一角で、竹千代は見ていた。
「……戦っていないのに、張り詰めている。」
私の言葉に、兵庫が答える。
「これが、分かっている者同士の戦です。」
兵を動かせば負ける。動かさねば、時間が勝敗を決める。私は、胸の奥で、何かが形を持つのを感じていた。
戦とは、斬り合いではない。数、位置、道、川、人――すべてを揃えた者が、最後に立つ。赤備は、その象徴だった。
夜が来ても、陣は動かない。松平も、菅沼も、火を焚き、兵を休ませ、明日を待つ。だが、その「明日」は、剣で決まるものではない。
親忠は、陣中で静かに考えていた。兵站。時間。家中。そして――岡崎城内に残した者たちの顔。
対陣は、成立した。だが、それは終わりではない。むしろ、本当の勝負は、ここから始まる。
ーーーーー
矢作川は、何事もなかったかのように流れていた。
戦の最中であろうと、対陣の只中であろうと、川は止まらない。だが、その「止まらぬ流れ」こそが、この睨み合いの正体を雄弁に物語っていた。
朝靄の中、川面を下ってくる舟があった。一本ではない。二本、三本――いや、数えるのが馬鹿らしくなるほど、間を置いて次々と現れる。
積まれているのは、米俵。塩壺。鉄の塊を包んだ木箱。そして、まだ生木の香りを残す材木。
岡崎城の舟着き場では、赤備えたちが無言で動いていた。声を荒げる者はいない。だが、手は止まらず、流れは滞らない。
「……今日も、来たか。」
川辺りから眺めていた松平方の物見が、思わず呟いた。
菅沼は、矢作川を「道」として使っていた。奥三河の山地。根羽の衆。木を伐り、鉄を焼き、米を集める者たち。それらを束ねる商人の手が、川の流れに乗っている。
山地師が切り出した木は、川を下り、城の補修に使われる。塩は、保存を可能にし、兵の胃袋を支える。米は言うまでもない。戦が続こうと続くまいと、岡崎城には「日常」が流れ込んでいた。
一方、岡崎城を囲む松平親忠の陣では、空気が違っていた。追撃戦で消耗した兵。急行による疲労。そして、補給線の細さ。親忠は、地図を前に静かに考えていた。
岡崎城は、敵の手にある。街道も、川も、押さえられている。補給は、後方から細々と送るしかない。それも、いつ遮断されるか分からぬ道を通ってだ。
「……時間は、こちらの敵だな。」
誰に聞かせるでもなく、親忠は呟いた。
さらに重くのしかかる現実があった。岡崎城内に、人質がいる。松平光重の妻子。家臣の家族。戦の混乱で逃がせなかった者たち。菅沼は、彼らに手を出さない。だが、それが逆に効いていた。無事である、という事実そのものが、松平側の判断を鈍らせる。
「……城を攻めれば、どうなる。」
その問いに、誰も即答できない。
時が経つ。一日。二日。三日。
岡崎城下でも、市が立ち始めていた。仮設の市だが、人が集まり、物が動く。兵だけでなく、町が息を吹き返しつつある。それを、岡崎城を囲む陣から松平の兵たちは見ていた。
「……まるで、もう戦が終わったみたいだな。」
誰かの呟きに、反論する声はなかった。
ーーーーー
菅沼定行は、岡崎城内で報告を聞いていた。
「本日も、矢作川より舟が七艘。米、塩、木材、滞りなく」
「よい」
短く答える。定行は、戦場を見ていなかった。見ていたのは、流れだ。兵站。人の動き。戦わずして、相手の力を削る。刃を交えずして、勝敗を傾ける。それが、今の岡崎だった。
私は、城の一角で川を眺めていた。舟が着き、荷が下ろされ、人が動く。その一つ一つが、兵を増やすよりも確かな力を持っている。
「……黄河を制する者は中国を制す。」
ふと、そんな言葉が浮かぶ。
兵庫が、横で頷いた。
「はい。だからこそ、矢作川は戦場なのです。」
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松平親忠も、同じ川を見ていた。だが、彼の目に映るのは、違う現実だった。減っていく兵糧。疲れの抜けぬ兵。揺らぎ始める家中。時間が経てば経つほど、差は広がる。それは、誰の目にも明らかだった。
「……長くは、持たぬな。」
親忠は、静かに息を吐いた。剣を交えぬ戦が、確実に勝敗を決めつつある。矢作川は、何も語らない。だが、その流れは、現実をはっきりと示していた。
――――戦国期の岡崎城
矢作川へと注ぐ伊賀川と乙川。その合流点に張り出した河岸段丘の上に聳える岡崎城。
戦国期の岡崎城は、石垣の城ではなく土で築かれていた。だがそれは未熟な姿ではない。土塁、土橋、横堀、竪堀、馬出、桝形、櫓台――戦国時代の城郭技術が行き着いた「土の城の到達点」の姿である。
本丸は川面から十五メートルほどの高さに位置し、左右を流れる川をそのまま巨大な堀として利用している。
水と高低差。自然そのものを防御に組み込んだこの構えは、城が単なる軍事拠点ではなく、水運と物流をも掌握する拠点であったことを物語っている。
そして城の本質である防御構造は、城外から一見しただけでは覗えない。堀切の手前に穿たれた横堀は、土塁と一体となり、敵を足止めする「武者隠し」となる。横堀は主郭の裾を巡り、やがて堀切へと導かれる。さらにその先には、斜面を断ち切る竪堀が待ち構える。横へ逃げる道も、下へ回り込む道も、すべて遮断される構造だ。
この横堀と竪堀を連動させる城の縄張りは、のちの徳川家康が好んで用いた手法として知られる。岡崎城は、家康の戦い方、守り方、その原点を今に伝えている。
敵は正面からだけ来るとは限らない。急な斜面をよじ登り、曲輪のすぐ下まで迫る者もいる。そのすべてを想定して、岡崎城は備えた。
主郭正面へと至る土橋は、あえて狭く造られている。両側には深く鋭い空堀。敵はここを渡る以外に道はない。しかも出入口(虎口)には馬出が控え、周囲の曲輪から集中攻撃を浴びることになる。
岡崎城の特徴である傾斜のない垂直に落ち込む空堀は、本丸土塁から堀底まで十メートルを超える。滑り落ちれば、這い上がることは叶わない。そこに石垣は要らない。土だけで十分すぎるほどの殺意が込められている。
馬出は小さな半円形の曲輪だ。規模は小さいが、城の要所に置かれ、進路を強制的に曲げる。敵は回り込まねば先へ進めず、その間、馬出と上位曲輪からの攻撃に晒され続ける。目立たぬ存在でありながら、攻守の要。その配置に岡崎城の知恵が凝縮されている。
城の境界には堀切を設け、斜面には竪堀を落とし、出入口(虎口)には必ず馬出を添える。多方面からの侵入を想定しながらも、敵の動きは徹底的に限定される。
守る側は少なく、攻める側は常に不利――それが岡崎城を貫く思想だ。構造の一つひとつに宿る執念と計算は、他の名城と比べてもなお際立つ。岡崎城は、天守の豪壮さを誇る城ではない。岡崎城は「戦う城」なのである。
岡崎城は語る。――戦とは力比べではなく、準備と想定の積み重ねであることを。土に刻まれた無数の溝と段差は、三河武士の生存戦略そのものであり、戦国の知恵の結晶なのである。
〜参考動画〜
岡崎城天守閣 プロジェクションマッピング 2025 / 株式会社一旗
https://youtu.be/CLtsOtaCkw8?si=GLgbWZJ6_IuPiaSQ
三河武士のやかた家康館 甲冑プロジェクションマッピング / 株式会社一旗
https://youtu.be/HwsbMi90wdY?si=HEDWU5GA5j7vqLHF








