006 〜延徳2年(1490年)11月 鳳来寺山〜
〜延徳2年(1490年)11月 鳳来寺山〜
陽が差し込み、木々の間に金の筋が走った。霜が光り、谷の空気が暖まっていく。
その光の中に在る真新しい祠の中に私は居た。
隣で作業をしているのは藤兵衛が、口数は少ないが真面目が取り柄と推薦してきた弥助とその妻ウタ。
皆、藤兵衛に全て用意させた白い装束に酒で清めた身を包み、湯で煮沸した竹箸で天然椎茸の柄の内側からひだ付近に残っている菌糸を摘み取りおが屑と米ぬかを混ぜた培地で種菌を培養の真っ最中である。
皆口元を布で覆っているので、一応「神託」扱いになっている私の指示が届きにくいのが難点だが、菌糸の純化や増殖は非常に順調で培地での継代も三巡目である。
「よし、今日はこれから駒打ちじゃ。種作りはこれで切り上げよう。」
祠内に風通しを意識して作られた棚に積まれた、白く広がった菌糸の培地の前で私は二人に声を掛けた。
三人で祠から出ると、(安藤)彦兵衛、(山路)与五郎、(加藤)孫右衛門、(永原)内匠、そして右近の5人が、少し離れた場所から一斉に叩頭する。
汚れている者は近寄るなと言い含めてあるので律儀に距離は取っているものの、田峰城の盾である馬廻り衆の殆ど…いや全員が、こんな山奥に屯しているのが、最近の島田村の光景である。城の護りは大丈夫なのであろうか心配になる。
「今日の祈りは終わった。皆で片付けよ。」
私が馬廻り衆にそう声を掛けると、皆慣れたもので胸元から、おのおの柄杓を取り出し、お目当ての、我々が殺菌に使っていた酒の樽に駆け寄り。
「では某から…」
彦兵衛が杓を出すと、与五郎も
「微力ながら手伝いをば…」
「某も力の限り片付けさせて頂く…」
孫右衛門が割り込み、内匠は無言で
皆、物凄い勢いで酒樽の酒を呑み始めた。
当初、防諜の観点から供は右近だけだったのだが、最近三日と空けずに鳳来寺山に行くと酔っ払って帰って来る右近の噂を聞きつけ一人増え、二人増え…今日に至る。
とはいえ、弥助とウタの全身や祠を清めるため、藤兵衛には酒を一斗用意させているので、呑み盛の馬廻り衆とはいえ呑み尽くすのには時間が掛かる。
その間、弥助とウタには祠の温度・清潔管理と雑菌対策を繰り返し叩き込むのがここのところの日課である。
近代技術である外部の微生物を完全に遮断した無菌環境の構築が不可能である以上、雑菌に対して椎茸菌に培地を優占させるという前近代の原理を、思いの外に理解力のある弥助とウタに日々説明する。
草鞋を脱ぎ、総檜の部屋へ使い棄ての装束と足袋で入り雑菌が入りにくく増えにくい環境を作った上で、素早く椎茸菌を煮沸した箸で作りたてのおが粉や米糠に植え付ける事が、雑菌に先んじて椎茸菌を富ます技法……だと神様が言っていた。
そう説明している私の横で、この一月私への忠誠心が爆上がり中の馬廻り衆が、酒で随分いい顔になってきた頃、与右衛門が幾人かの山地師を伴って山を降りてきた。
「若、滞りなく準備は整いました。お下知があれば今から運び込めます。」
藤兵衛の銭払いが相当良かったらしく、近隣の百人以上の山師地達が木を切り出し運び込むのに待機してくれている。
「全てが時間との勝負じゃ。速やかに切り出して、絵図のとおり組み、孔を空け、種を詰め、蝋で塞げ。」
私が言うと山地師が応と答えて、合図の笛が紡がれる。
「ピーッー」
「ピーッー」
「ピーッーー」
カンッカンッカンッカンッカンッカンッカンッカンッ
カンッカンッカンッカンッカンッカンッ…
木を切り出す音が山や谷に一斉に木霊する。
しばらくすると山地師達が次々と櫟を運び込んできた。太さ一尺(30cm)、長さ四尺(120cm)のこれから椎茸の榾木 となる櫟である。
「傷を付けるな、櫟は丁寧に扱うのじゃ。」
与右衛門が事前の打ち合わせどおりに、与右衛門が鑿で櫟に孔を穿つ山地師達にテキパキと指示を出してくれている。
榾木の搬入や、一瞬で終わる鑿での孔明けといった山地師達の鮮やかな職人技を見ていると、椎茸栽培の技法が漏れ広まったところで他の地域ではそうそう真似の出来るものではないと、山地師達の手際を見ていると切に感じる。
まず椎茸栽培は標高が高く冷涼な気候、適度な湿度と昼夜の寒暖差、特に楢や櫟などの広葉樹を豊富に育む森林資源が全て揃った上で、椎茸菌が雑菌との競合に打ち勝つ環境操作が必須である。
そして栽培成功率、言い換えると椎茸菌が雑菌より先に榾木内部を占める確率、その確率を大きく左右する椎茸菌を雑菌に晒す時間を最小限にする迅速な作業が出来る労働力、その労働力を支える潤沢な資金も必要である。
印も付けず山地師達が鑿一振りで直径七分(1㎝)、深さ一寸(3㎝)の孔を穴間七寸(20㎝)で榾木に整然と一列に打っているのは職人の本領発揮である。
菌を植え付けるための榾木 は、雑菌対策や原木加工の作業性から、丸太を仮置きして自然乾燥させてから孔明けをして駒を打ちそして封じるのが定石だ。
生木は乾燥材より木材の養分が豊富なので雑菌リスクが高い。しかし伐採・加工・運搬・駒打・封栓の全ての工程を極めて手際よく迅速に作業して椎茸菌による榾木の優勢占有が出来るのであれば、その後の椎茸菌の定着・馴化や回りが速く初期発生までの期間が短く収穫量が多い。
そのため鳳来寺山のように、冷温多湿な気候下で膨大な菌侵入経路になる傷の無い良材を瞬時に作業可能で、山中の多数の職人を抱えている場合には伐採直後の生木の露天使用一択だ。
そろそろ終盤となってきた頃合いにも与右衛門の声掛けが響き渡る。
「駒が浮かぬようしっかり打ったら、すぐ隙間なく蠟で密に埋めよっ!」
「そこ!蠟が固まるまで触るでないっ!」
雑菌の繁殖を抑えるために日没の早い十一月の作業であったものの日が暮れる前には千本を超える量の榾木が全て組みあがった。
遮光・通気を意図して山の斜面に垂直・斜めに立て掛けてある見渡す限りの榾木の山はまさに圧巻である。
一本一本の榾木に残る枝打ちや節処理の綺麗な跡も見事である。これだけの出来であれば、この地はもともと天然椎茸の群生地であり気候条件は申し分ないので、早ければ来春の収穫期には間にあうだろう。
無事ここまで漕ぎつける事が出来たのは、祠の横に積みあがる数千本の蝋燭の木箱一つとっても村人数十人を一年養える費用を快く供出してくれた島田村の功績が非常に大きい。
村名主の藤兵衛には改めて感謝したいのだが最近、周囲に私が原因だと溢していたらしい藤兵衛が何故か心労で寝込んでしまったそうなので、まだ礼が伝えられていないのが大変残念である。
~舞台設定~
第6話で、これまでの話の伏線を回収しながら逆行転生テンプレ椎茸栽培を書きました。史実でも江戸時代の椎茸栽培は村人総出で駒打ちをおこなっていたらしく、本作品でも主人公一人で全て行うのではなく、皆で手分けして分業している描写を心掛けました。本作のオリジナリティーの部分を挙げるとしたらそこかなと思ってます。




