058 ~明応2年(1493年)6月 飯田街道~
ボロジノ博物館でボロジノの戦い(露語:Бородинское сражение)(仏語:Bataille de la Moskova、モスクワ川の戦い)のジオラマを見学するプーチン大統領。出典:Wikipedia
~明応2年(1493年)6月 飯田街道~
夜明けは、訪れなかった。正確には、空は白んだ。だが、谷を覆う霧は晴れず、矢作川の流れも、その輪郭を曖昧にしたままだった。対岸は見える。だが、明け方の霧は、そこへ至る川面を覆い隠していた。
松平親長は、川岸の小高い場所に立ち、動かぬ軍を見下ろしていた。兵はいる。数は揃っている。武具も、旗も、馬もある。だが、それだけだった。軍として必要な「動き」が、どこにもない。渡河の準備が、すでに二刻以上続いている。
ようやく岩津松平の先陣が動き出したのは、陽が随分と高く刻である。太鼓は打たれなかった。鬨の声もない。兵たちは声を潜め、まるで盗人のように川へと向かった。
浅瀬を探して兵が矢作川に入る。だが、梅雨前の増水で、水は膝を超え、腰に達する。足場は石と泥が入り混じり、踏み出すたびに体勢を崩す。鎧が水を吸い、重さが倍になる。馬は嫌がり、鼻を鳴らし、蹄を止める。無理に進ませれば転倒し、荷駄ごと流される。実際、すでに数頭が川下へ消えていた。
「徒で行け!」
「鎧を脱げ!」
「待て、荷が先だ!」
命令が飛ぶ。だが、互いに噛み合わない。脱いだ鎧は誰が運ぶのか。武器はどうするのか。渡った先で、どう集まるのか。何一つ、決まっていない。軍とは、決められた手順が流れることで初めて機能する。今の親長の軍には、その「流れ」がなかった。
そして――対岸。霧の向こう、街道の分岐に、赤い帯が横たわっていた。
最初は、霧の中に紅い旗だけが見えた。次に、朱槍の穂先。やがて、整然と並ぶ緋い兵の列が、霧の切れ間から浮かび上がる。
赤備え――昨年の山間の合戦で名を上げた者たち。
優に千は超えていそうな数だ。だが、乱れない。馬の首は揃い、騎手の背は真っ直ぐだ。彼らは戦うために来たのではない。そこに在るために来ている。
赤備えの隊列が、ゆっくりと左右に展開する。道幅ぎりぎりに広がり、槍を伏せ、弓を構える。その背後には、土を盛り、即席で築かれた障害物が見えた。昨夜のうちに整えられたのだろう。
赤備えは、悔しいほどに見事な練度で、渡河中の兵に的確に射掛けてくる。
「押すな!」
「待て、まだ渡りきっておらぬ!」
「馬を止めろ、止めろ!」
叫びは霧に吸われ、川に沈み、岩津松平軍の兵たちの統制は霧散した。
対して菅沼の赤備えは進まない。ただ、街道の上に横一線に布陣し、左右の分岐と渡河点をすべて覆っている。それは「戦う陣」ではなかった。「塞ぐ」ための陣だった。
――街道は閉じられた。
霧の中で親長の喉が、ひくりと鳴った。
(川を渡れてたとて…展開できぬ。)
仮に渡河に成功したとしても、兵は細長く伸び切った状態で川を背にする。その先には、正面から崩せぬ赤備え。左右に回り込めば、森と崖。押し切れば、時間がかかる。
その間に――背後は、無防備だ。安祥松平は、ここにいない。だが、いないからこそ恐ろしい。
今この場で全力を使えば、安祥松平は背後を衝く。使わねば、目の前で削られる。どちらを選んでも、岩津は弱る。
昼が近づくにつれ、事態は悪化していく。
川に入った兵が冷え、震え始める。濡れた草鞋は重く、足の感覚が鈍る。炊き出しは滞り、水と食糧の配分を巡って口論が起きる。士気は、戦わぬまま削れていく。
松平親長は、悟っていた。
――これは、合戦ではない。
――包囲でもない。
――消耗だ。
勝敗は、刃で決まらない。時間で決まる。
ここで退けば、越境した意味が消える。進めば、壊れる。動かねば、腐る。選択肢はあるようで、どれも破滅へ続いている。
―――――渡河
渡河とは、軍事作戦において河川を横断し、対岸へ進撃する行為を指す。そして古今東西の戦史において、渡河は常に「最も困難で、最も危険な局面」と位置づけられてきた。
河川は天然の障壁である。これを越えるためには、工兵による架橋や渡河用舟艇が不可欠となり、進軍速度は著しく低下する。
部隊は縦に引き伸ばされ、機動力を失い、隊形は分断されやすい。さらに、渡河中や架橋作業の最中、兵は遮蔽物を持たず、最も脆弱な姿を敵に晒すことになる。敵火力の集中を受ければ、損害は瞬時に致命的なものとなる。
渡河の困難さは、戦術面にとどまらない。戦略的にもまた、重大な意味を持つ行為であった。
ローマの英雄ユリウス・カエサルがルビコン川を渡った際に発した「賽は投げられた(Alea iacta est)」の言葉に象徴されるように、渡河は補給線の切断であり「後戻り不能」の覚悟を示す行為と捉えられてきた。
中国戦史において知られる韓信の「背水の陣」(『史記』淮陰侯列伝)は、川を背にして布陣し勝利を収めた稀有な成功例である。しかし、これはあくまで例外に過ぎない。渡河中あるいは渡河直後の軍は無防備であり、兵法書『孫子』が「半渡而撃」――敵が川を半ば渡ったところを撃て――と記す通り、通常は渡河する側が敗れるのが定石である。
世界史においても、その教訓は幾度となく繰り返されてきた。1812年、ナポレオンのロシア遠征における「ベレジナ川の戦い」は、仮橋渡河中にロシア軍の攻撃を受け、フランス軍が壊滅的損害を被った事例として名高い。この敗北は、二年後のナポレオン没落へと連なる転換点となった。
また、第二次世界大戦末期の1945年2月、米軍はライン川に阻まれ進撃を停滞させていたが、ドイツ軍の不手際により爆破を免れた鉄道橋を奪取することで対岸へ渡河し、ルール地方へ雪崩れ込んだ。この成功は、ドイツ降伏を早める決定的要因の一つとなった。
戦後ドイツで、破壊の容易な斜張橋が多用されるようになった背景には、斜張橋の景観の美しさだけではない、この経験があるとされる。
日本史においても例外ではない。天正五年(1577年)、能登へ進出した上杉謙信に対抗するため、柴田勝家を総大将とする織田軍が増水した手取川を渡河中に上杉軍に攻撃され、大敗を喫した「手取川の戦い」は、渡河の危険性を如実に示している。
また、石田三成に三顧の礼をもって迎えられ「治部少(三成)に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」と謳われた名将・嶋左近が渡河中の東軍を奇襲し、西軍が勝利を収めた関ヶ原の戦いの前哨戦として知られる慶長五年(1600年)「杭瀬川の戦い」もまた、渡河戦の典型例である。
そして現代においては、渡河作戦はかつてないほど困難なものとなった。
偵察ドローンの普及により、渡河準備の段階で敵に察知されるため隠密性は失われ、高精度誘導兵器や自爆ドローンによって、架橋中の橋梁や集結地点は即座に破壊される。
2022年のロシア・ウクライナ戦争における「シヴェルシキー・ドネツ川の戦い」では、渡河を試みたロシア軍の一個大隊戦術群(BTG)が、ウクライナ軍の集中砲火を浴び、ほぼ全滅した。
こうした現実を踏まえ、日本の陸上自衛隊は、多河川地形である国土条件を考慮し、07式機動支援橋や92式浮橋を運用する施設科部隊を保持し、高度な渡河能力の維持に努めている。
渡河とは、単なる移動ではない。
工兵、砲兵、航空支援、情報戦――それらすべてが完全に同期して初めて成立する、高度な統合運用である。
ーーーーー
雨は降らなかった。だが、陣の空気は湿りきっていた。矢作川を前にして三日。
渡河は成らず、退却の命も出ない。兵は陣にいる。だが「いるだけ」だ。松平親長は、本陣の中で家老衆を前にしていた。
地図が広げられている。矢作川、渡河点、街道、そして霧の中から現れた夥しい数の赤備えの布陣。だが、誰も地図を見ていない。皆が見ているのは――当主の顔だった。
「……で、どうする。」
親長の声は低く、抑えられていた。怒号ではない。怒鳴らぬ声ほど、人を追い詰める。
最初に口を開いたのは、宿老の一人だった。
「これは……情報が誤っておりました。」
その言葉に、陣内の空気がわずかに動いた。
「菅沼が、これほど兵を集めているとは……赤備えが千を超えるとは、事前には――」
「誰が、その情報を持ってきた。」
親長の視線が、言い訳を述べた宿老を射抜く。
「……某が、確認いたしました。」
沈黙。誰も助け舟を出さない。
次に口を挟んだのは、若手寄りの家老だった。
「いや、そもそもの話。」
声が、やや強い。
「弥三郎を逃がしたことが、すべての元ではありませぬか。」
その名が出た瞬間、空気が凍った。
「妾腹ごとき一人にここまで振り回され、軍を動かし、国境まで出て――それでも斬れぬ。これは……。」
言いかけて、止まる。だが、言葉はもう届いていた。
――当主の判断ミス。
親長の指が、地図の上で止まった。
「申してみよ。」
言いかけた家老は一瞬、躊躇した。だが、もう引けない。
「……ここで引けば、弥三郎は菅沼に守られたまま生き延びます。進めば消耗。退けば、威信は地に落ちる。どちらにせよ、岩津の――」
「黙れ。」
一言だった。
怒鳴り声ではない。だが、刃のように鋭かった。家老は口を閉ざした。だが、閉じたのは口だけだ。視線は逸らさない。
親長は、理解していた。この場にいる者たちは、皆、同じことを考えている。
――誰の責任か。
――誰が、この膠着を招いたのか。
――誰が、最初に誤ったのか。
戦に負ければ、首が飛ぶ。だが、戦わずに負ければ、名が死ぬ。名が死ねば、家中は割れる。
別の家老が、静かに言った。
「……安祥が、動いておりませぬ。」
誰もが分かっていたことを、あえて口にする。
「今ここで兵を失えば、背後は空きます。安祥がそれを見逃すとは、思えませぬ。」
その言葉は、親長の胸に深く刺さった。――安祥は来ない。だが、来ないからこそ、すべてを見ている。
ここで踏み込めば、安祥は勝つ。踏み込まねば、菅沼が笑う。どちらを選んでも、岩津は削れる。その現実を前に、家老たちは次第に「選択」ではなく「責任」を探し始めていた。
「越境を決めたのが早すぎたのでは。」
「いや、そもそも軍を出すべきではなかった。」
「誰が弥三郎の動きを見逃した。」
「誰が菅沼を侮った。」
声は大きくならない。だが、一つひとつが、刃のように積み重なっていく。親長は、気づいてしまった。
――この軍は、もう一つではない。
兵は川を前に止まっている。だが、家中は、すでに別々の方向へ動き始めている。勝つための議論ではない。負けた後に生き残るための議論だ。
夜、陣に戻った親長は、独り灯明を見つめた。炎は揺れ、芯は短く、油は尽きかけている。昼間と同じ光景。だが、意味は違う。この灯は、軍だ。吹き消えはしない。だが、確実に、弱っている。
親長は、初めて思った。
(敵は、川向こうではない)
敵は、この陣の中にいる。いや――この陣そのものだ。刃は交わらず、血も流れない。だが、岩津松平家は、静かに裂け始めていた。
~参考記事~
【46】戦争と川 / 日本河川協会
https://share.google/Sayz0tODmKQ30iu5e
ロシア軍、夏季攻勢でも渡河に苦戦 練度不足の部隊には攻略難しく / Forbes JAPAN
https://share.google/b0cMjoKKM5yIhPKH3
~舞台背景~
戦争を書こうとしてるのですが、主人公の菅沼家が強くなりすぎてしまって、松平家がなかなか前に出れませんw
そう考えると、長く超大国ロシアのウクライナ侵攻を防いでいるだけでなく、逆にプーチン公邸を91機のドローンで空爆したゼレンスキー大統領って凄いなと思いました。








