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六道輪廻抄 〜 戦国転生記 〜  作者: 条文小説


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57/60

057 ~明応2年(1493年)6月 飯田街道~

挿絵(By みてみん)

トイトブルク森の戦い(Schlacht im Teutoburger Wald)

 紀元9年にゲルマン系ケルスキ族の族長アルミニウスに率いられたゲルマン諸部族軍とローマ帝国の間で行われた戦い。ゲルマン諸部族軍(10,000人)が、ローマ帝国ゲルマニア総督の配下のローマ軍団3個軍団、補助兵6個大隊、騎兵3個中隊(計25,000人)を虐殺し全滅させた。この敗北を聞いたローマ皇帝アウグストゥスは、「ウァルスよ、我が軍団を返せ!」(Quintili Vare, legiones redde!)と宮殿の中を彷徨いながら叫んだといわれている。出典:Wikipedia


〜登場人物〜

松平修理亮親長…松平氏の宗家で岩津城主(岩津松平家)

    ~明応2年(1493年)6月 飯田街道~



 岩津松平の軍勢が動いた、という報は、梅雨の走りに濁った川が音もなく水位を上げるように、奥三河へ広がった。


 数は、二千とも三千とも言われた。真偽はどうでもよい。重要なのは、その軍が田峰城へ向かっているという一点だった。


 菅沼 定忠(さだただ)は、報を聞くや否や、城門を閉ざすことを命じた。


 太鼓が一つ打たれ、続いて二つ、低く湿った音が城内に反響する。城下に散っていた足軽や雑兵が、呼び戻されるように坂を駆け上がり、門前は瞬く間に人と馬で埋まった。


 武具蔵が開かれ、槍と弓が引き出される。弦を張る音、鉄兜を打つ音、濡れた草鞋が石段を叩く音が重なり、田峰城は生き物のようにざわめいた。


 女や子は内曲輪へ移され、井戸の水量が確かめられ、米俵が一俵ずつ数え直されてゆく。


 櫓では矢種が仕分けられ、矢筒が積み上げられた。土塀の傷んだ箇所には新しい土が塗り足され、板塀には楔が打ち込まれる。湿った土の匂いが、初夏の風に乗って城内に満ちた。


 私は本丸に立ち、城の内外を見渡していた。


 霧を含んだ谷風が吹き上げ、遠く飯田街道の先を覆い隠している。その向こうから、やがて敵は現れる。


 田峰城は、息を詰めるようにして、その時を待っていた。



ーーーーー



 ――軍勢は、揃っていた。


 岩津松平家当主・松平 親長(ちかなが)が陣幕を出たとき、谷間の平地には、見渡す限りの陣が広がっていた。旗指物は林のように立ち、槍の穂先は朝靄の中で鈍く光っている。兵の数は、確かにある。三河でも屈指の兵数だ。


 ――だが。


 親長は、足元を見た。道が、なかった。


 正確に言えば、「道はある」。だがそれは、軍が進める道ではなかった。前方に続く山道は、幅が狭く、梅雨でぬかるみ、両脇は崖と森。馬は二列に並べず、荷駄は詰まり、足軽は自然と立ち止まる。


 さらに先――谷を抜けた先にあるはずの矢作川の渡河点には、舟がないという報が届いていた。


「……舟は?」


「見当たりませぬ。渡し守も、村も、皆、引き払っております。」


 親長は歯を噛みしめた。


 川はある。向こう岸も見える。だが、渡れない。兵が増えるほど、事態は悪化した。矢作の水は浅くない。甲冑を着けたままでは流される。裸で渡れば、武器も荷も失う。数百ならともかく、三千は無理だ。


「……迂回は?」


「峠道は大雨で崩れております。通れませぬ。」


 親長は、ようやく理解し始めた。


 ――戦場が、ない。


 菅沼は城に籠って野に出てこない。迎撃の陣も布いていない。ただ、道がない。兵は集めた。旗も立てた。だが、ここから先へ進めぬ以上、これは軍ではない。滞留する群れだ。


 日が昇るにつれ、陣の空気が変わっていく。兵が、動かない。声が、減る。荷駄が、詰まる。水の配分を巡って、小競り合いが起きる。親長は、胸の奥に、冷たいものが落ちるのを感じた。


 ――このままでは、戦う前に崩れる。


 そのときだった。前方の境界地、川沿いの平地に、赤い騎馬隊が現れたという報が入った。


「赤い騎馬隊……赤備えが、出てきた、と。」


「兵数は?」


「……少数。百もおりますまい。」


 親長は、思わず笑いそうになった。


 (百だと?こちらは三千だぞ。)


 だが、次の言葉が、その笑いを凍らせた。


「奴らは、街道の上におります。」


 親長は、はっとした。『街道の上』。渡河点の先。峠へ向かう分岐の要。唯一、軍が進める場所。そこに、敵が立っている。


 城でもなく、野戦でもない。ただ、通行の口に。親長は、気づいてしまった。


 ここで戦えば――


 勝っても、進めない。負ければ、壊滅だ。そして、背後から、もう一つの報が届く。


「……安祥の動きがございます。」


 親長の背筋を、汗が流れた。この軍は前にも進めず、後ろにも戻れず、横にも広がれない。


 ――閉じ込められている。


 兵がいる。だが、戦場がない。親長は、そのとき初めて理解した。これは、合戦ではない。破滅の形をした、静止だ。


 そして、遠く川向こうで――


 艶のある朱塗りの甲冑が、陽を受けて鈍く光るのが見えた。人も馬も余すところなく赤に包まれている。(たてがみ)まで紅く染め抜いたかのような軍馬は歩みを乱さず、蹄音すら整っていた。


 数は多くない。せいぜい数十騎。だが、その一騎一騎が精鋭であることは、遠目にも明らかだった。彼らは急ぐ様子もなく、自軍を見せつけるように、ゆるやかに進んでいた。


 風を受けて翻る赤地の釘抜き紋の旗が、川面に映り、ゆらりと揺れる。その動きは挑発であり、同時に余裕の証でもあった。弓も放たず、鬨の声も上げず、ただ馬を並べ、赤い精鋭たちは飯田街道を堂々と闊歩していた。


――――街道


 街道は単に「移動を速くする道」ではない。それは商業の為と同時に、戦争の為の装置である。街道の軍事的本質は軍が“そこ以外を通れない”ように戦場を固定する装置である。


 軍隊は、食糧、武器、馬、情報を常に必要とする。そのすべてを支えるのが補給線であり、補給線は必ず街道の上に築かれる。街道から外れた瞬間、軍は戦う以前に崩壊へ向かう。ゆえに、街道を支配した者が、戦う場所、戦う時期、そして「戦わない」という選択肢までも支配する。


すべての道はローマに通ず――


 この思想を最も徹底したのがローマ帝国であった。ローマ街道(viae Romanae)は、ローマ帝国の軍事支配の骨格だった。ローマの軍事思想家ウェゲティウスはその著作『軍事概論(Epitoma rei militaris)』で断言する。


「軍は道路・橋・補給線を確保している限りにおいてのみ存在できる。」


 行軍の速さではない。街道の維持と統制こそが、ローマ軍事の核心だった。この原則を最も巧みに運用したのが、英雄ユリウス・カエサルである。彼は進軍のたびに道路を修復し、橋を架け、補給拠点を確保した。敵と戦う前に、まず街道を掌握する。逆に敵を街道網から引き剥がすことが、英雄の戦略だった。


「兵はいるが、動けない。」――それは軍ではない。


 一方、この原則を破ったとき、ローマは致命的な代償を払う。紀元9年、テウトブルク森の戦い。ローマ軍は街道網を外れ、未舗装の森へと踏み込んだ。隊列は崩れ、補給は断たれ、ローマ帝国ライン方面軍、三個軍団2万5千人が虐殺され全滅した。


 歴史家タキトゥスは、この敗北の原因を勇気や指揮ではなく、地形と交通の喪失に求めた。森と沼地は、ローマ軍にとって「戦場ではない場所」だったのだ。


 同じ構図は、カルタゴの名将ハンニバルにも当てはまる。天才ハンニバルは戦えば連戦連勝、戦術ではローマ軍に勝ち続けた。しかしローマは「ローマの盾」と呼ばれるファビウス・マクシムスが独裁官(ディクタトル)に選出されると、徹底的にハンニバルとの決戦を避け、街道、橋、補給都市を押さえ続けた。この知将ファビウスの持久戦略は、天才ハンニバルを「動けるが意味のない存在」へと追い込んだ。


 「勝っても、道を支配できなければ、戦争には勝てない。」この原理は古代ローマだけでなく、急峻な山河により分断された平野を持つ日本の「ここしか通れない」街道でも変わることはない。


 街道とは、軍を導くための道ではない。軍を縛り、戦争の形そのものを決めるための装置である。


ーーーーー



夜は、静かすぎた。


 松平親長は、陣幕の中で独り、灯明を見つめていた。油が減り、芯が短くなり、炎は頼りなく揺れている。昼の喧騒が嘘のようだ。数千の兵がいるとは思えぬほど、陣は沈黙していた。沈黙は、敗北の兆しだ。


 「……道を、塞がれております。」


 昼に聞いた言葉が、何度も胸裏に浮かぶ。


 分かっている。理屈は、理解している。ここで兵を動かせば、負ける。いや、勝っても終わる。


 ――それでも。


 親長の脳裏に浮かんだのは、岩津城の座敷だった。家老たちの顔。一族の視線。そして、菅沼に逃げ込んだ弥三郎の名。


 逃がした。


 それだけで、当主は弱いと見なされる。追って出て、国境で止まり、引き返したとなれば――岩津は、終わる。


 武威とは、勝つことではない。退かぬことだ。親長は、拳を握った。ここで退けば、安祥は笑う。菅沼は(わら)う。何より、家中が割れる。すでに割れかけているのだ。庶子を巡る内紛。誰が正統かという囁き。


 ――越えぬ方が正しい。


 だが、越えねば主でいられぬ。親長は、思い出した。幼い頃、父・信光(のぶみつ)に言われた言葉。


 「当主とはな、道を知る者ではない。踏み越える者だ。」


 その言葉が、今になって牙を剥く。外から、微かな物音がした。見張りの足音。兵の咳。彼らは見ている。当主が、どう決めるかを。


 親長は、立ち上がった。陣幕を出ると、冷たい風が顔を打った。遠く、矢作の川の音が聞こえる。渡れぬはずの川。あの向こうに、敵がいる。百に満たぬ兵で、道に立つ菅沼がいる。


 ――踏み越えれば、地獄だ。だが、踏み越えねば、ここで朽ちる。親長は、声を張った。


「明朝、越える」


 一瞬の沈黙。次いで、ざわめき。誰も、止めなかった。止められなかった。それが、答えだった。親長は、胸の奥で何かが折れる音を聞いた。(ことわり)が、折れたのではない。理を選べぬ自分が、折れたのだ。


 ――当主とは、踏み越える者。その言葉に縋るように、松平修理亮親長は、越えてはならぬ線を選んだ。


 それが、安祥に望まれた一歩であるとも知らずに。

〜参考記事〜

軍事的視点から見たローマの道路網 / 国際交通安全学会

https://share.google/NoljbqLsh40un25IO


バーバリアンズ -若き野望のさだめ- / Netflix

(トイトブルクの森の戦いを描いたドラマ)

https://share.google/fPF3qcbJxpkuLs3BE


イタリアの盾!名将ファビウス・マクシムスはもっと評価されるべき!/俺の世界史ブログ!~世界の歴史とハードボイルドワンダーランド~

https://share.google/ni503s7TZGUKv3Mdo


〜舞台背景〜

 内政回で木綿やお酒を独占して、戦国最強赤備え創設に加えて船まで作っちゃったら、鉄砲なくても…よく言われるなろう小説の難しさ「話が進めば進むほど、ピンチを書き難くなる」に直面してます。私がピンチですwww

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