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六道輪廻抄 〜 戦国転生記 〜  作者: 条文小説


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056 ~明応2年(1493年)4月 田峰城~

挿絵(By みてみん)

岩津松平家いわつまつだいらけとは、室町時代(15世紀)に西三河地方、並びに京畿に進出した松平氏の嫡流。三河松平氏の宗家2代目当主とされる松平泰親が岩津城(岡崎市岩津町)を本拠にしたのに始まる。その後、信光・親長と継承されたが、今川氏の岩津宗家攻撃を受けて衰退し、庶流の安城松平家(徳川家康の系統)が三河各地を略取し惣領化した。その後、安城家の庶流である三木松平家の信孝によって岩津領は押領されたという。出典:Wikipedia


〜登場人物〜

松平弥三郎元芳⋯岩津松平家庶子

    ~明応2年(1493年)4月 田峰城~



 奥三河の山々は、針のような冷気を纏った春の夜の沈黙に包まれていた。だが、その静寂は、真夜中に叩きつけられた急報によって破られることとなる。


 田峯(だみね)城、御台屋敷。


 深夜の物音に目を覚ました私は、乳母のマツに強く抱き寄せられたまま、本丸御殿の広間に連れ出されていた。


 床に下ろされることすら許されず、私はただ小さな体を縮こまらせ、闇の向こうを見つめるしかない。


 数えで三つ。このような刻限に声を上げれば咎められ、寝てなければ怒られる年齢だ。


 だが――。


 広間の中央には、父や祖父、家老衆が揃っている。灯明の火は落とされ、顔の輪郭だけが揺らめく。誰も深夜に叩き起こし、彼らが寝床から引き()り出した3歳児を見ない。いや、見ないふりをしている。


 私の脳裏には、この騒動の意味が不気味なほど鮮明に浮かび上がっていた。


(来たか……。歴史が、回り始めた。)



――――明応の政変 / 明応2年(1493年)4月


 この年は、歴史学上「戦国時代の始まりの年」と定義される。


 明応2年(1493年)4月、畠山基家(はたけやまもといえ)討伐のため河内へ出陣していた室町幕府将軍・足利 義材(よしき)が不在となったその隙を突き、管領細川政元は京都で兵を挙げた。


 将軍を支えるはずの家臣が、主君を廃し、別の将軍を擁立する――それは単なる政争ではなく、秩序そのものを覆す行為だった。


 こうして義材は将軍の座を追われ、代わって足利 義澄(よしずみ)が立てられる。これが「明応の政変」である。


 この事件の本質は、家臣によって将軍が討たれ、廃立されたという一点に留まらない。室町幕府という体制が、もはや「血統」や「正統性」ではなく、武力と政治力によって左右される存在へと変質した瞬間だった。下の者が上を倒す――下剋上が、前例ではなく現実の政治手段として成立したのである。


 都で起きたこの政変は、遠く離れた地方にも確実に波紋を広げた。将軍権威の失墜は、守護大名の統制力を弱め、国人や地侍たちに「中央はもはや絶対ではない」という認識を与える。三河のような中規模国においても、それは無縁ではなかった。将軍か管領か、六角か細川か畠山か、誰に従うべきか、どの権威が正しいのか――その判断を、もはや都は示してくれない。


 結果として、地方では自立と抗争が加速する。主家への忠誠よりも、一族と土地を守る現実的判断が優先されるようになる。明応の政変は、全国の武士たちに「この世は力で決まる」という冷厳な教訓を突きつけたのだ。


 応仁元年(1467年)の「応仁の乱」が“戦乱の長期化”であったとすれば、「明応の政変」は“価値観の転換”であった。将軍は絶対ではなく、幕府は不可侵ではない。その理解が、静かに、しかし確実に全国へと浸透していく。


 1493年――それは、戦国時代が名実ともに始まった年であり、三河を含む日本列島全体が、もはや元には戻れぬ流れへと踏み出した瞬間だったのである。



ーーーーー



 広間の中央には、泥と血にまみれた武者たちが肩で息をしている。その中心にいる男――松平弥三郎元芳は、憔悴しきった表情で板の間に手をついていた。


 西三河の雄・松平家、その惣領家である岩津松平家の庶子。本来なら、田舎の菅沼家の者たちが気安く言葉を交わせる相手ではない。だが今、彼は「逆賊」として追われる身となり、この奥三河の山城に転がり込んできたのだ。


「――某の首、預かってほしい。」


 弥三郎の声は、枯れていたが、芯には悲壮な決意が宿っていた。その言葉が落ちた瞬間、広間の空気が凍りついた。


「返すも、使うも、捨てるも、そなた次第だ。だが……妻子だけは。妻子だけは助けて頂きたい。」


 額を床に擦り付ける弥三郎。その背後では、幼子を抱いた正室が震えながら平伏している。


 その光景を前に、田峯菅沼家当主――私の父、菅沼大膳大夫 定忠(さだただ)は、腕を組んだまま沈黙を守っていた。


 父の横には、隠居したとはいえ未だ絶大な発言力を持つ祖父、菅沼刑部少輔定信の姿もある。祖父の眼光は鋭く、弥三郎を値踏みするように細められていた。


 家中は動揺していた。


 家老の本多作左衛門が、青ざめた顔で父に耳打ちする。


「殿、これはなりませぬ。岩津松平家は西三河の覇者。その怒りを買えば、この田峯などひとたまりもありませぬ。」


「左様! ここは即座に弥三郎殿の首を刎ね、岩津へ差し出すべきです。さすれば恩を売れましょう。」


 別の家老、渡辺与右衛門も追従する。


 当然の判断だ。


 岩津松平家は一昨年の叔父・菅沼貞行との合戦で敗戦を喫したとはいえ、依然として三河で最大級の勢力を誇っている。


 対する我ら菅沼は、奥三河の小規模な国人領主に過ぎない。関われば滅ぶ。それが「常識」だ。だが、私の見立ては違っていた。


(ここで弥三郎を見捨てれば、菅沼は生き残れるかもしれない。だが、それは「岩津の下僕」としてだ。安祥松平が台頭しつつある今、岩津に媚びるだけでは、いずれ両者の争いに巻き込まれてすり潰される)


 乱世において、最も危険なのは「敵」になることではない。「利用価値のない弱者」と見なされることだ。


 弥三郎を受け入れれば、岩津とは敵対する。安祥松平からも目をつけられるだろう。しかし、それは同時に、菅沼が三河のパワーゲームにおける当事者(プレイヤー)の座に就くことを意味していた。


 父、定忠がゆっくりと口を開いた。


「……弥三郎殿。」


「は。」


「貴殿を受け入れれば、我らは岩津松平数千の軍勢を敵に回すことになる。それは分かっておいでか。」


「承知している……。故に、某の首を差し出せと言うておる。首があれば、岩津も鉾を収めよう。」


「ふん。」


 父は鼻を鳴らし、立ち上がった。その細身が、揺らめく灯明の影を大きく壁に映し出す。父・定忠は西郷家や奥平家との婚姻を通じて奥三河の地盤を固めてきた、内政の男だ。


 その父が、損得の天秤をどう傾けるか。私は息を呑んで見守った。


「菅沼は、人を売る家ではない。」


 短く、重い言葉だった。


 家老たちが息を呑む。


「と、殿!? 正気でございますか!」


「黙れ。」


 父は一喝すると、信実を見下ろして言った。


「首を差し出せば、岩津は喜ぼう。だが、世間はどう見る?『菅沼は窮鳥を殺し、強者に媚びた』と嘲笑うだろう。一度地に落ちた家名は、二度と戻らぬ。」


「し、しかし……!」


「それに⋯」


 父の目が、不敵に光った。


「岩津は今、内紛で揺れている。安祥松平との対立も深まるばかりだ。奴らに、奥三河の山々を越えてまで我らを攻める余力があるか? ……賭ける価値はある。」


(父上……!)


 私はマツの腕の中で、思わず小さく拳を握った。


 それは狂気の沙汰とも言える賭けだった。だが、これからの乱世で「正解」を選び続けるだけでは、ジリ貧になるだけだ。時に、破滅の縁を歩くような決断こそが、血路を開く。


 祖父、定信がニヤリと笑った。


「言うようになったな、定忠。……よかろう。わしの築いたこの田峯城、そう易々と抜かれるような柔な城ではないわ。」


 父は弥三郎に向き直り、力強く告げた。


「松平弥三郎元芳殿。貴殿とその妻子、この菅沼大膳大夫定忠が預かる。……安心なされよ。この田峯にいる限り、指一本触れさせぬ。」


 弥三郎は目を見開き、やがて滂沱の涙を流しながら、何度も何度も頭を下げた。


「かたじけない……! かたじけない……!」


 その慟哭が、冷え切った広間に響き渡る。


 だが、感動的な場面の裏で、家老たちの目には濃い不満の色が浮かんでいた。当然だ。明日から、彼らの領地も命も、岩津松平という巨大な敵に晒されることになる。


 しかし父が下した賽は投げられた。


 菅沼の、そして私の、本当の「戦国」が始まった。

〜参考記事〜

地方別武将家一覧/田中 豊茂(家紋World)

http://www2.harimaya.com/


〜舞台背景〜

 醸造、造船と内政の話が続いたので、久しぶりに雰囲気の変わる外交、戦争の回です。故事成語「呉越同舟」もどきのプロットです。仲の悪い岩津松平家と、共通の敵・安祥松平家のため一時的に手を組む的なイメージです。

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― 新着の感想 ―
お、主人公サイド動き出しましたな。子供は洗脳コースかなあ。
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