052 ~明応元年(1492年)11月 岡崎宿~
北前船(小浜の写真師 井田米蔵が明治期に撮影)
井田家旧蔵古写真 福井県立若狭歴史博物館
出典:動く総合商社 北前船 / 輪島市
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~明応元年(1492年)11月 岡崎宿~
奥三河の山の匂いは、矢作川を下る船団の船肌に秋の冷たさを纏わせていた。
船に乗るのは、岡崎舟座での船造りに向かう山地師たち。皆、鳳来寺山の木を知り尽くした腕前ながら「船」は未経験で胸の底に小さな不安を抱えていた。
ただ一人、幼い権六だけが楽しげだ。景色ではなく、水の色、泡の切れ目、返し波の肩、踏み板に伝わる揺れ——船底に写る水の呼吸を飽かず見続けている。
「ここは航をもう一分反らせると首が軽い。」
少年の独り言に、周りの山地師たちが苦笑する。
「権六が川と話してやがる。」
権六は帆脚の結びを変え、小帆に湿った風を抱かせる。
「よし、木綿はいい帆になる。」
利兵衛の船団は津具の豪商の名に違わぬ大きさだった。舟には四斗樽がいくつも積まれ、帆布用の木綿俵は舟べりを越えて積み増され、矢作川の白靄が晴れるほどに舟影が増え、瀬の音が下がると、帆の音がかすかに高まる。山地師たちは新しい仕事への不安と、未知の水先の確かさが、同じ胸で押し合っていた。
微かな潮の香りと共に岡崎が近づくと川幅が開け、鈍い青灰の面に家並みが映る。船団は矢作川の弛みに乗って岡崎の船小屋の並ぶ斜面へ寄せられた。
矢作川べりに連なる船小屋に、山の湿りと松脂の匂いがまじる。梁からすみつぼが揺れ、壁には曲尺や片鍔鑿が影をつくっていた。
迎えたのは岡崎の船大工頭・安兵衛。日焼けした頬に笑い皺こそ刻まれているが、その笑みは目の奥まで届いてはいない。
「ようこそ。船座の沙汰は聞いとる。」
安兵衛は打ち抜き鑿を持った手を離さず近づいてきた。
「山の木と川の水の話ができる男たちだと聞いとる。山地師も連れてきなすったか。」
「木綿もある。」
利兵衛は俵を示す。
「風を帆に変える相談も、できれば。」
お互いに言葉は柔らかい。しかし土間の空気は、互いの手の温度を測るように薄く張りつめている。
迎えの船大工たちは礼を失しないが、手は止めない。山地師の視線は木口の年輪を追い、船大工の視線は板の合わせ目を外さない。「見ろ」、「触るな」とまぶたが告げる。
山の者たちは木表と木裏の癖を読み、曲げの支点に敏い。船大工は水の手で板を合わせ、水を止めるための一手を百通り持っている。どちらも長い年季で身につけた「手」で、口にするより先に体が先に出る種類のものだ。
船小屋の奥では別の大工たちが船底の航に根棚を取り付けていた。胴航の先端では水押が立ち、艫には幅広の戸立が組まれる。中棚を起こし、中船梁を渡す手つきは淀みない。
山地師の若い者が、棚板のねじれを抑える突っかい棒の位置について口を開いた。
「ここ、もう一寸前で当てれば戻りが楽で…。」
「うちはこうだ。」
年上の大工が短く遮り、楔を叩いて終わらせる。声は荒くはない。
だが「学ぶなら見て盗め、口を挟むな」と言外に告げている。
権六は道具棚に目をやる。油紙を解けば合い刃摺り鋸。片刃の鼻丸。山では使わぬ刃だ。
「これが合い刃摺りか。」
安兵衛は頷く。
「水を止める要じゃ。板を擦り合わせ、鋸一枚の隙に整える。」
「山では板目を読んで反らすが、この擦り合わせはやらん。木殺しは?」
「もちろん。」
安兵衛は敷板の端を軽く叩く。
「川に入れば膨れて目地は閉じる。」
言葉は交わるが、寸のやりとりになるといきなり霧がかかる。権六が「舳のつりふじの起こしはどの辺?」と問えば、「川筋で変える」と返るだけ。
若い大工がもじを揉み込む角度を聞かれ、笑って「手が教える」と肩をすくめる。山地師に「木裏を内にするのか」と聞かれ、船大工は「材が言う」とだけ答えた。核心を避け、奥の間へは通さない。
昼前、板の反りを合わせる場面で、山地師の一人が「この板、年輪が荒い。日陰の材に替えた方が…」と提案した。年配の船大工はちらと見て、「水の上で暴れるかどうかはこっちの加減で決まる」と言い、はだ縄を打ち込んで釘を進める。
山の者の顔にわずかな不満の影。船の者の口元に、わずかな意地の笑み。どちらも露骨にはならないが、土間の温度が半刻ごとに一分ずつ下がるような気配があった。
午後、帆柱の筒挟みを立てる段になって、権六は帆桁の撓みを指で測り言った。
「木綿なら、もう一分逃がしてやった方が。」
「海の風は解っとる。」
若い大工が反射的にと強めに返す。安兵衛がその若者を目で制し、
「…まあ、やってみる価値はある。」
穏やかに取りなしたが、取りなしの語尾には疲れが滲んだ。
「奥三河の山地師と一緒に作れ、教え合え。」
船座の今井屋清七が顔を出し、船を教えろと言い置いて去っていったのは半月前のことだ。命には逆らえぬ。
だが、何十年と積み重ねた勘どころは、命令一つで机に並べられる種類の品ではない。見せるなら恥をかかぬものを、教えるなら間違いのないものを——そう身構えるほど、手は小さくまとまり、言葉は濁る。
墨壺の糸が弾かれ、黒い線が棚板に一本通る。山の若者がスミサシで延長を探ると、年配の大工が「その角度は川で怖い」と言い、指先で糸をずらす。
ずらした理由は言わない。木口の繊維の逃げについて問われると、船大工は「耳で聞け」とだけ言って木口を爪で弾いた。ぱつ、と乾いた音。聞ける者には聞こえる。聞こえぬ者には何も残らない。
その日の終わりがけ、輪木の上の船体は形を増したが、土間の空気はすり合わせの鋸身のように薄く張りつめたままだった。道具の音は途切れがちになり、若者たちの笑い声は出ない。山地師の肩は強張り、船大工の肩もまた強張る。船大工の背中が「踏み込みすぎるな」と言っている。
気まずい沈黙が土間を満たす。墨の匂い、油の匂い、乾ききらぬ木の匂いが重なって、重く鼻に残る。誰かが外の川を見に戸口へ立つ。夕映えの水が鈍く光り、風が一筋、小屋の中の鋸屑を揺らして過ぎた。
そのとき、縄の擦れる音、重いものが土間の板をわずかに沈める気配。振り向くと、利兵衛が、縄を十文字に掛けた四斗樽を土間に運び込ませていた。ずしん、と梁がびりと鳴る。
「お晩だな、名工衆。」
利兵衛は息も切らさず笑い、樽の胴に足を添えた。その笑みには、土間の冷えた空気など意に介さぬ温度があった。山地師も船大工も、一瞬同じ顔をする。驚きと警戒と、わずかな好奇心。
安兵衛は立ち上がり、無言で一歩前へ出る。張りつめていた糸が、次の瞬間にどう振れるか——誰もが息を潜めた。
利兵衛のつま先が、樽の縄をぐいと押した。蓋板がかすかに鳴る。土間の空気が、金属の匂いをまだ知らぬまま、わずかに揺れた。次の瞬間に起こることを、誰も知らない顔で待っていた。
四斗樽の胴をぐいと押す。蓋が跳ね、藁束の間から和紙と桐箱が滑り出た。次の瞬間、金の光が土間を走る。
薄く延ばした金板の束、鹿革の金嚢が口をほどいて、砂金がさらさらと鉋屑に降り注いだ。
「お、おい……金だぞ!」
若い船大工が声を裏返す。ひと束を持ち上げた手が沈む。
「重てえ……百両はあるぞ、これ!」
奥で木槌を止めた年寄りも思わず立ち上がり、目を剥いた。
「樽ごと砂金か……。」
利兵衛は鼻で笑い、金板を一枚、指で弾いて高い音を梁へ跳ね返す。
「秘伝だ? 見て覚えろ? くだらん。言えぬなら、技なんぞ買ってやる。見せろ。真似させろ。真似られたら、また先へ行け。これが根羽のやり方だ。」
安兵衛が渋面で前に出る。
「口で渡せば水が止まるなら苦労はせん。『すり合わせ』も『木殺し』も手が覚えねば漏れる。漏れたら客は川に沈む。」
利兵衛は鹿革袋をひとつ藤兵衛に放る。
「砂金五十両。そこの金板の束は百両。見えるだけで三千両はある。四斗樽いっぱい詰めりゃ何万両も入るが、人の足で蹴飛ばせる重さじゃねえ。今日は挨拶代わりの手付だ。」
土間がざわめく。
「三千両だと……。」
「城下がひっくり返る額だ……。」
若い者が金嚢に触れて手を引っ込め、年寄りは膝をついたまま唾を飲む。すみつぼの糸が震え、合い刃摺り鋸の刃に金の反射が走った。
利兵衛は肩をすくめる。「言葉で示せぬなら、手で示せ。今日ここで見せた手は、明日には敵も見る。ならば今日のうちに一つ先へ進め。」
安兵衛はしばし金嚢を見つめ、やがて鋸の柄を握り直した。
「……見せよう。そのかわり、真似られた先で、さらに先へ行く。」
利兵衛は満足げにうなずき、空いた樽を壁際へ蹴る。砂金のさらさらという音がまだ土間に残る中、船大工たちは驚きと欲と悔しさを顔に混ぜ合わせ、道具へと手を伸ばした。
金の光が墨筋の上で揺れる。その向こうで、矢作の水音が確かに強くなった。
〜参考記事〜
和船の技術と鎖国の常識/安達 裕之
ミツカン 水の文化センター
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とやまの海と船 /日本海学推進機構
https://share.google/HxO2GkiRogoT2suAN
〜舞台背景〜
今度は船大工達にざまーの回です。と、色々…ググってて2026年一番衝撃だったのが、東京大学(工学部船舶工学)安達裕之教授の「和船」考察「日本人の『西洋船の方が良い』は思い込み。」です。(〜参考記事〜参照)
なろう系でも、未来技術で作った西洋船の主人公が和船の戦国武将をボコボコにする筋書をよく読んだので、私も和船が南蛮船に劣ってると錯覚してましたが、「海難発生率は和船の3%に対して西洋船4%と、西洋船の方が高い。」「西洋船の耐用年数が20年であるのに、和船は30年使用されるケースも珍しくない。」「和船は風上に切りあがれないということも事実ではない。」と要は遠洋、近海の用途の違いと仰ってました。








