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六道輪廻抄 〜 戦国転生記 〜  作者: 条文小説


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51/54

051 ~明応元年(1492年)10月 岡崎宿~

挿絵(By みてみん)

帆走する北前船(小浜の写真師 井田米蔵が明治期に撮影)

井田家旧蔵古写真 福井県立若狭歴史博物館

出典:動く総合商社 北前船 / 輪島市

https://share.google/s4mIeS0JtkTwDCkKV

    ~明応元年(1492年)10月 岡崎宿~



 清酒「紫乃」が、酒座の(ことわり)を静かに侵食し始めたその頃、廻船問屋・今井屋清七の奥座敷に、岡崎船座の主だった問屋や船主たちが顔を揃えていた。


 彼らはすでに承知していた。船座もまた酒座と歩調を合わせ、奥三河から流れ込む酒「紫乃」を水際で抑え込もうとしたこと。そして、その目論見が失敗に終わったばかりか、刃を抜いた側が返り討ちに遭い、血の始末すら付けられずに終わったことを。


 問題は、負けたことではない。――負け方、であった。


 市中で起きた刃沙汰は、もはや酒座の内輪事では済まされぬ。まして背後に本證寺を控える岡崎である。この一件が、伊丹屋宗伯の口から寺へ渡ればどうなるか――


 「船座の者が、刃沙汰に加担した。」


 そう告げられた瞬間、船座の立場は根底から揺らぐ。彼らは待っていた。叱責か、条件か、それとも見せしめか。宗伯が何を持ち込んでくるのか、誰一人として読めずにいた。


 やがて、戸が開いた。噂に聞く豪商の風体ではなかった。身なりは控えめで、派手さも威圧もない。勝ち誇る気配すらなく、まるで用向きのついでに立ち寄ったかのような足取りで、宗伯は静かに座へと進んだ。


 深く一礼し、無言で座に就く。しばらく、誰も口を開かなかった。沈黙を破ったのは、宗伯だった。


 「此度の件、水の上にまで波立ててしまったこと、詫び申し上げる。」


 誰も、「お前のせいだ。」とは言わなかった。


 誰も、「酒座が悪い。」とも言わなかった。


 今井屋清七が、静かに問う。


 「詫び、とは。」


 宗伯は顔を上げた。


 「酒座の内で済ませるべき事を、市の外へ持ち出しました。舟に乗る前の荷に、血の匂いを付けた。」


 その言い回しに、数名が眉をひそめる。宗伯は構わず続けた。


 「刃を抜いたのは酒座です。しかし、刃を出させたのは、こちらの未熟。刃を向けられたこと自体は、咎めません。過去の件として、水に流しましょう。」


 ざわり、と空気が揺れた。それは譲歩ではない。前提条件の提示だった。今井屋清七は、初めて宗伯を正面から見据えた。


 「ただし――」


 宗伯は、そこで言葉を切る。


 「代わりに、奥三河の商人たちを、船座の仲間として迎えていただきたい。」


 今井屋清七の眉が、わずかに動いた。


 奥三河――これまで岡崎の酒座・問屋機構の外縁に置かれ、原料供給地としてのみ扱われてきた土地である。そこを水運の主体に組み込む発想は、既存の座的秩序を内側から揺るがすものだった。


 「さらに――」


 宗伯は言葉の代わりに、小さな包みを取り出し、卓上に置いた。中には、"鳳来寺山の奇才"権六が考案した新たな舟の絵図が収められていた。


 矢作川の浅瀬を抜け、河口を越え、内湾を回る。喫水が浅く、それでいて木綿の帆と櫓を併用できる構造。


 「新しい舟を、共に造りたい。銭は手前どもで負担します。人も出す。木材も、帆布――すなわち木綿も提供いたします。」


 ここで、船座の者たちははっきり理解した。これは単なる和解ではない。流通構造そのものの再設計案である。


 「そして、最後に」


 宗伯は静かに告げた。


 「木綿と酒――この二つの商品を、これまでの座を通さず、船座に直接卸したい。」


 沈黙が落ちた。今井屋清七は、ようやく悟った。宗伯が提示しているのは、「運賃積み」から「買積み」への転換だった。


 これまで船座は、荷を預かり、指定された港へ運ぶ存在に過ぎなかった。利は運賃に限られ、商いの果実はすべて荷主のものである。だが宗伯の提案は違う。


 ――船主自らが荷主となる。

 ――商品を買い取り、寄港地で売る。

 ――相場を握る者が、流通を制する。


 それは、後の世に「北前船」と呼ばれる経営形態の原型だった。


 確かに危うい。海難も、相場の変動も、すべて船主の責となる。だが、得られる利は、これまでとは桁が違う。


 酒座は強い。だが酒しか扱えぬ。しかし水運は違う。酒も、木綿も、米も、人も運ぶ。もし船座が、単なる運送請負から、市場を渡り歩く商業主体へと転じたなら――岡崎のみならず、三河、ひいては「日の本」の物流秩序そのものが組み替えられる。


 今井屋清七は、座中を見回した。怒りはない。恐怖もない。そこにあったのは、ただ冷静な計算だった。


 「……一つだけ聞こう。」


 清七が言う。


 「これは、脅しか」


 宗伯は、静かに首を振った。


 「選択です。水の道を、これまでの座に従属させるか。それとも、水自身の(ことわり)で動かすか。」


 今井屋清七はしばし黙考し、やがて告げた。


 「……寄合は、続けよう。」


 この密談を境に、矢作川と伊勢湾の流通は、確かに向きを変え始めた。



――――北前船


 北前船とは、特定の船型でもなければ、固定された航路の名称でもない。それはむしろ、史実の江戸期の海上世界において成立した、ひとつの経営原理、あるいは商業行動の様式を指す呼称であった。


 その核心にあったのが、「買積かいつみ」という手法である。買積とは、荷主から商品を預かって運賃を得る「運賃積」とは異なり、積荷そのものを船主が自己資本で買い取る経営形態をいう。船は単なる輸送手段ではなく、移動する商業主体となる。


 何を積むか、どこで売るか、どの港を目指すか――そのすべてを決定するのは、船主自身であった。この点において北前船は、きわめて市場原理に忠実である。


 価格差があれば利益が出る。相場を誤れば、破滅する。ゆえに「買積」は、常にハイリスク・ハイリターンであった。海難事故が起これば、損失はすべて船主が負う。市況が急変すれば、積荷は一夜にして不良資産となる。「運賃積」船に見られるような、荷主との協同海損、すなわちリスク分散の仕組みは存在しない。


 それでも人々は皆、北前船に乗った。


 なぜか。理由は単純である。当たれば、利益が桁違いだったからだ。大坂と蝦夷地を一往復する一航海で、千両、今日の貨幣価値に換算すれば、一億円に相当する利益を得ることが出来た。


 もっと重要なのは、農民が一生かけても手にできぬ額を、ひと夏の航海で得る「夢」が船主だけのものではなかった点にある。


 北前船では、船頭や三役のみならず、一般の水主に至るまで、利益配分の仕組みが存在した。船頭には「帆待ち稼ぎ」と呼ばれる自己積荷が認められ、船主の積荷の一部とは別に、自らの商いを行う余地が与えられていた。さらに乗組員全体に対しても、「切出」と呼ばれる歩合分配が行われた。


 つまり北前船とは、船全体がひとつの共同経営体であり、成功すれば全員が潤う構造を持っていたのである。

 このため、北前船は単なる海運業ではなく、身分秩序を横断する上昇回路として機能した。


 武士が頂点に立つ近世封建社会において、才覚と胆力さえあれば、庶民が巨万の富を手にする可能性がある――この逆転性こそが、北前船を「夢の商売」たらしめた。


 勿論、この夢が個人の冒険として成立していたわけではない点は忘れてはならない。


 買積という高リスク経営を支えたのは、船主個人の才覚だけではなかった。そこには必ず、座的・仲間的バックアップが存在する。尾州廻船における戎講(えびすこう)のように、船主たちは講組織を形成し、航路の安全、紛争処理、資金繰り、情報共有を共同で担った。

 一船主では背負いきれぬリスクを、共同体として引き受ける仕組みがあったからこそ、買積という無謀にも見える経営形態が、継続的に成立し得たのである。


 だからこそ人々は、危険を承知で海に乗った。だからこそ日本海沿岸には、無数の遭難記録が残され、同時に無数の成功譚も語り継がれた。


 北前船とは、船の名ではない。それは、海に賭けるという選択そのものの名であった。

〜参考記事〜

動く総合商社 北前船 / 輪島市

https://share.google/s4mIeS0JtkTwDCkKV


江戸後期三大航海圏と商いの世界/斎藤 善之

提供元: ミツカン 水の文化センター

https://share.google/7ODCYXUjDVvQBxhPL


〜舞台背景〜

 今回は、岡崎の舟座に乗り込んでざまーの回です。で、舟をググりだしたら、海運史もさることながら、船の構造と歴史の奥深さに…びっくりですw


 面白かった記事のリンクを貼っておきましたので、もし良かったらご覧下さい♪

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― 新着の感想 ―
佐渡に北前船一隻丸ごと復元博物館があって、命懸けて乗るか?つうと怖いなあと。中をみたら、木材は立派で、儲かるからこそな雰囲気でしたが
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