005 〜延徳2年(1490年)10月 筒井八幡社〜
〜延徳2年(1490年)10月 筒井八幡社〜
「これが、田峯の……若君か」
与次右衛門にわたしは頷いた。
「きょうは…やっかいをかける。」
周囲がどよめく。赤子が言葉を返したからだ。
だが、与次右衛門の眉は動かない。
「……この子は、山に何を求めておられる」
まるで問答のように。
わたしは一呼吸置いて言った。
「やまの……いのち。かみさまの……おすそわけ」
沈黙のあと、与次右衛門の顔がほころんだ。
「ほう……仏の子とは聞いていたが、これは山の子じゃな」
その声に、周囲の木地師たちのどよめきが、ざわめきに変わって少し場が和んだ。
この時、わたしは確信した――狙いは当たった。
その後、筒井八幡社での祈祷のため、石段を登り切ると境内には人々の熱が渦を巻いていた。香の煙の中で太鼓が地を打ち、笛が泣く。焚かれた大釜の湯が沸き立ち、湯気が空を覆う。
大きく造られた祭壇には山の恵みが盛られた漆器が供えられ人々が舞っていた。笛や太鼓の音が波のように寄せては返している境内を進む。
(そうか、これが…花か…)
煌々と灯されている拝殿の中に通されたので、マツの腕から降り立ち、板の間に額を擦りつける名主達を見渡す。
「本日はお越しくださり、かたじけのうございます」
村長の藤兵衛が口上を述べる。言葉は整っているのによくよく見ると、どこか訪問の目的を探る様なが感じられるのは気のせいだろうか。
秋の風が入るのに、脂汗がこめかみを伝い、平服の背に濃い色の筋を描いていた。
右近が藤兵衛や取り巻く島田村の名主達の緊張を特に気にかけるでもなく告げる。
「先触れのとおり、竹千代様が祭りを見てみたいと仰せで参った。厄介をかける」
藤兵衛は少し安堵の色を見せて息を吐いた。
「いえ何も無い村ゆえ、さしたるもてなしもございませんが、ごゆるりと……」
暫くの間、藤兵衛の花祭りの講釈に耳を傾けていたが、話のきりのいい頃合いで視線を横に滑らせて少し離れて静かに頭を垂れている与次右衛門に尋ねた。
「そういえばこのあたりで……しいたけをみかけなんだか?」
その瞬間、藤兵衛の肩がぴくりと跳ねた。平伏している他の名主達も固まった。
(ああ…そうか解ったぞ…抜いたな…島田村の衆。)
流石に場の雰囲気の異様さを感じ取ったのであろう、彦兵衛、与五郎、孫右衛門、右近らが刀の鍔に指をかけた。
「竹千代様。もしかして夏の山崩れの折に見つけた場所のことを仰せですかな。その時は、確か…藤兵衛殿に何かが沢山生えとると場所をお伝えした様な…。」
何か勘付いたのであろう与次右衛門が静かに顔を上げながら答えた。
確かに茸の判別は素人には簡単ではないだろうが、森の民が『何か』という事はないだろう。なんなら島田村より稼いだであろう与次右衛門が早々に無関係の立ち位置の確保に掛かっていた。
社殿の空気が一段冷えたように感じた。
勿論、厳密には与次右衛門ら山地師は菅沼家の領民ではない。初穂料と称される年貢を筒井八幡宮に納める八幡宮の氏子なので椎茸の群生地を菅沼家に報告する義務も無い。
しかし藤兵衛は違う。決して少なくない…いやむしろ巨額であろう脱税は噂が立っただけでも首切り案件だ。…それも物理的に。
藤兵衛が膝を直し、ぎこちなく笑った。
「確かに、与次右衛門より何か生えているという場所の話は伺いました。されど、わたくし共が改めて探しましたところ、見当たらず……野のものは足が早いようで…」
言いながら、藤兵衛は私の顔を、針の穴を探すように凝視する。
鍔に指をかけている彦兵衛、与五郎、孫右衛門、右近らの目もあるからか、藤兵衛の背の汗跡はさらに広がり、衣の布目まで暗く染めていた。
笛が一息で途切れ、社の外で子らの笑いが弾けた。
(大丈夫だ藤兵衛、彦兵衛らは事情が解っていないので刀が抜かれる事はないだろう…多分。)
私は頷き、無垢な幼児の微笑を貼りつける。
「まぁ良い…ならば、改めて案内を頼もう。日が暮れぬうちに」
そう言うと、藤兵衛の喉仏がごくりと上下した。
そういえば…年貢納めの場で勘定方の兵庫が島田村の台帳に眉をひそめ、「何かおかしい」と首をかしげていた。
証は出ず、兵庫は藤兵衛をねちねち責めて手を引いたが…
今なら解る、兵庫の違和感は椎茸だ。年貢帳に臨時収入を記載しなかったのだ。
やるじゃないか兵庫…胸の底で静かに得心した。
祭りの煙がたなびく筒井八幡社を後にしたのは、まだ日の登る前の昼すぎだった。遠く鶏の声も聞こえる。
〜延徳2年(1490年)10月 鳳来寺山〜
私は彦兵衛、与五郎、孫右衛門を供を連れ、端からの見た目には″連れられて″藤兵衛と与次右衛門ら山師の案内で山へ入った。
彼ら特に藤兵衛は何も喋らず、葉を踏む音だけが続いた。
「ここが、何かがようけ生えとった場所でございます。」
与次右衛門が指差したのは、北向きの斜面だった。
欅や楢の立ち並ぶ林。地面は落ち葉に覆われ、夜露が玉のように光る。谷川が近くを流れ、絶えず湿り気を保っている。
私は足元の苔につまみ、湿度と温度を確かめた。――理想的だ。
勿論、目当ての藤兵衛と与次右衛門が『何か』と言い張るものは見当たらない。
落ち葉を払いのけると朽ちた櫟の切り株が見つかった。
「ここだ。」
私は木肌を指先でなぞり、表面に残る黒い輪の跡を見つけた。
――かつてその『何か』…もういいや…椎茸が群れていた痕だ。
「ここの木は櫟か?」
与次右衛門に問うと、流石は山地師、さらりと答える。
「はい、椎と樫が混じっとります。陽当たりは悪いが、霧がよう出る土地でして。」
この湿度、温度、そして木の種類。この山は、椎茸が自然に育つ環境条件を備えていた。
「藤兵衛。」
「は、はい。」
「この辺りで、まだ生えたままの椎茸を探せ。1つ2つなら必ず見つかる。そして触る事なく採らずに城の私に直接報告しろ。」
「竹千代様に直接でございますか?」
そういう藤兵衛の顔から田峰城には近付きたくない思いがありありと見て取れる。
「藤兵衛が来なくとも使いを遣れば良い。そしてその者は力は要らぬ、几帳面で賢い者が良い。そういった者を何人か私に預けてくれぬか」
「村からご奉公に出すと言うことだけなら、問題ございませぬが…」
藤兵衛が言い終わらぬうちに、私を抱かせている与次右衛門を見上げて指示を出す。
「直ぐに、ここに山の恵みを祀る“祠”を建てる。
清めのため総檜造りとせよ。木は乾かさず切り出したままが良い。そしてそうだな…年末には櫟を切り出したい、年末に人手を出してくれ。」
在来菌の培養の肝である無菌操作にどこまで効果があるか未知数だが、天然素材としては最高である、檜の黴/菌/ウイルス対する除去率99.9%に期待したい。
「それくらい造作も無いことですが…全て檜となるとそれなりに…」
与次右衛門が条件次第でならと、事実上の承諾をしてくれたので、藤兵衛に振り返り、指示を出す。
「藤兵衛、これから村に戻り次第、与次右衛門の言い値を直ぐ用意せよ。」
「えっ!手前共が与次右衛門殿にお支払いするので?」
子供の我儘なお遊びの手当ては当然に菅沼家持ちだと思っていた藤兵衛が素頓狂な声を上げた。
やはり…藤兵衛、まだ幼児相手と舐めている。
私は藤兵衛に何をしたのか思い出させるため声を落とし、藤兵衛に囁いた。
「そういえば勘定方の幸田兵庫が祭りに顔を出して、村をじっくり見て廻りたいと申しておった。」
藤兵衛の背がびくりと動いた。
「こ、幸田様が……?」
「兵庫は今は色々やる事があろうと思って、今回は連れてこなんだが…何か困ることでも?」
藤兵衛は一瞬だけ息を止めたが、
「いえ…困ることなぞ、なにも……幸田様はお忙しいかと思い…。」
いや、困るどころではない筈だ。兵庫がその気になって調べ出したら、名主達は田峰城の仕置場で物理的な説教を受けた後…いずれ島田村も地図から消えるだろう。
「わっ、わかりました。お任せくだされませ。銭も人も手前共ですべてご用意させてます。」
藤兵衛は冷や汗を拭いながら、深く頭を下げた。
「それでよい。その他にも頼みたい物があるが、まず与次右衛門への支払いを急げ。遅れると兵庫が顔を出すかもしれぬぞ」
翌日…笛や太鼓の音に檜を切り出す音が加わった。
〜参考記事〜
尾鷲ヒノキ効果パンフレット/尾鷲市水産農林課
https://www.city.owase.lg.jp/0000009395.html
〜参考文献〜
自宅で楽しむ原木椎茸栽培、収獲編Kindle版/平野浩太郎
初心者のためのキノコ栽培 Kindle版/Georges Charette
〜物語設定〜
第5話では、逆行転生物テンプレの椎茸栽培の準備が本格的に整います。因みに奥三河地方は総生産量こそ全国ランク入りしてませんが、愛知県新城市のふるさと納税の返礼品が椎茸だったりする程度には椎茸の一大産地です。また物語のオリジナリティを出した点としては村人達が天然椎茸を着服していた前科を作り、今後、島田村が主人公の無限ATMになる設定にしました。
後半では3話末尾で幸田兵庫が抱いた島田村の年貢量の疑念という伏線を、原因は椎茸の脱税だったという形で回収しました。




