表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
六道輪廻抄 〜 戦国転生記 〜  作者: 条文小説


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

49/55

049 ~明応元年(1492年)10月 本證寺~

挿絵(By みてみん)

杉玉(酒林)

作成者: funkysoulman 提供元: Adobe Stock

https://stock.adobe.com/jp

    ~明応元年(1492年)10月 本證寺~



 専如は岡崎城下に入ったその足で、真っ直ぐ岡崎城下の酒座の本所である本證寺へ向かった。


 紫乃の清酒を市に出すためには、座や問屋に先立って、まず本所の意向を踏み越えねばならない。岡崎で酒を売るとは、本證寺の敷地を越えることに等しかった。


 本證寺の外縁に至った瞬間、専如は歩を緩めた。外堀は広く、水面は風一つなく張り詰めている。内堀はさらに深く、土塁は一見すれば低く穏やかだが、その線は明らかに城のそれだった。射線と死角、退路と詰めの動き――祈りの場に不要なはずの(ことわり)が、隅々まで行き渡っている。


 歩みを進めると鼓楼(ころう)が見える。時刻を告げるためだけのものではない。非常の折には、門徒と寺侍を呼び集め、刃を取らせるための喉笛でもあった。


 専如が門前で名を告げると、応対に出た僧兵に無言のまま視線で値踏みされ、やがて内へ通される。門を潜った途端、空気が変わった。境内は広い。だが、華美な装飾はなく、音が抑え込まれている。人の往来はあるが、私語はない。この場では己の立ち居振る舞いそのものが見られていると専如は知っている。


 導かれるまま専如は奥へと進む。石畳を踏む足音が、やけに遠く響いた。視線の先には、堂宇(どうう)が重なり合うように建ち並ぶ。その配置は信仰の動線であると同時に、侵入者を分断し、制御するための構えに見える。


 やがて本堂に通された。参拝者を迎えるための場ではない。天井は高く、太い柱が等間隔に立ち、空間は意図的に閉じられている。ここでは、願いを口にする前に、祈る者の価値を量られる。


 広さは数百人を収めるに足りる。しかし、その中心に立った途端、音は吸われ、言葉は喉の奥で重くなる。座るよう促されることもなく、ただ待て、と告げられる。


 本堂に通されてからも長い沈黙が続く。会談は先延ばしにされる。


 「今は忙しい。」


 「上座の僧が不在だ。」


 待たされるという行為そのものが、試しであり、序列の確認だった。


 本證寺は、即座には動かない。最も効果的な瞬間まで待つ。裏を返せばそれは拒絶ではない。時間稼ぎである事を専如は理解していた。


 紫乃の酒が、この秩序に値するかどうか――それを量る刻が、まだ訪れていないだけなのだ。



――――本證寺(ほんしょうじ)


 本證寺(ほんしょうじ)は、真宗大谷派の寺院で山号は雲龍山。野寺御本坊とも呼ばれる。


 平成27年(2015年)に国史跡の指定を受けた境内の造りは、信仰空間としての伽藍配置を大きく逸脱している。堂宇(どうう)は祈りの動線よりも防衛と統制を優先して配置され、境内は二重の堀と土塁によって囲繞(いじょう)されている。これは象徴ではなく、実際に戦うことを前提とした城郭伽藍であった。


 本證寺という存在を理解するには、まずそれが「寺」である以前に、三河という地域社会を支配・統合するための制度的拠点であったことを踏まえねばならない。


 本證寺は鎌倉末期の創建以来、三河一向宗の触頭(ふれがしら)寺院として機能してきた。触頭(ふれがしら)とは単なる宗教的代表ではない。末寺を束ね、門徒を統率し、紛争を裁定し、必要とあらば武力を動員する統治単位である。戦国期においては、守護・国衆と並び立つ政治権力であり、その境内構造もまた、その役割を如実に反映している。


 愛知県指定文化財である本堂に至るまでの空間は広く(寺域は約33,000m2、東京ドーム約2.5個分)、しかし閉鎖的だ。本堂の外陣(げじん)内の柱間は狭く区切られ(1間、1.8m)、視線は常に中央へと収斂する。参拝者は自然と歩調を落とし、声を潜め、己の立場を測らされる。これは偶然の設計ではない。人を迎える場であると同時に、人を選別する場としての建築である。


 本殿内部に安置された阿弥陀如来像の金箔の輝きと煌びやかな宮殿(くうでん)の荘厳さは、救済の約束を示す一方で、圧倒的な資金力と動員力を誇示する装置でもあった。数百人を一度に収容できる空間は、法会のためであると同時に、門徒集会、動員、評議の場として機能する。宗教的権威と世俗的実務が、分離されることなく同居していた。


 歴史的に見ても、本證寺は三河一向一揆(永禄6年(1563年))の中核として、武家権力と正面から対峙した数少ない寺院である。門徒連判に名を連ねた武士は百を超え、農民・商人を含めればその動員力は地域全体を覆った。一揆敗北後に一時衰退するも、赦免と再興を経て、近世には幕府や尾張徳川家とも関係を結び、宗教勢力として生き残った。


 その結果として残った本證寺の姿は、純粋な信仰施設でも、単なる城郭でもない。信仰を基盤としつつ、経済と武力と制度を編み込んだ、戦国社会における一種の「統治機関」である。その威容は、訪れる者に静かに告げる。


――ここ三河の(あるじ)が、誰であるかを。



ーーーーー



 矢作川沿いの河岸(かし)である六名(むつな)で、舟から酒樽を陸に揚げている最中、早くも死人が出た。


 荷卸の最中、酒樽を担いだ赤備えの若者に、無頼の徒が肩をぶつけるようにして突きかかった。若者はとっさに身体を()なしたが、その拍子に相手を川へ落としてしまった。皆で引き上げ、どこの手の者か皆で殴打し問い詰めていたところ気づけば息は止まっていたという。


 「女子(おなご)が、勝手な真似を。」


 「奥三河の分際で。」

 

 河岸(かし)での囁きは、刃より鋭かった。


 ――これは警告だ。


 河岸(かし)六名(ろくな)はもはや本證寺の門前であり、酒座と問屋、その背後には一向宗の網が張り巡らされている。紫乃の酒は、その網を潜らずに流れ込んだ異物だった。


 それでもその日のうちに、紫乃、宗伯、孫右衛門に率いられた赤備え百名は、一人も欠けることなく、岡崎の大通り外れ、伊丹屋宗伯の名で借り上げた店へ入ることができた。


 翌日、岡崎の店先に「紫乃」の酒樽が並んだ日、紫乃の周囲は忙しくもどこか静かだった。客は次々と来る。売れ行きも悪くない、むしろ飛ぶように売れている。だが、誰も近隣の店主が話しかけてこない。


 夕刻、最初の嫌がらせが来た。赤備えの護りの目を潜って、割れた酒樽が二つ。中身は土に吸われ、甘い匂いだけが残っていた。


 次の日、市の札が外された。「許しなく場を使った」との触れが回る。そして昼過ぎ、店の蔵に火が入った。炎は低く、狙い澄ましたように藁束だけを舐める。


「次は、人だ。」


誰かがそう囁いた。


 紫乃は震えながらも歯を食いしばり、店に立ち続けた。退けば、二度と戻れない。


 だがその背後で、すでに段取りは組まれていた。


 その日も紫乃は店先に立ち、いつもと変わらぬ手つきで酒を注いでいた。人の流れは絶えない。店の前には買い物帰りの町人や、城下へ入る途中の旅人が混じる。紫乃の前にも、自然な顔をした客が三人、並ぶように立った。


 最初は、違和感はなかった。だが、盃を差し出した瞬間、三人の距離が詰まった。逃げ道を塞ぐように、半歩ずつ。


「ここでの商いは終わりだ。」

 

 声は低く、穏やかだった。


 周囲の喧騒は、そのままだった。誰も気づかない。あるいは、気づかぬふりをしている。

 男の一人が袖の内に手を入れた。その仕草だけで、刃物だと分かった。


 「これ以上続けりゃ、樽が割れるだけでは済まん。」


 紫乃の喉が鳴った。足がすくむ。それでも、目は逸らさなかった。逃げれば、ここで終わる。逃げなくとも、終わるかもしれない。それでも――。


 次の瞬間だった。振り返る暇もなく、刃を抜く間もなく、男の腕が捻り上げられる。群衆に紛れていた赤備えの者たちが動いた。まるで合図があったかのように、三人それぞれに二人ずつが付き、口を塞ぐ。悲鳴は上がらなかった。上げさせなかった。


 三人は店の裏手へ引きずられていった。通りに残ったのは、何事もなかったかのような人の流れと、少しだけ乱れた酒の香りだった。


 裏口を閉めると、空気が変わる。拳が飛び、腹に入る。膝が砕かれ、息が詰まる。赤備えは容赦しなかった。ここは見せ場ではない。聞き出す場だ。


 「誰の差し金だ」


 最初は男たちは黙っていた。だが、時間はかからなかった。歯が折れ、爪が剥がれ、声にならぬ声が漏れ始める。


「酒座の、大黒屋……。」


 孫右衛門は、最後まで口を挟まなかった。ただ一度、男たちの顔を見回し、短く言った。


 「もう、戻れぬな。」


 それが合図だった。三人は、その場で始末された。刃は使われなかったが命は静かに断たれた。遺体は夜のうちに処理される手筈になった。川か、森か、それとも別の場所か――それを知る者は限られている。



ーーーーー



 そして同じ刻、ようやく専如は本證寺の中枢に通された。始まった会談は、表向きは穏やかだった。だが言葉の端々に、力の差が滲む。


 「奥三河の酒が市を乱している。」


 「岡崎の門徒が不安を覚えている。」


 それは事実ではなく、口実だった。専如は一歩も引かなかった。


 「この件が血を呼べば、門徒は割れる。」


 「矢作川の上流を敵に回すのは、得策ではない。」


 僧たちの間に沈黙が落ちた。


 本證寺の僧たちは計算した。排除はできる。だが、奥三河の門徒を敵に回せば、いずれ火種になる。完全な拒絶は、政治として下策だった。


 条件が出された。紫乃の酒は、本證寺の名の下でのみ販売を許す。運上金として売上の三割を寺に納める。冥加金の替わりに一部は法要酒として寺へ納める。それは庇護であり、支配だった。


 そして手打ちが成立した。



ーーーーー



 専如が本證寺を後にした日を境に、嫌がらせは嘘のように止んだ。


 樽は割られず、店に火も入らない。札が外されることもなければ、危ない思いもしない。やがて、変化は徐々に現れてきた。


 「……うまいな。」


 その一言が、ゆっくりと広がっていく。誰かが大仰に褒めることはない。だが、次の盃が空き、さらにもう一杯が求められる。その積み重ねが、何より雄弁だった。


 紫乃は、いつものように店に立っていた。声を張ることもなく、愛想笑いをすることもなく、ただ酒を注ぐ。だが、注がれる酒の向こうにある空気が、確かに変わっているのを感じていた。


 「この酒、どこで造った。」


 そう問われたとき、紫乃は胸を張って答えた。


 「奥三河の根羽です。」


 相手は一瞬だけ間を置き、頷いた。その仕草一つが、恐怖のすべてを、かろうじて報いてくれる気がした。


 「うまい酒だ。」


 紫乃はその声を、何よりの報酬として受け取った。

〜参考記事〜

矢作川河道の変遷/おかざき町ものがたり

https://share.google/ZGIyG9a4mAYpiUByy


〜舞台背景〜

 10年くらい前でしょうか、『24 -TWENTY FOUR-』のようなドラマ内のあちこちでの出来事が同時進行する編集の海外ドラマが流行りました、登場人物も増えてきたので、その手法を真似してみたのですが…失敗しましたw

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ