048 ~明応元年(1492年)10月 矢作川~
~明応元年(1492年)10月 矢作川~
先ずは岡崎で評判を打ち立てる――それが、根羽宿で首脳陣が一致して決した方針だった。一度、岡崎城下で名が走れば、座も寺も、否応なく無視できなくなる。
そのため、最初の一手は慎重でなければならない。紫乃も、最初の出荷に同行することになった。酒の顔を見せるためでもあり、味を問われたときに逃げぬためでもある。
そのため紫乃の護衛は、孫右衛門と内匠が日々鍛え上げてきた赤備隊から選抜された百名。最近では千を超えたという噂もあるその中で、戦場を知る者だけが選ばれた。
ただし、誰一人として甲冑は着けていない。粗末な脚絆に前垂れ、荷縄を肩に掛け、商人の人足にしか見えぬ装いだ。だが、歩調は揃い、声は低く、視線は静かに鋭い。
専如が岡崎の本證寺に向かって街道を下って行った同じ刻、千樽の酒を積んだ舟団も、矢作川を下って行った。伊丹屋宗伯が先頭に立ち、紫乃は中央の舟に乗り、酒樽に手を添えていた。
暫く進み舟が止められたのは、矢作川が大きく湾曲し、水の色がわずかに濁るあたりであった。
「――止まれ。」
岸から放たれた声は低く、慣れていた。
川面に影が落ちる。矢作川の川辺りに聳える木柵と柵門、岡崎の関所だ。
槍を持った者が数名、弓を背負う者が二名。その奥に、胴丸を着けた男が立っている。剃髪ではない。頭を撫で付け、法衣の代わりに羽織を重ねた、おそらく本證寺の寺侍だろう。寺の威を借りてはいるが、役目は武だ。
――――河川舟運
戦国期から近世初頭にかけて、日本の大量物流を支えた根幹は、陸ではなく水であった。特に河川舟運は、重く嵩張る物資を安全かつ効率的に運ぶ唯一の手段であり、米と並んで酒の流通においても不可欠な役割を果たしていた。
酒は米以上に水運向きの商品である。樽に詰めれば衝撃に強く、多少の揺れや湿気にも耐え、しかも単価が高い。陸路での大八車や馬輸送では、六俵、二俵といった積載量が限界であるのに対し、川船であれば小舟でも四十五俵、中船で二百俵、大船では三百五十俵以上を一度に運ぶことができた。酒樽に換算すれば、数百から千樽単位の輸送が可能であった。
矢作川は、三河内陸と岡崎を結ぶ大動脈である。上流域は浅瀬が多く、大船は使えないが、その代わり船底が平らで喫水の浅い高瀬舟や川舟が発達した。荷は上流では小舟に分け、下流に出るにつれて積み替えられ、岡崎の河岸で集積される。この「積み替え」を前提とした舟運構造は、日本の河川物流全体に共通する特徴であり、酒樽も例外ではない。
岡崎は矢作川舟運の結節点であり、いわば三河の「喉」にあたる。ここを通過せずして、熱田・伊勢、さらには堺や京への流通は成り立たなかった。そのため河岸には、船頭、船持、人足、舟問屋、酒問屋が集まり、蔵が立ち並び、自然と市が形成された。酒はここで値が決まり、評判が立ち、次の市場へと流れていく。
一方で、酒の舟運には常に検問と支配が伴った。河岸や関所は単なる通過点ではなく、権力が介在する場所である。寺社や武家が舟運を押さえることで、流通そのものを支配できたからだ。酒樽は銭であり、銭は兵糧であり、政治でもあった。
河川舟運とは、単なる物流ではない。川の流れに沿って、経済、権力、情報が同時に運ばれていたのである。
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酒樽を載せた舟首には、何故か赤ら顔の専如が揮毫した「南無阿弥陀仏」の旗がはためく。さらにその横には凌雲寺から持ち出した白地に八つの藤を配する一向宗の寺紋――八藤紋。
それを見て、侍は一瞬だけ目を細めた。
「荷改めだ。」
宗伯が、ゆっくりと舟べりに進み出る。
「根羽の伊丹屋宗伯にござる。酒千樽、岡崎の市へ向かいます。」
帳面が開かれ、札がめくられる。侍は宗伯の顔、次いで舟団の全体を眺めた。人足が多い。酒樽千樽にしては、やや過剰だ。
だが、身なりは粗末で、商いの舟としては不自然ではない。何より、一向宗の旗と紋がある。
それに――
宗伯が、さりげなく小袋を置いた。
「道中の手間に。」
侍は受け取り、指で重さを量る。軽くない。顔色は変えないが、内心で舌打ちした。
――寺の名を立て、銭も通す。
通してやってもいい舟だ。そう判断しかけた、その時だった。視線の端に、異物が映った。――女だ。
酒樽の間に座り、手を膝に置いている。装いは派手ではなく旅慣れた女房の格好だ。だが、その表情や雰囲気は目を引く。
荷を見る目でもなく、川を見る目でもない。商人の女にしては、あまりに落ち着きすぎている。
「……女が乗っているな。」
侍が言った。舟の空気が、わずかに張る。紫乃は黙って頭を下げた。宗伯が、すぐに口を挟む。
「酒の出来を確かめる役でして。蔵の者でございます。」
侍は、紫乃を見たまま言う。
「名は。」
一瞬、沈黙が落ちた。紫乃は、顔を上げた。
「紫乃にございます。」
その名が、空気に引っかかった。侍の眉が、わずかに動く。
「……紫乃。」
帳面を閉じ、再び紫乃を見る。
「酒の銘と、同じだな。」
宗伯が口を開く前に、侍は続けた。
「根羽の酒に、“紫乃”という名の酒があると聞いた。」
宗伯の腹の底で、何かが沈んだ。――嗅ぎつけている。だが、まだ決めきれていない。通すか、止めるか。本證寺の名を汚すことなく、利益を逃さぬ道を、測っている。
侍は、舟の縁に足を掛けた。
「少し、話を聞こう。」
引き立てる、とは言わなかった。だが、そういう動きだった。
その瞬間。
――ざっ。
ほんの小さな音だった。だが、百人、同時だった。
人足が、一斉に半歩、前に出た。刀に手を掛ける者はいない。声を荒げる者もいない。ただ、立ち上がった。それだけで、川風が変わった。
侍は、息を呑んだ。視線が揃っている。足の置き方が同じだ。肩の力の抜き方が、異様に静かだ。商人の人足ではない。そう思った瞬間、身体が勝手に反応していた。足が、止まる。
――勝てぬ。
理屈ではない。戦場を知る者だけが感じる、嫌な気配だ。
宗伯が、間に入った。
「こちら、味見用に数樽ほど。」
そう言って、別の小袋も樽の上に置く。
「中身を確かめるにも、銭は要りましょう。岡崎の市で、恥をかかせてはなりませぬゆえ。」
侍は、重そうな小袋を見た。次に、旗を見た。八藤紋が、風を受けて揺れている。最後に、紫乃を見た。女は、動かない。ただ、そこにいる。
――深入りする必要はない。
そう判断した。
「……よかろう。」
帳面に印が打たれる。
「通れ。」
舟が、再び流れに乗る。関所が遠ざかる頃、紫乃は、ようやく息を吐いた。
「酒が、守ってくれました。」
宗伯は苦笑した。
「いや……酒と、それを背負う者たちだ。」
舟は流れに乗り、岡崎へ向かう。赤備の百名は、再びただの人足の顔に戻り、無言で櫂を操っていた。
商いの顔をした戦が、もう始まっていた。
〜参考記事〜
江戸百万都市を醸成する舟運/ jodo.ne.jp
https://share.google/TS6XQolHIo6oGwAmA
江戸期の河川舟運における川舟の運航方法と河岸の立地に関する研究/国立大学法人 東京海洋大学
https://share.google/I6k5WnVJjDUgEYZPP
本願寺寺紋の変遷 /野村淳爾
https://share.google/cNZV4m6eXK0fv4U1A
〜舞台背景〜
色々ググると、海とは言わず、河川であっても舟の輸送量は陸路の馬に比べて桁違いに大きく、山国甲斐の武田信玄が海や港を欲しがった気持ちが少し理解出来ました。







