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六道輪廻抄 〜 戦国転生記 〜  作者: 条文小説


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047 ~明応元年(1492年)9月 根羽宿~

挿絵(By みてみん)

浄土真宗 本證寺 ※城郭関係書籍では「本證寺"城"」と言及。

提供元: 愛知県公式観光ガイドAichi Now

https://share.google/yQXAr9uE9EOZ2mm0E


〜登場人物〜

大黒屋久左衛門…岡崎の酒座商人

河内屋宗兵衛…岡崎の酒座商人

今井屋清七…岡崎の酒座商人

    ~明応元年(1492年)9月 根羽宿~



 町には座があり、酒にはすでに持ち主がいる。


 船着き場も、市の立つ場所も、問屋へ回る順番も、すべては見えぬ縄で固く結ばれていた。良い酒を造ったから売れる、という話ではない。


 「……通せば、必ず(きし)みますな。」


 兵庫が声を落として言った。その一言に、座敷の空気がわずかに張りつめる。


 「正面から行けば、酒座が黙っておらぬか…。」


 作左衛門は盃を指先で転がしながら呟く。


 事務方の源八、弥助、小十郎、久兵衛たちも、それぞれ黙って、算段に沈み込んだ。



――――()


 岡崎において清酒「紫乃」を売るという行為は、醸造技術や味の巧拙以前に、既存の流通秩序の破壊を意味する。その秩序の中核に位置したのが酒座であり、その本所は三河本願寺教団の中心・本證寺である。


 岡崎の酒座は、単なる同業者組合でも、名目的な上納金制度でもない。むしろそれは、寺社権門を媒介とした三河の流通支配機構であり、都市経済を安定させるための制度装置であった。


 座は「座る場所」の占有、すなわち市中における営業権の獲得を意味する。入座を許された商人は、本證寺を本所と仰ぎ、巨額の貢納を行う代償として、岡崎城下および矢作川水運における諸関所・木戸の通行特権を付与された。


 関銭・荷改めといった煩雑な検問は形式化され、事実上の免除が与えられる。一方、座外の酒は同じ道を通るだけで重層的な課銭を課され、時に差し押さえや破棄を受け、市に至る前に商品価値を失う。


 この制度は、鎌倉時代以降、地頭勢力の伸長によって経済基盤を侵食された寺社が構築した生存戦略でもあった。寺社は関所を設置し、座を保護する本所となることで、流通から恒常的収入を得た。座はまた、協定価格・協定数量を定め、新規参入を制限することで過当競争を抑止し、町場経済の均衡を維持した。


 酒座の閉鎖性は、既得権益として批判される一方で、治安と供給の安定を担保する実利的な側面も併せ持っていたのである。


 ゆえに岡崎の酒市場は、外部者にとって極めて高い参入障壁を有した。良酒であることは前提条件にすぎず、本證寺という宗教権威との関係構築、座衆との折衝、通行特権の獲得を経なければ、一樽たりとも市に「座る」ことはできなかった。


 岡崎で新しい酒を売るという事は、すなわち酒を造る以上に、三河における秩序と権威の網の中に新しい制度を持ち込む行為だったのである。



ーーーーー



 専如は、集まった顔を一人ずつ、ゆっくりと見回した。


「他でもない、儂の……いや、竹千代殿の酒じゃ。本證寺には拙僧が掛け合おう。だがな、そのためには銭が要る。」


 作左衛門が、低く問い返す。


「座……いや、寺に納める銭は、如何ほどになるのじゃ。」


 専如は黙って指を三本、立てた。


「さ、三割じゃと? 連中は何もしておらぬではないか。」


 これまで酒造りに関して、やや多めの試飲以外ほとんど関わってこなかった作左衛門が、自分のことは棚に上げ、声を荒げて専如を睨んだ。


「作左衛門様、三割は妥当かと存じまする。」


 源八が静かに口を挟む。


「最初は致し方ありませぬ。一度、東海道に評判を走らせてしまえば、いずれ向こうから頭を下げて根羽へ買い付けに参りましょう。それまでの辛抱かと。」


「左様。」


 専如も頷いた。


「拙僧も京の酒を少し調べてみたが、これほどの酒は都にもそうは無い。いずれ酒を引き上げて困るのは、あちらの方じゃ。銭の話はいずれ片が付く。しかし問題は……。」


 半年間に及んだ京の花街での長逗留を"少し"と言う専如の言葉を継いだのは兵庫だった。


「菅沼は、海を持っておりませぬ。船を持つ者を引き入れねば。」


 宗伯が深く頷く。


「岡崎から先、熱田、駿河、長島、伊勢へと商いを広げるのであれば、港への伝手は欠かせませぬな。」


 利兵衛が、短く言い切った。


「攻めではない。ただの――入り口探しじゃ。」


 専如は静かに手を合わせる。その仕草に、誰かがようやく小さく笑った。


 「どの商家が船に強いか。」

 「どこが揺れているか。」

 「誰に酒を渡し、誰には渡さぬか。」


 灯は次第に更けていったが、誰ひとり席を立とうとはしなかった。


 外では、矢作川の水音が絶え間なく流れている。その流れの先に――岡崎があった。



ーーーーー



 岡崎の町で、酒の話は朝には出ない。朝は荷の出入りと勘定に追われ、酒の善し悪しを語る余裕はない。話が出るのは昼過ぎ、川からの荷が揃い、帳面の目処が立った頃合いだ。


 矢作川に面した酒問屋・大黒屋の奥座敷で、十人ほどの男たちが盃を前にしていた。


 座主である大黒屋久左衛門。酒座の年寄役・河内屋宗兵衛。廻船問屋の今井屋清七。いずれも岡崎の酒流通を長年握ってきた顔ぶれで、そのほかにも酒座に名を連ねる商人たちが静かに居並んでいる。


 卓にあるのは、いつもの岡崎のにごり酒だった。飲み慣れた味。驚きのない、だが外さぬ酒である。


 「……根羽や津具で、妙な酒が出回ったそうだ。」


 最初に口を開いたのは宗兵衛だった。年寄役らしい低い声で、無駄がない。


 「根羽の宿の女子(おなご)が出したとか。」


 「鈴木の娘で、紫乃と名乗るらしい。」


 誰かがそう付け足す。


 久左衛門は盃に手を伸ばさず、黙って聞いていた。

 女子――その時点で、話の半分は眉唾だと考えている。


 「味はどうだ。」


 清七が問う。


 「“米の花が咲く”だの、“川の音がする”だのと。」


 宗兵衛は鼻で小さく笑った。


 「褒め言葉はいくらでも作れる。」


 だが、その笑いは長く続かなかった。


 「津具の市で、初日から百樽が動いたそうだ。」


 「翌朝には、伊那と吉田から札が入ったと聞く。」


 その瞬間、久左衛門の指が盃の縁で止まった。


 百樽――それは試し売りの数ではない。明らかに、最初から走らせるつもりの酒だ。


 「誰が付いている。」


 短い問いに、宗兵衛は即答した。


 「根羽の伊丹屋宗伯。それに、津具の鈴木利兵衛。」


 清七が低く唸る。


 「……堺筋か。」


 宗伯と利兵衛の名は、岡崎でも通る。菅沼と組み、木綿や椎茸を扱い、近年目に見えて勢いを増している商人たちだ。


 「だが、岡崎の市は座のものだ。」


 久左衛門が、静かに言った。


 「勝手に入れる場所ではない。」


 宗兵衛は、わずかに首を傾ける。


 「だからこそ、危うい。根羽や津具で売れた酒は、必ず下ってくる。」


 岡崎は三河の喉だ。ここを通らねば、堺はおろか、熱田も伊勢も開けぬ。清七が帳面を引き寄せた。


 「根羽から岡崎までの舟足は?」


 「半日ほど。」


 「検めは?」


 久左衛門が答える。


 「本證寺が押さえておる。だが、寺がどちらに転ぶかは分からん。」


 本證寺――その名が出た瞬間、座敷の空気が変わった。


 岡崎の町を、信仰という皮で包み込んで握る存在だ。


 「厄介だな。寺が付くなら、座は正面からは動けぬ。」


 宗兵衛が応じる。


 「酒は銭だ。銭は、武家も見る。」


 清七が、小さく笑った。


 「松平様、か。」


 三人とも名をはっきりとは口にしなかったが、考えは同じだった。


 「問題は、酒の出来だ。」


 久左衛門が、ようやく盃を取る。


 「悪ければ、放っておけば沈む。」


 「良ければ――」


 言葉は、要らなかった。


 その日、座の若い衆が密かに津具へ走った。戻ってきた男は、何も言わず一升桶を差し出す。久左衛門は慎重に盃に注いだ。


 香りが立つ。派手ではない。だが、逃げない。皆が思い思いに酒を口に含む。座敷が、音を失った。


 「……余計なことを。」


 味が分かってしまった宗兵衛が、ぽつりと言った。


――この酒は、敵になる。

〜舞台背景〜

 なろう小説らしく、ざまぁ〜を進める訳ですが、時代劇は切られ役が上手じゃないと面白くないと思うので、そんな事を心がけながら書けたら良いななんて思ってます。

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