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六道輪廻抄 〜 戦国転生記 〜  作者: 条文小説


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39/54

039 ~延徳4年(1492年)5月 根羽宿~

挿絵(By みてみん)

米洗い&浸漬…精米を洗い、水に漬ける。

日本山海名産図会巻之壱/文化遺産オンライン

https://share.google/UhA70vad92vJ2uqA5

    ~延徳4年(1492年)5月 根羽宿~



 木曽の山を(くだ)る風が矢作(やはぎ)の川の匂いを連れてくる。半切桶(はんぎりおけ)に張った水の面が、薄い雲の形を映していた。蔵口には足袋を脱いだ慈円を囲んで、同じく足袋を脱いだ紫乃、それから鈴木家の女たちと男たちがいた。


「今日は“洗い”と“浸け”だ。」


 慈円が言葉を重ねる前に、紫乃が一歩出た。年は幼いが、顔は揺れない。父・鈴木重勝の面影が、あごの線にほんの一瞬だけ差す。


「米は撫でて(ぬか)だけ離す。擦れば米は怒る。」


 彼女の声はよく通った。捕虜と呼ばれてきた男たちの肩が、(わず)かに(ほど)ける。彼らは紫乃に、奇しくも稲を(かたど)った鈴木の旗印「抱き稲」を(うつ)していた。亡国の王女――その言葉は誰も口にしないが、皆の思いだった。


 遂に働き出した水車小屋から持ち込まれたばかりの米俵の口を切ると、輝く白い粒がこぼれた。桶に水が満ち、朝の冷たさで足首がきゅっと締まる。若い女が眉をひそめた。男たちが笑って肩で押す。


「紫乃様の前だ。歯を食いしばれ。」


「食いしばらなくていいよ。」


 紫乃が言って、その細い足が水に沈む。彼女は裾をからげ、躊躇なく桶へ入った。周りの男たちが息を呑む。


「見て。こう。」


 足の指を広げ、米粒を“撫でる”。片足で軽く押し、もう片足で返す。水が白く濁り、表に細かな泡が立つ。


 彼女は拍をとらない。ただ、呼吸だけで拍を作る。男たちは真似をした。最初は強すぎ、米が痛む音がした。紫乃は首を振り、足の甲で静かに示す。


「力は半分。速さは川と同じ。」


 少し前に慈円が教えた歌を、誰かが小さく口にした。すぐに輪に移り、声がつながる。


「米洗いよいよい、米よ鳴け……。」


 拍が息に宿る。水の白さが二度、三度、入れ替わり、泡が軽くなったころ、紫乃が手を上げた。


「上げて。新しい水。」


 桶が持ち上がる。指先から冷たさが逃げ、風の匂いが戻る。


 二度目の水は、最初より冷たくした。井戸から汲んだばかりを半分、川水を半分。紫乃は水の面へ手の甲を近づけ、温みを測る。目を伏せた横顔が、鈴木重勝の若い頃の絵に似ている、と誰かが呟いた。


「撫でる。泡が薄い襟になったら“よし”。擦らない。」


 紫乃は言葉を短く保つ。短いほど、男たちの手は迷わない。


 洗いが終われば、走るように“浸け”へ移る。待たせないのが肝だと、慈円は言った。半切桶の脇に砂時計も刻もない。あてにするのは指と目、そして唄だ。


「水を張って。米を“息”で沈める。」


 紫乃は竹箆(しっぺい)で表面をならし、米を均しく沈めた。沈み際に上がる小さな気泡の数を、彼女は目で追う。やがて視線が止まり、息が浅くなる。


慈円に男たちの一人が問う。


「慈円様、どれだけ浸けまするか。」


「今日の米は“若い”。風も乾いておる。そうじゃな…。」


 薄く考え、慈円は指を三度折る。


「この唄を一首と半分。」


 女たちが声を立てる。米洗いの節は柔らかく、速すぎない。男たちは桶の縁に指を添え、米肌の変わり目を待った。粒がふやける前の、芯だけが少し重くなる――それが“切り上げ”の合図だ。


「今。」


 紫乃の声で、(ざる)が上がる。水が白糸になって落ち、米の面が陽の翳りを吸う。


 慈円が布を広げ、余計な水を切る。慈円は握り飯ほどの塊を手にとった。両掌でそっと丸め、親指の腹で軽く押す。割れ目に艶の筋。粉の白が極薄く覗く。


「まだ足りん。」


 慈円は短く言って、米を戻した。紫乃が悔しげに唇を噛む。慈円が「焦るな。」と肩で笑う。


 二度目の浸けは、同じ拍の半分だけ足した。紫乃が盆で掬い、米の重みを腕で測る。彼女の腕の震えが止まった瞬間、慈円が頷く。(ざる)が上がり、米が布の上で息をする。さっきより割れ目の艶が深い。芯の粉っぽさが一本、細い線になった。


「今度は、よいじゃろ。」


 慈円の声に、輪の空気が少しだけ甘くなった。


 流れ作業が続く。洗う、替える、浸ける、上げる。桶の水は冷たさを保ち、唄は短く刻まれる。

 昼を過ぎ、腕が鉛のように重くなったころ、事故が起きた。若い衆の一人が、(ざる)を上げ損ねて足を滑らせ、桶縁に膝を強く打った。痛みが顔を赤く走り、彼の手が宙で彷徨う。拍が乱れかける。


「止めないで。」


 紫乃の声が、落ち着いた水みたいに広がった。彼女は倒れた若い衆の脇にしゃがみ込み、膝を細帯で巻いた。きゅっと結び、「息をここに。」と彼の手を自分の掌へ導く。彼女の拍が掌から伝わる。男の呼吸がそれに合わせ、乱れが引いていく。


「次の桶、行くよ。」


 紫乃は立ち、足を入れた。彼女の足首には赤い筋がいくつもできている。水は容赦なく冷たいのに、嫌がる素振りは見せない。幼い背に「抱き稲」の印が写っていた。


 やがて、空が薄く黄金色に傾く。最後の桶は、川風が強くしていった分だけ短めに浸けた。風は米を乾かしやすい。

 紫乃は風を睫毛で測るように目を細め、拍を一つ削った。上がった米は軽く、しかし芯が死んでいない。蒸しの前に求める“張り”があった。


 洗った米を甑の手前まで運ぶ。莚に広げると、米は一度だけ音を立てて落ち着いた。慈円は並んだ一列を見渡し、小さく笑った。


「皆の息で見事米が整った。明日の蒸しが楽になる。」


 紫乃が頭を下げる。男たちが鼻を鳴らす。女たちは指で米の面をそっと撫で、手に残った冷たさを確かめた。


 夕餉の前、紫乃は蔵口の酒林を見上げた。緑がわずかに鈍り、風に鳴る音が変わっている。


「母上…。」


 誰にも聞こえない声で、彼女は言った。


 その瞬間だけ、紫乃の大人びた顔から幼さが(こぼ)れた。


 しかし、次の瞬間には彼女は帳面を開き、今日の拍と水の温みと、唄の長さを書きつけた。文字は小さく、よく締まっていた。


 夜更け、私は蔵の前庭に出た。足跡の群れが泥の上に星座のように並んでいる。そこにも紫乃の小さな足跡がしっかり混ざっていた。


 私は掌を打った。音は小さい。だが、蔵は応えた。梁が低く鳴り、(こしき)は眠りながら息をした。


 明日、(ふか)しの工程が来る。だが、今日の“洗い”と“浸け”がなければ、明日は来ない。柱の拍が蔵を繋いだ。捕虜と呼ばれた男たちの肩に別の名が貼られていく。


 暗がりの向こうで、紫乃が帳面の端を撫でる気配がした。



――――洗米と浸漬(しんせき)


 酒造りの「精米」の次の工程「洗米と浸漬」は、米を“撫で”て(ぬか)を離す作業であり、米に“息”のように水を入れる作業だ。


 目的は二つ。第一に米肌に付いた糠を落として蒸し上がりの“さばけ”(蒸した後の米を触ったときの感触)を良くすること。

 第二に、次工程((ふか)し・製 (こうじ)・仕込み)に適うだけの水分を、米の“芯”まで整えて含ませることだ。


 具体的には、半切桶(はんぎりおけ)に水を張り、米を入れ、足の裏や手で優しく「撫でる」。大事なのは「擦らない」こと。粒同士を強くぶつければ割れ、割れ目から過剰に水が入ってしまう。洗い水を何度も何度も替えて、濁りが薄くなり、表面に細い泡の襟が立つまで続ける。


 洗米後、速やかに浸漬(しんせき)へ移る。ここで大切なのが“限定吸水”という概念。狙いの水分量(吸水歩合)までで吸水を止め、米の張りを保つ。麹用の米なら、芯にやや水を残し、後の(むろ)での仕事(突き破精など)に余地を持たせる。

 掛米なら、(もろみ)で溶けすぎないよう、外は(うるお)しつつ芯は生かす。その加減が酒質を左右する。


 限定吸水の加減は、温度・時間・米の状態の三つの物差しで測る。水温は低いほど吸水が遅く、高いほど速い。気温や風も米の乾きに影響する。時間は唄一首、拍幾つ、と身体の時計で数えることもあれば、刻を決める蔵もある。


 勿論、簡単ではない。年や品種、精米歩合で米は“顔”を変える。去年十数えたものが、今年も十で良いとは限らない。その為、掌に載せ軽く握って割り目を見、艶の筋が細く入るか、芯の粉っぽさが薄線にとどまるか目と指先で確かめる。


 浸漬(しんせき)から上げたら、布や(ざる)で無理なく水を切る。ここで強く押せば、粒が傷む。米は呼吸をしている。呼吸を邪魔しないように並べ、蒸し場へ渡す。


 蒸しの“入り”は洗米・浸漬の出来で決まると言ってよい。よく整った米は、蒸気に対して均一に応える。ぶよついた米はべたつき、芯の死んだ米は割れてしまう。


 なぜここまで吸水を苛烈に整えるのか。吟醸のように香り高く澄んだ酒を目指すとき、(こうじ)の働きと掛米の溶けを控えめに整え、酵母(こうぼ)にとって少し“厳しい”環境をつくると、香りと味の骨格が澄んで立ち上がる。


 洗米・浸漬(しんせき)は、その厳しさの最初の扉だ。(こうじ)に過剰な水を与えず、掛米も溶けすぎさせない。そのためには、米の芯に“余白”を残しておく必要がある。


 道具や方法は時代で変わる。洗米は大桶と足の洗いから機械の管理へ。

 だが、どれほど工夫を重ねても、最後は“米と手”の対話になる。米は年ごとに違う。割れやすい年は短く、硬い年は少し長く。風が乾けば拍を削り、湿気が多ければ拍を足す。唄はその拍を身体に渡すためにある。拍が揃えば、手が揃い、仕上がりが揃う。


 洗米と浸漬は目に見えぬ差を積み上げる営みだ。糠の濁りが一度で薄くなること、泡の襟が軽く立つこと、割れ目の艶が細く光ること、ざるを上げた米が“息”をする音。どれも小さい。


 だが、その小ささの累積が、蒸しの手触り、(こうじ)の花の咲き方、(もろみ)の泡の顔を変え、やがて盃の香りと余韻を決める事になる。

~超難解・清酒醸造工程~

(順) (工程)  (状態)

1.精米     米 ◁036話

2.洗米・浸漬  米 ◁039話

3.蒸し (ふかし)  米

4.製麹  (こうじ) 麹

5.酛 (もと)   酒母

6.仕込 (三段)   醪

7.発酵  (もろみ) 醪

8.上槽  (もろみ) 醪

9.滓引  (もろみ) 醪

10.濾過  (もろみ) 醪

11.火入     酒

12.割水     酒

13.出荷     酒


〜参考動画〜

江戸時代の酒造り/@市立伊丹ミュージアム

https://youtu.be/EKYN_vQ8wkw?feature=shared


〜舞台背景〜

 日本酒の醸造工程を説明できる人はイキっていいと思います。蘊蓄(うんちく)…好きなだけ語ればいいと思います。日本酒の蔵人が外国の醸造関係者に清酒の醸造工程を説明しても「外国人に全く理解して貰えない。」らしいのですが、そりゃそうだろだろ…ってくらい超絶難解ですw

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